知ってるだろ? これがいわゆる、魔王からは逃げられない……だ
待望の日曜日である。
あいにくの曇り空だったが、天気予報は明日まで持つと言っていた。
空那はウキウキしながら身支度を整える。
彼は、この日をまんじりともせず待っていた。雪乃とは通学も学校も一緒に過ごしていたが、二人とも緊張していて会話も少なく、どことなくぎこちなかった。
それというのも、すべては今日と言う日の為だ。
今日は、力一杯に楽しむのだ! ……できれば、朝まで。
少し寝不足の目を擦りつつ、空那は玄関で靴を履く。
と、その背後に誰かが立った。
後ろから絡みつく細い腕に、空那はぎくりと身を震わせる。
「どこへ行くの?」
「え? えっと、雪乃と遊園地でお泊りデート……」
しまった、と。空那は思う。
思わず、本当の事を言ってしまった。
肩越しに見える猫っ毛とリボンは、紛れもない砂月の物である。どうやら、墓参りについていかなかったらしい。
さて、めんどくさい事になったぞ、と視線を下げる。すると意外な事に、その目は涙で潤んでいる。
「行っちゃ……やだぁ!」
言葉と共に、涙がほろりと頬を伝う。
空那は焦った。生まれてこの方、こんなに焦った事があっただろうか? ってくらいに焦りまくった。
兄妹喧嘩で泣かせた事は何度かあったが、外出で泣かせるのはさすがに初めての経験である。
「い……いや、いやいや。だって、俺もう、約束してるしっ!」
だが、砂月はその腕を離さない。ギュッと力を込めてくる。
空那は、己の体にかかる意外なほど強い圧迫感に、かはぁ、と息を吐き出す。
鼻にかかった涙声で、砂月が言う。
「ねえ、行かないでよぉ……お願いだからぁ……おにいちゃあん!」
「うお、え、ちょっと……? あの……砂月さんっ? ちょお、痛っ……は、離していただけませんか?」
甘える声の妹に敬語で話しかけながら、空那はなんとか脱出しようと身をよじる。だが……これがなんと、外れない!
力いっぱいにもがいているのに、まるで石像にでも抱きしめられてるみたいにビクともしないのである!
なんだ、この怪力は!?
驚く空那の唇に、砂月の唇がゆっくり近づいて行く。
「ね、行っちゃ、やだよぉ……ごくり。うぁあ、おにいちゃんの唇、たまんないね……ふぅ、ふぅ……ね、キス……しよ?」
「いやいやいや、えーッ!? な、なんで突然、キスなんだ!?」
「なんでって……この体勢だったら、当然そうなるでしょ? くふぅ……」
「ならんよ!? なるわけないよ!? わからん! 全然、わからん! 説明を求める! わからんままで、されたくない!」
空那は暴れる。だけど両腕をがっちりホールドされているので、身動きできない。
冷や汗を垂らして空那は必死で抗った。だが、まったく意味がない。
頭をつかまれ、向きを強引に変えられる。肩越しに少しずつ近づく妹の小さな唇に、空那は戦慄した。
砂月が、熱い吐息を吹きかけながら囁く。
「ねぇん……アタシ、なんでもしてあげるからさぁ……今日だけは、家にいて?」
「な、なんでも!? なんでもて!? ……なにする気なの!? あのね! やっぱりさ、俺達、一応は義理とは言え兄妹だし……その、これ以上はいけ……むぐっ」
唇と唇が重なる。
……静寂の中、二人の息遣いだけが聞こえた。
ファーストキス。妹だから、ノーカン! ノーカン!
空那が頭の中で連呼した……その時だ。突然、玄関がガチャリと開く。
そこには、険しい顔した雪乃が立っていた。その背後では空が怪しく曇り、雷がゴロゴロと不穏な音を立てている。
空那の目が驚愕で見開かれる。
しかし、弁解しようにも口は塞がれ、言葉にならない。んーんーと呻く空那。
雪乃はわなわなと震え、唇を重ねる砂月を指差し、高らかに吠えた。
「そこまでよ! 魔王シェライゴス! 一度ならず二度までも、よくもこの私の恋人を!」
砂月が、ぷはぁと唇を離し、哄笑してそれに答える。いつのまにやらその肩には漆黒のマントが
「ふはははははは! よくぞ我が城へ来たと言っておこう、勇者アルカっ!」
火花を上げる少女二人に囲まれて、空那は呆然とその顔を交互に見比べる。
雪乃は傍らの傘立てからビニール傘を一本抜き出すと、それを構えてぎろりと睨む。放たれる殺気に、空那は慌ててその場を後ずさる。
「ちょ、ちょっと待って、雪乃! 今のは俺の意志じゃなくて、不可抗力だって!」
砂月が、馬鹿にしたように指をさす。
「ぶははははは! なんだ、その銅の剣にも劣るような貧弱な武器は!? そんな物で我が命が奪えるか!」
空那は青くなる。
「ちょ、挑発すんな! お前はっ」
瞬間、裂帛の気合を込め、横一文字に銀が閃く!
その一撃は真っ直ぐに砂月へと吸い込まれ……ガギィン! 鋭い金属音を響かせて、何かに弾かれた。
ごとり。少し遅れて、玄関に掛けてあった姿見が半ばで断ち切られ、床に倒れた。それを追ってパラパラと、コンクリートと建材の破片が落ちる。壁には深く、綺麗に切り裂かれた傷がついている。
雪乃は怒りに燃えた表情で舌打ちし、折れたビニール傘を投げ捨てる。落ちたビニール傘はぐしゃぐしゃに潰れ、その先には黒くと尖った何かが食い込んでいた。
さらに雪乃はもう二本、傘立てから両手で傘を抜き出すと、それを構えて踏み込んだ。
「魔王シェライゴス、覚悟ぉーッ!」
「ま、待てってばぁ!」
空那はあわあわと両手を突き出した。
しかし、静止の声も空しく。またしても殺気と共に二条の光がクロスして、稲妻のように宙を走る!
止める間もない早業だった。空那は悲鳴を上げてうずくまる。
「うわあっ!?」
死んだ! 今度こそ死んだ!
……と思ったけど、まだ首がついてる!?
ガクガク震えながら恐る恐る顔をあげると、そこには異形の片腕で二本の傘を受け止める、妹の姿があった。
ギリギリと音を立て、傘が腕に食い込む……が、砂月は余裕の薄笑いを浮かべている。彼女の腕は、巨大な獣を思わせる黒い毛皮に覆われて、凶悪で鋭い爪がドス黒く光っていた。
雪乃が歯を食いしばり、さらに強く踏み込む。異形の腕から鮮血が飛んだ。
焼けそうなほどに熱い血が空那の顔にかかって、ハッと我に返る。
「お……おい、待て! なんだこりゃ!? 説明しろっ!」
二人は一瞬、空那を見て気を殺がれたような顔をしたが、またすぐに視線を戻し、己の腕へと力を込め始めた。
それを見て、空那は急に悔しくなる。
(……なんだ、こいつら? 俺を完璧に無視して、勝手に喧嘩しやがって!)
腹が立った彼は、落ちていたスリッパで、二人の後頭部を思いっきり引っ叩く。
パカーン、パカーン! と。小気味いい音が、二連発で廊下に響いた。
「いったぁーい!」
「おにいちゃん、なにすんのよぉ!」
頭を抑えて抗議の声をあげる二人を見下ろし、空那は指を突きつける。
あまりの事態に動転していたが、彼にとっては結局、二人は幼馴染と妹であり、腹さえ括ればその態度に遠慮はないのだ。
「だからさぁ、説明しろって言ってんだろっ!」
しばしの静寂。
それから二人は顔を見合わせ、困った顔で話をはじめた。
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