炙山アニスという存在は

 空那が家に帰ろうとすると、校門の前に三人の少女がいた。そのうち一人は、なぜか地べたで昼寝をしている。残る二人は、雪乃と砂月である。


 空那は眉をひそめる。

 最近はどちらかと家路を共にしているが、二人そろっては、実はあまりない。会えば、喧嘩をおっぱじめるからだ。

 今日もまた二人して、険しい顔をしている。だから、


「また喧嘩でもしてるのかな? 平和的に行こうぜ、ルルルー♪」


 などと、口笛吹いて通り過ぎようとする。そしたら、がっしり両脇を掴まれた。空那は戸惑った。


「……なんだ?」


 なぜか、雪乃は怖い顔をしている。そして、


「こっち来て」


 ドスの聞いた声だった。

 見ると、砂月も、かなり怒ってる。


「なんだ、おい? ……な、なんだよ!?」


 ズルズルと引きずられるままに、校舎の陰に連れ込まれた。

 雪乃が空那を壁に押し付けて言った。


「ねえ、空ちゃん? お昼休み、私たちのお弁当を食べながら、新しい彼女といちゃいちゃしてるって聞いたんだけど?」


 雪乃の目は少し据わっている。

 空那の背筋が冷たく震えた。


「えっ!? いや、彼女ってわけじゃ……? それに、いちゃいちゃもしてないし。相談っていうか、俺の愚痴を聞いてもらっただけで……そもそも弁当二つなんて、一人じゃ食べきれないだろ」


 ずいっと砂月が身を乗りだす。


「……だったら、こいつの作ったの残してよ」


 言いつつ、親指で雪乃を指し示す。そして怒りをぶつけるように、拳を校舎の壁に叩きつけた。


 ガスンッ!


 砂月の拳が校舎にめり込んだ。パラパラと壁が崩れて粉が舞う。


「アタシはっ! アタシの手料理だけをっ! おにいちゃんにっ! 美味しい美味しいって、夢中で全部食べて欲しいのぉっ!」

「い、いや、砂月……! お前、そんな無茶、言うなよ……」


 その横で、雪乃の顔がふにゃりと歪む。泣き顔に近い顔だった。


「わ、私ぃ……空ちゃんが食べてくれると思ったから、早起きして一生懸命に作ってたのにぃ……」

「雪乃……! そ、そんな顔しないでくれ……頼むからさ……」


 空那は、冷や汗を流した。


 ……もらった手作り弁当を、他の女子と分け合って食べる。

 なるほど。言われてみれば、デリカシーに欠ける行為だったかもしれない。

 だが、女子と言われれば確かにそうであるが……空那は、アニスを『女』だと思っていなかった。


 聞きようによっては、甚だ失礼な話であるッ!

 だけど本当に彼は、まさかアニスが二人の嫉妬の対象になるとは、夢にも思ってなかったのだ!


 空那にとってアニスは、女とか男とか、そういう尺度で測れるものではない。

 アニスは、自分と『同じステージ』にすらいない。

 もっと純粋で崇高で優しくて、なんというか尊敬できて……とにかく、男女なんてものを超越した、『偉人』や『聖人』に近い存在なのである。言わば、彼女に食べさせる弁当は、『お供え物』に近い感覚だったのだ。

 彼は二人の顔を交互に見比べながら、焦りまくった。


「い、いやその。でも、ちがくて……だって」

(……だ、だって、アニス先輩は、彼女っていうか? アニス先輩は……『アニス先輩』じゃないのかっ!?)


 だから。

 それを、どう説明するんだと!?


 言葉にできない、己の理屈。

 どのように口にしたものかと頭を抱え、茫然自失で「あう、あう」と情けない声をあげる。

 そもそも、アニスの人柄を知らない人間に、あの全てを超越したような純朴さやひたむきさを説明し、理解できると思えない。アニスは、損とか得とか善とか悪とか……そういったものとは無関係の、ひたすら別次元に浮世離れした本質を持っている。

 そしてそれは、彼女を尊敬して理解しようと努めた空那だからこそ、初めてわかる事だった。


 ……と、魔王と勇者の後ろから小柄な頭が、充満する不穏な空気をまるで毛ほども感じてないように平然と、チョロチョロ割り込んできた。

 そしてその人物は、あろうことか空那を守るようにワシっと抱きついた。

 言わずと知れた、炙山アニス……その人である。


 雪乃と砂月の顔色が一瞬で変わる。

 雪乃が妙に優しい、静かな声で言った。


「……ねえ、空ちゃん。その人が、昼休みにいちゃいちゃしてた子? ふうん、そういう感じの子が趣味だったんだ。なぁんだ。私、知らなかったな。やだな、早く言ってよ、もう。ほら、ちゃんと私に言ってみて? 空ちゃんの口から、はっきり聞きたいの。『俺、小さな女の子が大好きです!』ってさぁ……」


 雪乃の右手が校舎の雨どいを掴み、バキリと折り取る。

 一メートルほどのそれで二度ほど素振りすると、


 ビュゥン! ヒュオォォーンッ!


 凄まじい音を立てて、風が地面を舐めて土埃を巻き上げた。

 一方の砂月も怒りに震えながら、見下すようにアニスを睨みつける。そして、


「ハァン……なに? なにかと思ったら、小動物じゃないの。ドラキー? いっかくうさぎ? レベルいくつよ? 2くらい? なに? 餌づけされてたの? ……あーあ、あんた、やっちゃったねえ? 魔王とエンカウントしちゃった! ……言っとくけど……これ、確定負けイベントだかンねッ!?」


 声と共に、校舎にめり込んだ拳がさらに深く潜り込み、


 ビシィッ! パリッパリンッ! パリィーーンッ!


 壁のヒビが二階の窓ガラスにまで達し、連続で割れた。

 ……両者とも、すごい剣幕だった。

 この二人が本気になったら、アニスも空那も怪我ではすまないだろう。いや、怪我ですまないとか、そんなレベルじゃない。原型すら残さずにミンチにされる。一瞬で辺りはスプラッター映画さながらに、血の赤に染まるに違いない。

 そして、キレた二人の暴走を止めるだけの腕力を……空那は……持ち合わせていない。


 圧倒的な絶望感。


 恐ろしい想像に、空那は壊れたゼンマイ式のオモチャのようにガタガタ震えた。

 サーっと音さえ立てて、顔から血の気が引いていく。


(……死。死ぬの……? もしかして、俺もアニス先輩も……ここで、死ぬ!)


 いや。

 現実には雪乃と砂月が、大好きな空那に危害を加える事などありえない。また、砂月がアニスを殺そうとしても、それは流石に雪乃が止める。

 これはただ、二人の空那に対するやるせない思いと、どうしようもない怒りがミックスされ、行き場のなくなった彼への恋心が『ほんのちょっぴり』溢れ出て、言動が過激になってるだけなのだ。

 だが、恐怖に痺れた頭では、まともな思考などできようはずもない。


 そして、空那の混乱が頂点に達した、その結果。気が動転し、思わず、


「や、やめろぉーっ! アニス先輩を虐めるなあ!」


 と涙目で前に出たからたまらない。

 途端、少女二人の顔が般若の如く恐ろしく歪む。そして、そろって不思議そうに首をかしげた。


「はぁ?」

「ふぅ?」


 ……今の言葉を、それぞれが思案してるのだ。


 ん? お前、今それ、どういうつもりで口にしたん? 意味合い次第では、ただではおかないぞ?


 同時に、今までの比じゃない、恐ろしい殺気がグオゴゴゴーっと吹きつける!

 空那は気が遠くなった……むしろ、気を失わないのが不思議であった!

 しかし、背後にいる心優しい先輩だけは、なにがあってもこの二人から守らなくては!


 悟飯をかばって飛び出すピッコロさんのような気分で、悲壮な決意で踏ん張ってると、ブレザーの裾がクイッと引っ張られた。

 チラリと見ると、アニスの口が「だれ?」と動いている。

 空那は慌てて彼女を二人から隠すように動くと、震える声で答えた。


「い、妹と、お、おおお、幼馴染ですっ」


 それを聞いたアニスは、しばしボーっとした後、ハッとしてから頭を下げる。そして小さな声で、


「ごはん、ごちそうさまでした」


 面食らったのは、少女二人だ。

 今の今まで決して許せぬ恋敵だと思ってたのに、「ごちそうさまでした」は堪らない。拍子抜けにもほどがあった。

 あっさり気勢を殺がれると、雪乃は雨どいをガランと取り落とす。

 砂月もカクリと腕を曲げ、校舎の壁から拳を引き抜く。で、軽く頭を振ってから言う。


「……ん? なんか、よく見たら、明らかに小さすぎるね……いくらなんでも、これが好きだったらロリコンだよねぇ? おにいちゃん、ロリコンじゃないもんね? ……ま、これならいいか。もっとも、あと三年もたったら許せないけどさっ」


 助かった、と。

 空那は深く息を吐き、ヨロヨロと壁にもたれかかる。


(い、今のやり取りで寿命が……五年は縮んだ気がする)


 全身の神経が疲弊しきっていた。それから、掠れ声で言った。


「……さ、砂月……。先輩は、三年生だよ。俺より年上だぞ」


 雪乃が驚いた声をあげる。


「えぇ、年上って……? わ!? うわあっ! よく見たらこの人……炙山アニスさんじゃないの!?」

「そうだよ! 雪乃だって噂くらい、聞いてるだろ? 数学の賞を取った、天才女子高生。それをお前ら、散々失礼な……いやぁ、本当にすいません、先輩!」


 空那は息を整えながら、アニスに頭を下げた。アニスは、その頭を優しく撫ぜると、小さな声で言う。


「こまってる?」

「いえ、大丈夫です」

(そう。当面の危機は回避できた……はずだ。とりあえずね!)


 まあ、困ってるっていえば、前世絡みでずっと困ってはいるのだが……だが、アニスは、その言葉に安心したのか、頷くと行ってしまった。

 フラフラと遠ざかる小さな後ろ姿を指差しながら、砂月が言う。


「……で、おにいちゃん。あの人に、お弁当わけてあげたの?」

「ああ。アニス先輩、いっつもコロッケはさんだ食パンしか食べてないんだ。それで心配になって、よかったらどうぞってさ」

「えー、でもアレで年上なの!? いやもう、なによ、ちっこいにもほどがあるでしょー。レベルアップ時のステータス振り、間違えてんじゃないの?」


 空那がムッとしつつ言う。


「おい、砂月。失礼な言い方はやめないか! 俺はな、アニス先輩をマジで尊敬してるんだ!」


 と、雪乃が顎に手を当て、言った。


「毎日、コロッケ挟んだ食パンだけって……? 確かにそれは……身体でも壊さないか、心配になるわよね。……うん。他の人ならともかく、あの先輩にだったら、私は食べてもらってもかまわないな」


 腕を組んで、砂月も頷く。


「んー、そだねっ! 見た目、ほとんど子供だもん。あんなの、それこそ小動物と一緒でしょ。敵にならないなら、アタシもかまわないよ!」


 空那の顔に、安堵と喜色が広がった。


「ほ、本当か!?」


 と、雪乃が腰に片手を当て、人差し指を振った。


「た・だ・し! 来週から、私も屋上で一緒に食べさせてよ。……ね? そろそろ、いいでしょ? だって、空ちゃんだけズルいわ! 私だって、先輩とお近づきになりたいのよ!」


 空那は、溜め息を吐く。

 やれやれ。これで先輩に愚痴を聞いてもらえなくなるなぁ、と。

 だが、すぐに気持ちを切り替え、頷いた。


「ああ、いいよ」


 そう……いつまでもウジウジ悩んでたって、仕方がないのである。

 そもそも雪乃とのわだかまりも、空那はもうほとんど感じていない。

 何より、砂月と雪乃公認で先輩と一緒に弁当を食べられるなら、言う事なしではないか!




 ……薄暗い部屋の中で、カチャカチャと食器の音が鳴る。

 皿に乗っているのは、何種類かの野菜を煮たものと、蒸した穀物。

 食べているのはアニスだった。ぼうっと、どこを見てるのかわからないような目で、皿の上の食物を作業的に口に入れる。


 不意に声が響いた。抑揚がなく、低い声だった。


「完璧だ。これならば、計画が二十年は短縮できる。彼にはぜひ、お礼をしなければならない」


 こくり。アニスは小さく頷いてから、食事を続けた。


 ……そうなのだ。空那は知らない。

 自分が、何を手伝わされているのか。

 そして……何を……してしまったのか。

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