学生のうちに彼女とイチャイチャしたい場所ランキング二位は保健室らしいぜ?

 次の日も、その次の日も、空那は昼休みに屋上へと足を運んだ。

 あまり喋らないアニスだったが、その目の奥には、いつでも真剣さが光っていた。

 『目は口ほどに物を言う』なんて言葉があるが、アニスは基本、無口で無表情なので、目から全てを推し量るしかない。

 しかし、彼女は決して空那の言う事を馬鹿にせず、一生懸命に話を聞いてくれる。

 前世だの妹に強引に迫られているだのと……詳しく話すわけにもいかず、それ故に有効なアドバイスは何もなかったが……話し終わると、困った時はいつでも助けると手を取り頷くアニスを、空那はいたく尊敬した。


 人間、無条件で味方になってもらえると、それだけで嬉しくなってしまうものである。

 アニスには、それを信じてしまえるだけの、『人柄』ともいうべき魅力があった。もっとわかりやすく言うと、ハッキリわかるほどに心根が素直すぎるのだ。


 その一方、昼休みに見せられるノートの冊数は加速度的に増え、書き連ねられる数式は日ごと複雑さを増していく。そして、ついには判別不能の言語のように崩れた数珠繋ぎが現れる。

 そんな理解できるはずもない内容だというのに……空那は、一目見ただけでミスを指摘し、訂正し、時には数式そのものを書き足した。


 なぜ、そんな事ができるのか?


 疑問に思うことは、何度もある。

 だが、その度に砂月と雪乃の顔を思い出し、


「まあ、魔王や勇者がいるんだから、正体不明の数式だってわかるよね!」


 と楽観的に考えるのだ。

 まったく意味はわからないが、考えてもわからないという点では、同レベルなのであった。


 なにより、彼は忙しい。

 学校、放課後、休日と、雪乃と砂月に全力でつきあい、夜には甘えてベッドにもぐりこむ砂月を追い出し、いぶかしげな友人には言い訳をし、そして両親には決して悟られない……八面六臂の八方美人振りを見せる彼にとって、屋上の先輩との昼食タイムは、唯一気が抜ける砂漠のオアシスのような癒しだった。

 彼だって、時にはブチ切れそうにもなる。


「お前らさぁ!? ウラヤマシイとか言うけどさっ!? 大切な幼馴染と妹がさあ!? いきなり前世だなんだってワケワカンネーこと言い出してさー!? トンデモねえ力で暴走始められてみろよ!? ……死ぬぜ、これ?」


 ……美少女二人に絡まれる彼を、嫉妬混じりに冷やかす友人達。彼らにそう怒鳴りたくなった事は、一度や二度ではないのである。アニスがいなかったら、空那はとっくに爆発してる。


 そんな、ある日の事だった。

 空那は体育の授業中に足首を捻ってしまう。すると、体育館で運動していた女子の中から、慌てて雪乃が飛び出してきた。


「空ちゃんっ!」


 蒼白な顔で駆け寄る雪乃を、女子が笑って見送り、男子が羨ましそうに見る。

 最近は、なんだか微妙な溝ができつつあったようだが……先週までは、校内でも指折りのバカップルと噂された二人である。

 これで元鞘か、と誰かが呟く。

 雪乃はかなりモテるので、狙っていた男子は舌打ちまじりだ。まあもっとも、相手が幼馴染では太刀打ちしようがないので、彼らも結局『空那の自滅待ち』だったわけだが……現実は『雪乃の自滅』だったと、誰が想像できたろう?


 痛みに呻く空那は雪乃に肩を抱かれ、保健室へと向かった。

 あいにく、保健医は不在である。

 無人の保健室で雪乃に湿布を貼ってもらっていると、不意に彼女がポツリと言う。


「空ちゃん……砂月ちゃんの事、どう思ってるの?」


 その言葉に空那は考える。砂月の呼び方が魔王でもあいつでもない……昔のような呼び方。だから、彼は言う。


「家族。妹だな。幸せになってほしい」

「……じゃあ、今の魔王は?」

「変な奴」


 雪乃はそれを聞き、下を向いてしばらく黙った後に顔を上げた。


「ねえ……!」


 雪乃は、ずいっと顔を寄せる。突然の事に、空那は驚いて椅子から立ち上がった。


「な、なに?」

「まだ、ダメ?」

「……なにが?」

「私たち、つきあってたじゃない。魔王がどうとか勇者がどうとかじゃなくて、今の私を改めて見ても、ダメ?」


 空那は、言葉に詰まる。


「ねえ。私、そんなにダメ? 私、ずっと空那の側にいたよ。恋人同士じゃないけど、側にいれるだけで我慢したよ。いつか空ちゃんが、私の事を好きって言ってくれるまで、ずっとずっと待とうと思ってた!」


 雪乃が立ち上がり、グイグイ迫る。面食らった空那は、痛む足をもつれさせてベッドにまで後退してしまう。

 なおもかまわず、雪乃は感情を吐露する。


「私、空那のためならなんだってしてあげたいと思った。一緒に遊園地で遊びたかったよ。夜景、見たかった! ホテルの部屋に、お泊りしたかったよぉっ!」

「お、俺だって、そりゃあ……一緒に……」

「思いを疑われても、仕方ないってわかってる! けど、あれは間違いなく私の意志だわ! そこに嘘なんて混じってないっ! 前世だなんだってのは、きっかけにしか過ぎないの! 遊園地だって、ディナーだって、ホテルだって、ずっと空ちゃんと一緒に行きたいって思ってて……っ!」


 雪乃は、自分の胸を押さえてガクガクと痙攣する。

 空那は驚いて手を伸ばした。


「ゆ……雪乃、大丈夫かっ!?」

「ず、ずっとそう考えて……だから……いつか行けたらって、ずっとずっと、お小遣い貯めてて……っ! そう、思ってたのに……くぅ……深く傷つけて、だから自業自得だって……ちゃんとわかってるのにぃ!? 悲しくて、寂しくて……う……私の、うぅ……や、やめて、無理に引き出さないでよ……っ、バカぁッ!」


 後半は、言葉になってなかった。雪乃が空那に抱きついて、二人でベッドに倒れこむ。

 彼女は空那の耳に唇を寄せ、涙声で続ける。


「もしも、空ちゃんが他の人を好きになったら、私、おとなしく身を引こうって思ってた! ……でも、もう無理だよぉーっ!? ……伝えちゃったもん! 我慢できなくて私の思い、今、全部言っちゃった! あ、ああっ、でも伝えられて嬉しいよぉ、恥ずかしいよぉ! うれしはずかしだようーっ!」


 そして空那を抱きしめる。雪乃の柔らかくて大きな胸が体操着越しに押しつけられ、密着する肌のすべらかさにクラクラする。

 雪乃は、ボスンと枕に顔をうずめて力一杯に叫んだ。


「あぁ、幸せだったぁ! 恋人同士だった時! 本当に……人生で一番、心から幸せだったよぉーッ!」


 そして、雪乃が空那の耳たぶを噛んだ。あぐあぐと。何度も、何度も、何度も噛んだ。

 まるで、そうしてる間だけは、言葉を口にしなくても済むという風にだ。

 噛まれた空那は身体を硬直させ、両手を上げて震えた。

 抱きしめないようにだ。


 そりゃあ、雪乃は可愛い!

 ここまで積極的に好きと言ってくれる女の子を放っておくなんて、男としてあるまじき振る舞いだ!

 できる事なら空那だって、欲望の赴くままに抱きたいのである!


 恋人として過ごした、甘い甘い記憶が蘇る……。


 だが、その一方で幼馴染として、親友としての雪乃の記憶が邪魔をする。

 それは、こんな急に豹変した雪乃に欲望を向けるのは、卑怯ではないか? と言う思いだった。


 人としての尊厳とはなにか? 真実もわからぬまま、流されていいものか?


 彼女の熱い吐息が首筋を焼き、柔らかい唇が耳やうなじに押しつけられる。ほんの少しの埃っぽさと彼女の汗の匂いに、脳みそがとろける。双丘と太もも、そして腕が服の上から彼の身体を強くなぞり、心臓が痛いほど跳ね上がった。


 一瞬……。空那は、身体の中が液体になって流れ出るような錯覚に陥る。


「尊厳、クソ食らえ! 真実、どれほどのものだ!? 滅茶苦茶にしてしまえ!」


 そう、本能が叫ぶ一方で、理性が必死に塞き止めるッ!


「やめろ! お前、これで抱いちゃった後、雪乃が『やっぱり前世とか気のせいだったみたい、全部なしね』とか言い出した日には、友達にも戻れないぞ!」


 ……それだけは、絶対に嫌だった。

 雪乃は、恋人としてつきあいだす遥か以前から、そういった欲望のベクトルとは別次元で大切な存在だった。

 ただ、そばにいたい。いつまでも一緒にいたい。

 共に年を取り、遊び、話をし続けたい。そう思える親友だった。

 無論、それがお互い納得ずくの恋人同士なら、なんにも言う事ないのだが……万が一に絶交でもされた日には、それこそ五年は余裕で引きこもる自信がある。

 だから、空那は必死に耐えた。

 魂が削られるような思いだった。


 心臓をバクバク高鳴らせながらも、涙さえ流して耐える空那を見て、抱きついていた雪乃はようやく落ち着きを取り戻し、身体を離す。

 そして、沈んだ声で言う。


「……ご、ごめんなさい。私……また……困らせてる。……ひどすぎる。本当に、最低だわ」


 空那は身を起こし、ぜはぁーっと息を吐く。


「い、いや……俺の方こそ、ごめん。嫌いなわけじゃないんだ! 大好きだよ。でも、なんか……」


 それ以上は言えなかった。だけど、雪乃は満足したらしい。


「ううん。私の事を大事に思ってくれてるって、伝わったよ!」


 いつものように、ニコリと笑って。

 だけど、その後に少しだけ顔が曇る。それから独り言のように呟く。


「……魔王は、本当にひどい奴だったよ。たくさん人を殺したし、物も壊した。一番ひどいのは、あなたの家族を人質に取った事よ。……それは全部、今のあの子じゃないって、頭ではわかってるんだけどね」


 それを聞いて、空那は考えた。

 確かにひどい話だが……まったく恨みが湧いてこないのである。

 当然といえば、当然だ。覚えていないのだから。


 人道的な意味で言えば、人を殺せば悪いだろうし、人質などは卑劣の極地だろう。だが、『魔王』と言っても、今の砂月しかしらない空那は、薄ぼんやりと「なにか理由があったんじゃないかなー?」くらいにしか思えない。彼は言う。


「そうか。まあ、そんな事があったのなら、思い出したらちょっと嫌な気分になるかもな」


 空那の言葉を聞いて、雪乃は己がなにを口にしたか、そこで始めて気づいたような顔になり、愕然とする。それから後悔の色を浮かべた。


「あう!? わ、私また、一体なにを……そんなつもりじゃ……」


 涙目で唇を噛み、うつむいた雪乃の背中を、空那は慰めるように優しく叩く。

 すると彼女は、痛みを堪えるような表情で、震えながら頷いた。

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