第55話 友

 ありがたいことだ。けれど、ラシェルは一瞬躊躇してしまった。


「ぐ、グランドハープ……」


 普段練習していた小型のハープとは、絃の配置や間隔は同じであるものの、絃の数は圧倒的に多く、また、半音の上げ下げを足元のペダルを用いて行うため、当然ながら使用感は異なる。


「ひ、弾けるかな……」


 怖気づいているラシェルに避難誘導からもどってきたザックが声をかけた。


「本格的な楽器か。面白そうじゃねえか。何事も挑戦、だろ? なかなか無い機会だから、やれるだけやってやろうぜ!」

「ザック……」

「せっかくの演奏、楽しんだ者勝ちだろ。……あのお堅いリュークに、俺達の演奏を思いっきり聴かせてやろうぜ」


 こういう時は、楽天的なザックの性格がありがたく感じた。


「……そうね。やれるだけのことをやってみましょう……!」

「その意気だよ、二人とも」


 アルベルトがにこりと微笑んだ。


「さあ、僕らの音楽会を始めよう。今日の戦場はダンスホール……まさに、僕らに御誂え向きの舞台じゃないか」


 ラシェルもまた頷いて、連れだって楽器の方へと走り出した。


***


 ラシェルたちが走っていく間に、亀裂は大きくなった。

 彼らを守るように、フレデリカは繭と対峙する。

 中にはリュークがいる。叩き割るわけにはいかない。

 この硬い繭の中にはきっと、彼らの音も響かないだろう。

 ならば、出てきてからが勝負だ。


(なんとしてでも食い止めて見せる!)


 フレデリカは覚悟を胸に、その時を待った。

 パキ――

 繭のてっぺんから卵の殻が割れるように、硬質化した繭の破片が落ちた。

 そこから伸びてきたのは―― 一本の槍。


「あの槍は……リュークちゃんの聖槍――?」


 形状は確かにリュークの持つ槍と同じだ。だけど、そこから漏れ出る紫色の瘴気が、なんとも禍々しい。

 漏れ出る瘴気はどんどん密度を増していく。そして――

突如、その時は来た。


「きゃあ!」


 槍が激しい光を帯び、フレデリカは一瞬目を覆った。

 その瞬間、リュークを覆っていた繭が霧散した。

 そこには――

 背中の大きな羽根を持ち、鎧で覆われた戦乙女のごとき魔獣がいた。

 その手の歪な形状の槍からは、黒い靄が溢れ、紫色の稲光が走っている。

 顔の表皮も硬質化し、表情はまるで分らない。

 だというのに、硬く強張るような顔は何故か泣いているような気がした。


「リュークちゃん……。あなたはどんな姿になっても綺麗なのね」


 その姿を見て、フレデリカもなぜか泣きたくなった。

 人型を保ち続けている魔獣など、初めて見た。

 だが、それだけにこれまでフレデリカが遭遇してきた魔獣に比べて、格上だということがよくわかる。

 魔獣リュークが翼をはためかせ、ゆっくりとその大きな体を浮き上がらせた。

 黒光りする鎧を身に纏った、宵闇の戦乙女――魔獣リューク。

 全ての迷いから解き放たれたかのような、迷いのない槍撃が繰り出される。

 それをフレデリカは、ドレスを翻しながら、聖斧の重さを感じさせない軽やかな動きで受け流す。

 空中を自在に飛び回る魔獣の動きは、閉鎖空間であるがゆえに制限されているとはいえ、予測して動くのが難しい。

けれど、その一撃一撃の癖や動きに、リュークらしさを感じる。

 だからこそ、誰よりも傍でその動きを見てきて、時には訓練として武器を交えることもあったフレデリカには、誰よりも戦いやすい相手であることは確かだ。

 とはいえ、もともとフレデリカは力任せに戦うことを得意とするタイプだ。

 防戦一方の戦いには不慣れだ。


(守りながら戦う――。なんて大変なのかしら。貴女はいつもこんな戦いをしていたのね)


 リュークは英雄の父を持ち、その名に押しつぶされそうになりながらも、若くして副団長の座に就いた。彼女はいつも、団員すべてが無事生還できるように、周囲に常に気を配っていた。

 そんなリュークに背中を任せ、フレデリカは先頭を切って戦場を駆けた。


(だから、手柄はいつも私の物だった。血染めの狂戦士だ――最強の斧戦士だなんて言われたことはある。でも、本当に強いのはリュークちゃん――)


 リュークがいてくれなければ、思うように力を振るうことはできなかっただろうから。

 彼女は天才ではない。だが、並々ならぬ努力をしてきたことを、フレデリカは知っている。

 守りにも心を砕くリュークであったからこそ、その力は半減していた。

 だけど、今の彼女に護るものはない。

 おまけに魔獣リュークの槍は、まるで雷光のような禍々しい魔力を帯びている。その一撃は、斧を盾代わりにしたとしても、まともに受けてしまっては身体がもたないだろう。

 聖鋼で作られた鎧を身に纏っているならともかく、ドレスを着ている今はなおさらだ。

 ついには裾が邪魔に感じて、躊躇なく引きちぎった。

 狂戦士たる自分にはお似合いの姿だ、とさえ思う。

 けれど――


「いつものように、何も考えずに戦えたら、楽なんですけれど」


 フレデリカはどこか自嘲気味に微笑んだ。


「でも、誰よりも聖騎士らしく、潔く清らかだったリュークちゃんの槍が、こんなにも禍々しいものになってしまうなんて……」


 なんて悲しい。と言わんばかりに、フレデリカは顔を曇らせた。

 リュークの攻撃は、どんなに激しく動き続けようと、衰えることはない。

 一方、フレデリカは人一倍の体力を持っているとはいえ、ただの人間だ。必ず限界は来る。


「それまでに、どうか……リュークちゃんを、助けてあげて……」


 フレデリカが祈るように呟いた、その時だった。

 軽快な太鼓の音が鳴り響き、そのリズムに合わせるようにして、美しいハーモニーがホール内に響き始めた。

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