『雪』の夜

 アルカは、血統と王族が大嫌いだった。

 彼が血統を嫌うのにはわけがある。


「あいつは巨人の血を引いてるらしい」


 その言葉は、大抵が少しおどけたような口調で言われた。

 巨人はイレギュラーな力の象徴だ。不死である神や悪魔さえも殺す矛盾した存在、それが巨人。

 感情の昂ぶりに支配され、恐れを知らずに敵を斬り飛ばす彼の戦いぶりは、なるほど巨人であるかのようだ。

 だが、アルカの背は平均よりもかなり低い。だから巨人なんて言葉は、どうしても裏があるように聞こえてしまう。


 そして、王族なんて奴らは、上から偉そうに命令するくせに、自分は決して血を流さない奴らの事だった。

 戦ってもいないくせに戦果はちゃっかり頂いていく。

 民を働かせて贅沢をする。

 しかも、それらは実力ではない。

 単なる生まれの身分で……やはり、これも血統だ。


 なので、前に助けてやったよくわからない名前の、本当に小さな国の姫だかが、力になりたいと言って来た時は、まったく歓迎していなかった。

 魔王に対抗する武器――それは、『神々の遺産』――を得るために世界各地を巡り、いくつかある古代遺跡の謎を解くのに、同行を許可しただけなのだ。


 どうせ、危なくなったら真っ先に逃げ出す!


 ……そう思っていたが、意外にも女は懸命についてくる。死にそうな目にあっても逃げようとしない。

 そうして、その名前も覚えていない小国の近くを、再び通りかかった時に、女が言った。


「よければ、国に寄っていただけませんか?」


 やはり、危険な旅は嫌だったか、家族が恋しくなったのかと鼻で笑いつつ、小国に寄ってやる事にした。


 ……そうだ。思い出した。

 確か、前に訪れた時は、冬の季節だった。

 ふと気づくと、白い雪原一面が、斬り捨てた魔物の血の色で、ドス黒い赤に染まっていたのだ。

 やたら寒くて、雪が深くて、どんよりと曇ってて、本当に良い印象がまったくない!

 憂鬱な気分で歩を進める。


 だが、そこで彼は、思いもよらぬ歓待を受ける。

 季節は既に、秋だった。空は、抜けるように冴え渡っている。

 白と赤と黒しかなかった地には、黄金色の麦が実り、美味い酒が造られて、平和な暮らしが営まれていた。

 彼に救われたといった人々が集まり、娘は結婚できた、子供は無事に生まれた、父は魔物に殺されずに天寿を全うできた、息子は助けてもらった命で勇敢に戦って死ぬ事ができたと、涙さえ流して礼を口にする。

 小国の姫が嬉しそうに笑いかける。


「あなたが、この地を創ったのですよ!」


 その言葉に、彼は衝撃を受ける。自分の与り知らぬ所で、自分が守った人々が新しい物を創り上げる。

 それは戦いしか知らない彼の、人生すら変える一言だった。


 だから、アルカは決意した。


 自分は一生を賭して、彼らの模範であり続ける。

 赤にも黒にも決して染まらぬ、雪のような純白であり続ける。

 そして彼らを、この姫を守るために、正々堂々と命がけで正義を貫くと!



 ……目が覚めた雪乃は、自分が泣いているのに気づき、暗い部屋でその身を起こす。

 胸を襲うのは、激しい自己嫌悪だった。


「胃がムカムカする……」


 ひどく乗り物に酔ったみたいな、不快感。

 深く溜め息を吐きながら、真っ暗な部屋で毛布に顔を埋めた。


「……なにが、正々堂々よ」


 昼間、保健室で空那に話してしまった事が、どうしても気になっていた。

 前世で彼が、魔王に人質を取られて裏切った……そんな話をして、自分は何を期待していたのだ。

 魔王はひどい奴だからと、空那に言った。それは、単なる建前ではないか。

 彼に、自分になびいて欲しい。そんな本音が、心の中にあったのだろう。

 空那が砂月をひどい奴だと思えば、その分、自分が好かれるんじゃないか?

 あれは、そんな邪な下心から自然に出た言葉ではないか。

 自嘲気味に雪乃は呟く。


「……こんな私の、どこが正義なんだか?」


 空那は気にしていない様子だったが、その態度に、雪乃はホッとしていた。

 空那なら気にも留めないのではないか、という期待もあった。


 だが……やはり、言い訳だ。

 もしかしたら、その一言で自分に決めてくれるのではと、心のどこかで思ってもいた。

 実直であろう、正義を貫こうとすればするほど、自分の心には嘘をつけない。事あるごとに夢に悩まされるようになったのは、前世を思い出してからだ。


 ルールを破った。嘘をついた。困っている人を放っておいた。

 日常のどんな小さな出来事も、あるいは遠く離れた外国のニュースであっても、夢は心を責め立てる。


 なぜ、お前は正義を貫かない!? どうして、困ってる人を助けない!?


 ……無茶を言うなぁ。雪乃は思う。

 ここは、過去のあの世界ではない。自分はもう、英雄じゃないのだ。

 単なる女子高生には、正義を貫くのも限度がある。

 化け物じみた戦闘力なんて、何の役に立つんだろう?


 それから、保健室で空那にやってしまった事を思い出し、顔を真っ赤にして両手で覆った。


「勇者アルカ……前世の記憶。私に正義を強いるくせに、彼への思いだけは、抑えが利かないほどに暴走させる……ほんと厄介だわ!」


 ずっと前から、空那と恋人同士になれたらと、何度も考えていた。ラブレターの文面だって、考えに考え抜いて決めていた。けれど、実行する気はなかった。


 ……だって、砂月がいたから。


 彼女も、かけがえのない大切な存在だから。

 だから、空那が誰かを選ぶまで、我慢しようと思ってた。そして砂月を選んだなら……思いは心の中で、眠らせようと決めていたのに。


 なのに、前世が邪魔をするのだ。

 彼に対する『恋』や『感情』をたかぶらせてしまうのだ。

 行動に走らせる。

 考えるだけでやるつもりがなかった事を、チラリと考えただけの事でも、気を抜くとついやってしまう。

 そのくせ、正義を貫かなかった罰だけは……こうして身体に残していく。

 雪乃は疲れきった身体を横たえると、もう一度深く息を吐く。


(だけど、明日。あの子には……砂月ちゃんには、しっかり謝ろう……)


 彼女みたいに、やりたい放題に欲望をさらけ出せたらと、何度も思う。

 きっと砂月も、同じような『衝動』に襲われてるのだ。同士だもの。見てればわかる。

 でも、彼女はたぶん、この『衝動』にまったく抗ってない……あるいは、抗うだけの精神力がないのだろうか?


 それも仕方ないだろう。

 だって、彼女はまだ中学生だ。子供と言っていい年齢なのだ。もちろん雪乃だって、まだ十六歳だ。

 なので今日の保健室みたいに、負けてしまう事だって時にはある。だけど、彼女は反省もしていた。

 一度は『衝動』に流されて、彼を深く傷つけてしまったから……辛くても、必死で我慢する事に決めていた。

 毛布を身体に引き寄せて、雪乃は呟く。


「でも、溜めすぎはよくないわね。今日みたいに、爆発してしまうもの……」


 小さな浮島に自分は立っている。そこに、強い『衝動』が押しては返す。

 心の防波堤で、必死に自分を守るのだ。それが決壊したら、もう流され溺れるだけになる。

 だから、自分が耐えられるギリギリまで我慢する。そして限界がくる前に、少しだけ彼に甘えて『衝動』を減らしてもらう。

 それしか道はなさそうだ。


 ……なにかを選ぶことすらできないのは、不幸せだけど楽である。

 雪乃は、この狂おしいほどの『衝動』に抗う事を、完全に放棄してる砂月が羨ましくて……だけど、可哀想に思っていた。

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