それを捨てるなんて、とんでもない!
「はい……お茶だけど」
ブーたれた顔で砂月が湯のみを三つ並べる。
空那は、そのうちのひとつを手に取り、啜りながら呆れ顔で言った。
「つまり、なんですか? 二人は前世で、勇者と魔王だったと?」
雪乃がバツが悪そうに正座しなおす。
「うん。私が勇者アルカ」
せんべいを齧りながら、砂月が頷く。
「そう、アタシが魔王シェライゴス。もう少しで世界統一できそうだったのに、そこのバカが邪魔してくれたの」
引きつった顔で空那は、自分の胸を親指でトントンと叩く。
「それで? 俺はなんなの? なんなわけ?」
雪乃が答える。
「だから。私の恋人の、知将セレーナ」
砂月がジロリと睨み、言う。
「いや、最終的にはアタシの本妻なんだけど?」
雪乃が、バン! と机を叩いて立ち上がった。
「それは、あなたが卑怯な手で寝取ったからでしょっ!」
「おにいちゃんは自分の意思でアタシのとこへ来たのだ。そもそも、最後はアタシと一緒に死んでくれたんだぞ? これ以上に深い愛があると思う?」
その言葉に、雪乃が空那の肩へと手を回し、自分の方へ引っ張った。
「あなたが、モテなくてモテなくて可哀想だからでしょ!」
「あーあー。そういうの、ストーカーって言うんだぞ」
雪乃の奥歯がギリッと音を鳴らす。
「ス、スススス、ストーカーはあなたでしょおっ!」
「捨てられたの! あんたは、ふられたの!」
馬鹿にしたように言いつつ、砂月が空那に抱きつき、頬ずりする。
雪乃が嫌々するように首を振り、大声で叫び返す。
「過去はどうあれ、今は間違いなく私と恋人同士よ! 一ヶ月前にラブレター渡して、オーケーしてもらったもの!」
「わ、こわーい! それ、ホントにあった話ですかー? 夢の話じゃないんですかー?」
「本当にあった出来事よ!?」
「だったら、キスは? 恋人同士って言うなら、キスはもうしたのよね?」
「う。そ、それはまだ……だけどっ」
砂月が、勝ち誇ったようにニヤリと笑う。
「アタシなんか、さっきおにいちゃんとキスしたもん! おにいちゃんの唇は柔らかかったぞー! どうだ、まいったか!」
「それはっ!? あなたが無理やり奪ったんでしょうが! 町を魔物に襲わせたり脅迫したり盗んだり、いっつもそんなゴリ押しばっかで恥ずかしくないの!? もっと本人の意思を尊重しなさいよ!」
そのまま、ぎゃいぎゃい言い合いを続ける。
空那が勢いよく立ち上がり、両隣にいた二人は転がった。
「ちょっと待てよ! その前に俺は、その知将ナンチャラじゃないって言ってんだろ!」
その言葉に、少女達はきょとんと見上げる。そして、二人そろって言う。
「「いやいや、それは間違いないから!」」
空那は頭を抱えた。転生、前世の記憶、勇者に魔王……今時、中学生でも考えないような、こっ恥ずかしいストーリーである!
これを真顔で人に話した日には、翌日から友人連中に微妙に距離を取られた挙句、あだ名は邪気眼か黒歴史あたりになるだろう。
だがしかし……目の前でお茶を飲む妹の腕が異形に変わった瞬間を、雪乃が単なるビニール傘で壁や鏡を、まるでバターのように切り裂いた瞬間を、彼は見ている。
あれは断じて夢でも幻でもない……現実だった。
頬を引っかくと、先ほどかかった血の
空那は、爪の先にこびりついたそれをジッと見つめながら尋ねる。
「まあ……よしんば俺が、その知将ナンチャラだったとしてだよ? なんで、お前ら二人が取り合う事態になるわけ? 俺はそんなの覚えてないんだから、放っておけばいいだろ?」
雪乃が困ったように言う。
「それは……私だって、一番尊重したいのは空那の意志よ。だから、空那が自分で好きな人をみつけてたら、たとえ私自身が前世の記憶が戻ってたって、こんな風に告白なんかしなかったと思う。……でも、そいつだけはダメ!」
言いながら、指を砂月に突きつける。
砂月はまったく悪びれた様子もなく、座布団に座り直すと言った。
「アタシは、そんなの気にしないもん。アタシが好きだから、好きって言ってるの」
「……兄妹のくせに、よく言うわ」
「兄妹っていっても、義理のだもーん」
そのやり取り。空那は嫌な予感がしつつ、雪乃に尋ねた。
「……え。じゃあ、なに? もしかして、雪乃が俺に告白してくれたのって……砂月が俺の側にいたから?」
雪乃は、気まずそうな顔で黙り込む。
「そ、そういうわけじゃないけど……」
「そういうわけでしょ? 聞いた、おにいちゃん? こいつの行動原理はね、愛じゃないの。バカにしてるよねー?」
しかし、空那は黙って雪乃を見つめる。こういう真っ直ぐな無言の視線に、この娘は弱い。己に非がある時は勝手に耐え切れなくなり、素直に喋ってしまうのだ。
幼馴染の経験則で、空那は知っていた。
するとやはり、沈黙した空気に堪らなくなったのか、雪乃はゆっくりと話し始めた。
「く、空ちゃんが……正確に言うと、空那の前世の知将セレーナの知識の中に、古代遺産があるから……そんなもの、魔王に渡せないわ!」
空那は、胡乱な目を向ける。
「ほう。古代遺産とな?」
「その……巨大な船の記憶なのよ。船の管理者はあなたのままなの。スキーズブラズニルってとんでもない兵器で、あっという間に世界を制圧できる無敵の力があるわ。私達はそれを使って魔王と戦ってたんだけど……その、セレーナ……っていうか、前世の空那がね。私たちを裏切って……船を封印しちゃったのよ」
空那は、イライラしながら机を指で叩いた。
……古代遺産? スキーズブラズニル?
そんなもの、知った事かと!
それより先に、ハッキリさせねばならない事がある!
「じゃ……なにかっ? お前、結局は俺にベタベタしてたのは、俺の中のその、知将ナンチャラの記憶やお宝が欲しくって、ご機嫌とってただけなのか?」
「そ、それは……! そういう言い方されちゃうとぉ……アレなんだけど」
空那は深く……深く、溜め息を吐いた。
その様子に、雪乃の表情が悲しげに曇る。そして、意を決したように口を開いた。
「もちろん、そういう力がある事はわかってたわ! 魔王も側にいたし、放っておけないから……でも、告白したのは間違いなく私の意志! あなたが、好きなの! それは本当よ、信じて!」
砂月がニヤリと唇を歪める。そして、甘い声で擦り寄って来た。
「アタシはそうじゃないもん。アタシ、裏表ないもん。スキーズブラズニル、いらないもん。ねえ、おにいちゃん? アタシがおにいちゃんとくっつきたいのは、おにいちゃんの事が大好きだからだよ! そんな古代遺産の船なんて、どうでもよかったの!」
雪乃の顔に朱がさした。
「嘘よッ! 騙されないで、空那! 悪魔はそうやって、耳触りのいい事ばかり言うのよ!」
「なにが嘘なものか! 確かに、古代遺産は魅力的だ! だが、アタシのおにいちゃんに対する愛は本物だぞ!」
「なにをふざけた事を!? それなら私の愛だって本物よ!」
「お前こそ、後出しで真似してなにを言う! 真似すんな、バカ!」
ついには二人で取っ組み合いを始めた。だが、空那は今度は止めない。
押し殺した声で、静かに言う。
「悪いけど。しばらく一人にさせてくれ」
そして、ふらりと自分の部屋へと行ってしまった。
残された二人は、しばらくそちらを見ていたが、やがて困った顔で雪乃が立ち上がる。
「とりあえず、今日は帰るけど……あなた、余計な事はしないでよ?」
「ふん。二度と来るな」
「あなたの買った家じゃないでしょ!」
「アタシの家族の所有物だ。悔しかったら、ひとつ屋根の下に住んでみろ。同じお釜のご飯食べて、お風呂のお湯だって一緒なんだぞ! うらやましいか? べろべろーん」
思いっきり馬鹿にした顔で追い返す砂月に、まさか、「帰りたくないから今夜は泊めろ」とも言えず、雪乃は歯を食いしばって睨みつけた。
一方、部屋に帰った空那は、電気もつけずにベッドの上にどさりと体を横たえる。
午後の日差しは曇り、部屋の中は薄暗い。
なんだか、すっごく馬鹿らしい。
「……いや。バカは俺か」
自嘲気味に、口のなかで呟く。
結局、雪乃が恋人になったり、デートに誘ってくれたのは、彼の前世とやら、そして頭の中にある古代遺産が目的だったらしい。
空那自身にその自覚はまったくないが、だとすれば、なんとも馬鹿げた話である。
これではまるで、ピエロではないか!
鼻の奥がツンとして、悔しさに涙が滲んだ。
(……つまり、俺は単なるプレゼントのパッケージだったんだな)
雪乃も砂月も、中に入ってる品物が欲しくて取り合っていただけなのだ。
中身がどんなオモチャだろうが、いずれにしても包装紙に価値はない。
窓の外ではいつの間にか激しい雨が降っていた。バシバシとガラスを叩く雨音を聞いていると、妙に心が落ち着き、同時に沈んで行くのを感じた。
そのうち、なんだか変な笑いがこみ上げる。
「……はは。天気予報、外れてやんの。これじゃ夜景……見えなかったなぁ」
意識が気だるい眠りに引き込まれていくのを感じながら、目を閉じた。
どこにも出かけていないのに……ひどく、疲れていたのである。
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