第33話 想いを伝える音楽③
「……シェル……? ラシェル?」
体を揺すられて、はっと我に返った。
「あっ……ご、ごめんなさい。私ったら、つい、聴き入っちゃって」
頬を伝う温かいものが涙だとわかり、慌てて手の甲でそれをぬぐった。
「いや、そんなに気に入ってもらえたなら嬉しいよ。つい、熱が籠ってしまったみたいだ」
ヴァイオリンを持つ手を降ろしながら、フォルが微笑んだ。
「フォルったら、昔に比べて格段に腕を上げてるのね」
「そうかな? でも、確かにこのヴァイオリンは、俺にとっては友達みたいなものだったからね。独りきりになってしまっても、昔から変わらず、ずっと傍にいてくれた」
その言葉を聞いて、ラシェルは切ない気持ちになった。
「そっか……。だからこそ、フォルは、ずっとヴァイオリンを続けてきたのね」
「これを弾いている時は、悲しいことも苦しいことも忘れて、音楽の世界に没頭できたからね。元はといえば、なんとなく習い始めたものだったはずなんだけど、意外と性に合ってたみたいだよ」
はにかむように微笑んだフォルを見て、ラシェルも気持ちを持ち直した。
「本当に上手だったわ! 趣味でそれだけの腕前なんだから、交響楽団にだって入れるんじゃないの?」
何の気なしに軽く言ったつもりだったのだが、ヴァイオリンを片付けようとするフォルの手が一瞬止まった。
「あ……ああ、そう言えば、昔、そんな約束もしてたね。でも、さすがに交響楽団は無理じゃないかなぁ」
「そんなことないと思う!」
思わず立ち上がって拳を握って力説してしまい、フォルは呆気にとられたようにそんなラシェルを見つめていた。
恥ずかしくなってしまい、肩を縮こまらせて着席した。
「ご、ごめんなさい。私ってば、フォルとの約束なんてすっかり忘れて、ずっとハープに触ってもいなかったのに、こんなことを言うなんて。勝手よね」
顔を赤らめたラシェルに、フォルはくすりと微笑んだ。
「いや、ありがとう。それだけ、俺の音楽がラシェルに響いたってことだね」
「うん、凄かった! 昔、フォルと一緒に行った音楽祭で感じたのと同じぐらい……ううん。それ以上に心が震えた気がして」
「そうか。だったら、俺の想いがちゃんと君に届いたんだね。君と再会できた喜びを、曲に込めたつもりだったから」
その言葉を聞いて、ラシェルははっとなった。
「想いが、届く……。これが……」
その感覚が、すとんと心の中に落ちてきたような気がした。
「また会えて嬉しい。また君と一緒に音を奏でたい。――そんな、俺の気持ちは伝わった?」
フォルはそう言って、ラシェルの横に置かれたハープを指さした。
ラシェルはぱっと顔を輝かせた。
「うん、伝わった……伝わったわ! フォル。私も貴方に伝えたい。この音で――」
ラシェルはハープを膝に乗せ、そっと弦に手を添えた。
日も暮れ切った頃、ラシェルはフォルの邸宅を出た。
まだ明るいうちに訪問したというのに、すっかり長居をしてしまった。
「ごめんなさい。こんなに長くいるつもりじゃなかったのに。おまけに夕飯までごちそうになってしまって」
宿舎の近くまで送ってくれたフォルにぺこりと頭を下げると、フォルは首を横に振って微笑んだ。
「いや、久しぶりに人と一緒に夕飯を食べることが出来たから、嬉しかったよ。君さえよければ、また来てくれるかな?」
「ええ、是非! 久しぶりにあなたと演奏して、音楽ってこんなに楽しいものだったって思い出せた」
演奏をする中で味わった気分の高揚を思い出すように、ラシェルは頬を紅潮させた。
とはいっても、ラシェルのレベルにフォルが合わせてくれた形での合奏だったわけだが。
「何だか、練習につき合わせるみたいになっちゃうけど……また一緒に演奏してもらえる?」
ちょっと遠慮がちに尋ねてみると、フォルはしっかりと頷いた。
「喜んで」
昔と変わらない優しい瞳に見つめられて、心が弾んだ。
だが――
「……と言いたいところなんだけど、ごめん。俺、しばらくの間、ここを留守にすることになりそうなんだ」
その言葉に、浮き上がった心がわずかに沈んだ。
「そうなの?」
「ちょっと配達の仕事でね」
申し訳なさそうにフォルが苦笑する。
だが、仕事なら、邪魔するわけにもいかない。
「あ……もしかして、私がお邪魔する前に来てた男の人からの依頼?」
「そう。また地上に行くことになるから、時間がかかりそうで」
「わかった。残念だけど……また戻ってきたら教えて」
せっかく演奏のコツを思い出してきたところということもあって、フォルと合奏が出来ないのは残念だった。
そんな気持ちが顔に出ていたのだろうか。フォルがそっとラシェルの頬をなでて微笑んでくれた。
「戻ってきたらまた連絡するよ」
それだけで気持ちが浮上するなど現金なものだが、温かい気持ちが戻って来て、ラシェルは微笑んだ。
「うん。私も任務があるかもしれないし、これからしばらくはお互いの仕事に集中することになりそうね」
「君も地上に降りるなら気を付けて」
「ありがとう。それじゃ、またね」
何故か去りがたくて、何度か振り向いた。
フォルはずっとラシェルが見えなくなるまで、そこに立って穏やかに笑いながら手を振ってくれていた。
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