第1回ユーマチ会議(勇者、魔王、知将の略。なお、議題は『恋愛』である)
放課後、雪乃に弁当箱を返して一緒に校門を出ると、門の所に小柄な人影が立っていた。
人影は空那を見つけるとぴょこんと飛び出し、抱きついた。
「おにいちゃん!」
「砂月!? お、おいっ、こんなとこで抱きつくなよ!」
慌てて引き剥がそうとするが、逆に強い力でぐぐいっと引き寄せられる。
空那は諦めて、されるがままになりつつ、問いかけた。
「お前、なんでこんな所にいるんだ?」
「その女がおにいちゃんに妙な事しないように、見張ってようと思ってさぁ」
まったく悪びれない口調だった。
言われた雪乃は眉を寄せる。その顔には、鋭い険が見てとれる。
「妙な事をするのはあなたでしょう? 私は正々堂々やってるわ」
「なーにが正々堂々よ! お泊りデートとか計画してたくせしてさ! こんのエロ勇者っ!」
「うっ、そ、それは……ッ!?」
「どうせ、冒険中もぱふぱふばっかしてたんでしょ! ぱふぱふ、ぱふぱふーって!」
砂月は舌を出し、さらに空那の腕を抱く。
雪乃は何かを言い返そうとしてたが、空那をチラリと見ると、申し訳なさそうに顔を伏せた。
空那はため息を吐いてから、困った顔で言う。
「うーん。とりあえずさ……俺も、色々と考えたんだけど。もう少し詳しく話を聞きたいから、三人で集まらないか?」
丸一日、拗ねていじけて悩んだ結果、空那は二人の言い分を、もう少し聞こうと決心したのだ。
その一言に、他の二人も顔を見合わせ、大きくうなずいた。
そうして三人が集まったのは雪乃の家だった。
空那の家は狭いし、母親が帰っているかもしれない。もしも万が一、またこの間のような争いにでも発展すれば、言い訳するのにも一苦労との判断からだ。
事実、昨日の有様はごまかすのに大変だった。
ゴキブリが出たのでパニックになった砂月が、包丁を持ち出して振り回した所、火事場の馬鹿力的現象で切り裂いたと説明したが……よくもあれが通用したものだと、空那は思う。
おっとりした人のいい母が、いつかオレオレ詐欺にでも引っかからないかと心配である。
雪乃の家はとても広い。父親が有名な日本画家だそうで、足を踏み入れると独特のお香や染料の匂いが鼻をつく。途中、雪乃の母親に会い、
「あらまあ、こんにちは。砂月ちゃんも一緒なのねぇ、いらっしゃい!」
と声をかけられる。三人の間の複雑すぎる関係など知る由もない笑い顔に、空那も愛想笑いを浮かべるしかない。
長い廊下を渡り、通された雪乃の部屋は、子供の頃からほとんど変わらない。ぬいぐるみに、机に、ベッド、小さな冷蔵庫、本棚にはたくさんの画集。ただ、年頃の女の子らしく、クローゼットが大きめになり、机の上にノートパソコンが増えている。
クッションに座ると、雪乃がペットボトルの紅茶と人数分のグラスを並べる。
それを見て砂月が、
「最近の若い勇者は紅茶も満足に淹れられないんだねー。恥ずかしいねー?」
とかブツクサ言う。
空那は無視してキャップを開けると、グラスに注いで一口飲んだ。よく冷えた、スッキリと甘い紅茶が喉を通っていく。
それで唇を湿らせてから、空那は口を開いた。
「えっと、それでさ。一応、聞いておきたいんだけど……」
前置きをしてから、空那はまた紅茶を飲む。そして、
「……お前ら、いつからそういうの思い出したの?」
そういうの、とは。彼女らがいう前世の記憶とやらの事だ。
空那は、若干緊張しつつ、二人の顔を交互に見る。
下手をしたら、幼い頃の雪乃との思い出や、十余年に及ぶ砂月との家族生活さえもが否定されかねない。
しばし言いよどむが、雪乃が口を開いた。
「私は……一ヶ月より少し前から」
ちょうど、空那とつきあい始めた頃である。
「じゃあ、やっぱり、その前世ってのを思い出してから、俺に告白したんだな?」
こくり、雪乃が頷く。
空那は、深く溜め息を吐いた。結局、彼が告白されたのは、前世ありきと言う話らしい。
ただ……その一方で、救われてもいた。
幼い頃から高校までの彼女との思い出は、そういったよくわからない、オカルト染みた話とは無関係だったからだ。
雪乃は顔を上げていう。
「で、でも、私が空ちゃんの事が好きなのは、本当だよ? ずっと前から好きだったの。だけど恥ずかしくて言えなかった……。そしたらある日、急に前世を思い出して。で、空那の家族に魔王がいるじゃないの。それで、困って……」
「なるほどね!」
空那は頭を振りながら、今度は砂月に問いかける。
「で、お前は?」
「アタシ? アタシも、ちょうどそのくらいかなぁ」
こちらも、奇行が目立ち始めた時期と重なっている。
「……じゃあ、なに? お前ら、同時に思い出して、そんで同時にこんな事をし始めたわけ?」
雪乃は、あわあわと手を振る。
「い、いや! 私は魔王が動かなかったら、ずっと空那の幼馴染ポジションでいいかなーって思ってたんだけど……でも、なんか、明らかに向こうも思い出してるっぽいし。上履きに画鋲入ってたり、怪文書が届いたり、楽しみにしてたプリンとかもなくなるし……」
じろりと空那は砂月を睨む。
「お前、そんな事したの?」
「してない、してない!」
ぶんぶん首を振ってるが、多分、嘘だ。
砂月は嘘をつく時に薄笑いになる癖があるのを、空那は知っている。
雪乃は激昂して詰め寄った。
「明らかにあなたの仕業じゃない! なによ、『三日以内に勇者とか言うノーテンキな前世を忘れて町から出て行け、さもないと不幸が訪れる』って!」
「はあ? 証拠はあんの? 証拠は! 大体、最後のプリンとかどう考えてもアタシじゃないでしょ!?」
「私の部屋の冷蔵庫に入ってるプリン、他に誰が食べるっていうのよっ!」
「アタシじゃないもーん! 森永のコーヒー牛乳プリンとか知らないもーん! アタシ、どっちかっていうと白い牛乳プリンのが好きだもーん!」
「ほらぁー!? やっぱりーっ!」
騒ぎ始める二人に割って入り、空那は言う。
「まあ、とにかく! その話は一旦やめよう。それよりさ、今後の事だけど……」
その言葉に、三人は居住まいを正す。しばしの沈黙の後、砂月が手を上げる。
「はい」
空那は手で促した。
「どうぞ」
「まず、そこのバカとの恋人関係は、白紙に戻すべきだと思います」
雪乃はギロリと睨むが、空那は頷く。
「うん、まあ、そうだな。この状態で雪乃とつきあい続けるっていうのは……俺も、ちょっと辛い」
雪乃が絶望的な顔をする。
「そ、そんなぁ……っ!」
すかさず、からかおうとする砂月の口を手で抑え、空那は言う。
「普通の友達同士に戻ろうよ。俺は雪乃が嫌いなんじゃない。ただ、俺はその知将……なんだっけ?」
「セレーナ」
「そう、それ。俺は、その変なのとはまったく関係ない、ただの俺なんだよ。俺、雪乃に告白されて、本当に嬉しかったよ。毎日、とっても楽しかった。だから、雪乃の告白がそういう前世絡みのよくわからない話から始まったなら、それはないものとして、もう一度考え直そうって言ってるんだ」
うつむいた雪乃の目から、ポロポロと涙が落ちる。
思わず怯む空那だったが、ここは絶対に引いてはいけないラインである。ぐっと踏みとどまった。
できるだけ穏やかな声で、優しく言い聞かせるように続ける。
「大丈夫だ。雪乃が俺自身を大切に思ってくれてるのは、ちゃんとわかってる。だって俺たち幼馴染で、ずっと親友だったもんな! ……だからもう一度、前みたいに戻ってさ……それでも、雪乃がこんな俺の事を好きって言ってくれるなら、それはすごく嬉しいと言ってるんだ!」
雪乃は何度か、こらえるように肩を震わせる。
だがやがて、右手で涙を拭うと顔をあげ、ニッコリ笑った。
「……うん、わかったわ! また、前みたいに友達から始めようね!」
愛くるしい笑顔だった。ここで屈託なく笑えるのだから、本当にすごいと思う。
空那の心がズキズキ痛む。
ああ、あのまま何も起こらずに雪乃と甘い恋人関係を続けられたら、お互い、どんなに幸せだったろうか?
しかし、記憶は消す事ができない。裏を知ってしまった以上、これは譲れないケジメであった。
空那もまた、切なさで今にも悶え死にそうになっていた。
砂月がまた、手を上げた。空那が頷いて促す。
「どうぞ」
「で、おにいちゃんは、アタシとつきあうのがいいと思います!」
その一言に、雪乃の笑みが凍りつく。室内に、微妙な空気が満ちていく。
空那がうんざりしたように口を開いた。
「いや、だから。そういうのは道徳的にだな……」
バン! 机を叩いて砂月が怒鳴る。
「道徳もへったくれもないのっ! アタシは魔王なのっ! アタシがルール!」
「でもさぁ……そもそもお前、俺とそんなにベタベタするほど仲良くなかったじゃないか?」
その一言に、砂月は鼻を鳴らす。
「態度に出さなかっただけで、ずっと好きだったもん!」
「……本当かぁ? 雪乃以上に、お前の態度はあからさまに変わりすぎて、怖いんだよな」
「こっちが本当のアタシだもん!」
「だもん、じゃなくて。雪乃の件を別にしても、やっぱりお前ともつきあえない」
「なんでよぉ!?」
「だって、俺たち兄妹だろ」
「兄妹ったって、義理のでしょっ!」
「それと、もうひとつ。今言った、態度の問題」
「……どういう事よ?」
空那はグラスに残った紅茶を、一息に飲み干してから口を開いた。
「俺は、お前の性格が変わりすぎて、怖いの。もしかしたら、お前がその前世の記憶とやらに引っ張られて、盲目になってんじゃないかって思ってる。本当のお前の気持ちじゃないのに、例えば、そういう言葉に釣られてつきあい始めたとする。それは、お前の元の人格を否定する行為だ。だから、家族としてできない。もしもこの先、お前がそういう前世とか関係なしに言ってるんだとわかったら、俺も真剣に考えるよ」
砂月は唇を尖らせる。
「おにいちゃんも、思い出してみればいいんだわ! そうすれば、どんな気持ちかよくわかるから……」
憎まれ口だったが、雪乃も神妙な面持ちで頷いた。
窓の外を見ると、すでに夕闇が迫っている。
空那は立ち上がって言う。
「じゃ、当面の話はこれで決まったな。今日は、もう帰るよ」
雪乃がおずおずと言う。
「晩ご飯、食べていかない? 私、作るからさ」
「いや……親に、なにも言ってないし」
雪乃は、なおもチラリと上目遣いで視線を寄こし、手を伸ばして空那の袖を控えめに引っ張り、もう一度言う。
「……だめ? 頑張って、美味しいの作るよ? 空ちゃん、なにが食べたい?」
甘えるような声だった。思わず、ぐっと言葉につまる。
さっきまで泣いていたので目が潤み、頬が上気して赤い。長いまつげが悲しげに瞬いている。
普段はシャンとしてる癖して、ここにきていきなり、この甘えるような態度である……はっきり言って、めちゃくちゃ可愛い!
思わず口から出そうになる、「よし! やっぱり今日はごちそうになっちゃおうかな!?」を必死に飲み込む。
空那は、陥落しそうになる心の砦を建て直し、首を振った。
「い……いやぁ。きょ、今日の所は……やっぱり、帰るよ」
すると雪乃、急に拗ねたように嫌々しつつ、おねだりしてきた。
「ええーっ? どうしても、だめぇ? 私、空ちゃんに温かい手料理、食べてもらいたいのよぉ! お願いだから、食べてってよぉ!」
「え? ええっ!?」
空那は驚いた。
砂月ならともかく……雪乃のこんな子供っぽい態度、見たことない。
彼女、いつもは
それもよりにもよって、『自分の温かい手料理を食べさせたい』なんて、非常に可愛らしいワガママなのだ!
この、初めて見せる意外な一面には、さすがの空那もグラリときた。
……ガシャーン! ガシャーン!
うわー! ダメです、隊長! バリスタです! もう、耐えられません! 門扉が壊されそうです!
怯むなーッ! なんとかして体勢を立て直すんだーッ!
心の中の防衛隊長が、大声を上げる。
ややあって、空那はなんとか言葉を絞り出す。
「だ……だめぇ。か、帰る……」
「だめかぁ……だめなのかなぁ? ……ほんとのほんとに、だめなのかな?」
「ほ、ほんとのほんとに……だめぇ」
おねだり雪乃を、砂月がずっと白い目で見ている。
……まったく、とんでもない攻城兵器であった!
雪乃は、しばし悲しそうにしていたが、やがて立ち上がって部屋のドアを開け、笑顔で言う。
「うん! わかった! 明日のお弁当も、頑張って作るからね!」
「……う、うん。楽しみにしてる」
頷きながら部屋を出て、空那は思った。
(……やっぱ、雪乃の性格も、かなり変わってるかもしれない)
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