約束はランチの後ね♪

 次の週の月曜日。

 昼休み、雪乃と一緒に屋上に行くと、アニスは相変わらず食パンを齧っていた。ただ、そのパンの上に、コロッケが乗っていない。

 不思議に思いながらも、呼びかける。


「アニス先輩!」


 アニスがゆったりと立ち上がり、すぐ近くに歩いてきた。

 雪乃は恥ずかしそうにアニスを見ると、頭を下げた。


「あ、あのぉ……先日は、大変失礼しました! 私、空ちゃんの幼馴染で、大霧雪乃っていいます! じ、実は私……ずっと、炙山先輩に憧れてたんですっ! 握手してください!」


 そう言って、右手を差し出す。

 アニスは、首をカクンと傾げてから空那を見た。空那は苦笑しながら言う。


「どうぞ。握手してあげてください」


 アニスは、雪乃の右手を、おずおずと両手で握る。すると雪乃は目を丸くして、


「わ!? ね、空ちゃん! 見た!? 私、あの炙山アニスさんと握手しちゃったぁ! わあ!」


 と飛び跳ねた。自己紹介の後、雪乃は嬉しそうにアニスに弁当を見せる。

 雪乃はアニスがコロッケ好きだと知って、カボチャだのカレーだのトマトだのチーズだのホウレン草だの、変り種のミニコロッケを、いくつも手作りして持ってきてた。アニスはそれを、勧められるままに口に入れては、味は好みかどうかを聞かれ、その度に頷いたり首を振ったりする。

 空那も、砂月が作ってくれたエビフライの入ったオムライス弁当を、二人とシェアして食事を楽しんだ。


 ……やはり、アニスは相変わらずの無表情で、ちょっと眠そうでぼんやりな目をしていたが……空那にはなんだか……楽しげに見えた。


 食事後、雪乃は自分の数学の参考書を広げて、わからない箇所を一生懸命に、アニスに質問する。アニスにとってみればそんなもの、レベルが低すぎて興味ないだろうに、嫌な顔ひとつせずに赤ペンで添削していく。

 雪乃は感激のあまり、書き込まれた参考書を見つめて目を輝かせた。


「わわ!? あっ、ありがとうございます! わぁ……なんて綺麗な字なんだろう! こんな風に、私には書けないわ。すごいなぁ! 私、炙山先輩みたいに頭のいい人、尊敬してるんです!」


 それを聞いたアニスは首を傾げ、雪乃の顔をジッと見た。

 この無表情は……もしかしたら、照れてるのかもしれないな、と空那は思った。

 雪乃は憧れの先輩に勉強を見てもらい、すっかり有頂天で満足したようである。

 満腹になり、空になった弁当箱を雪乃と片づけながら、ふと空那は尋ねた。


「……あれ? アニス先輩。そう言えば……例のノート。あれって、今日はもういいんですか?」


 空那の言葉に、雪乃は何の事かと興味を惹かれたようだったが、自分には関係がないと思い直したらしい。弁当箱の片づけを優先しはじめた。

 聞かれたアニスは、こくりと頷く。

 そして小さな、本当に小さな声で……こう、言った。


「もう、かんせいしたから」


 それは隣に座る空那の耳に……届くか届かないかのうちに、風に掻き消える。

 雪乃も気づいていない。

 と、午後の授業の予鈴が鳴ってしまう。慌てて立ち上がろうとした空那の袖を、アニスは握った。


「え、なんですか?」


 戸惑いながら、空那は聞いた。チャイムにまぎれて、アニスの声は聞こえない。


「空ちゃーん! なにやってるのー? もう、授業始まっちゃうわよー?」


 雪乃が階段の上で手を振り、空那は焦った。


「え、えっと……授業が始まっちゃいますから! 明日、聞きますよ、先輩!」


 だが、アニスは離さない。なにかを、ボソボソと呟いている。

 なぜだが、今日のアニスはひどく頑固だった。

 チャイムの切れ目に、ようやく空那の耳にも声が届く。


「ゆうこく、うちきて」


 ……ゆうこく?

 それは、『夕刻』の意味だろうか?

 それに、『うち』とはアニスの家か!?

 空那は驚いたが、すぐに大きく頷いた。


「はい、わかりました! でも俺、アニス先輩の家を知らないんで……五時半に、商店街のアーケード入り口で待ち合わせましょう。案内してください」


 それでようやく、アニスは満足したようで手を離す。

 そして、大急ぎで階段を降りていく空那の背中を……まるで、とびきり遠くを見るみたいに目を細め……無表情に見送った。


 ヒュウヒュウと、音を立てて風が吹く。

 ふと、アニスは天を見上げた。ぼんやりとした焦点は、どこに合わせているのだろう。

 白い雲か。青い空か。それとも……?

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