第32話 想いを伝える音楽②
「え……!?」
ラシェルは息を呑んだ。
任務で遭遇した魔獣を思い起こすと、子供が変貌したものであったに関わらず、とてつもない力を持っていた。
記憶によると、フォルの兄・ケヴィンは、聖騎士の中でもかなりの手腕を持ち、武術にも長けていたはずだ。
そんなケヴィンをも亡き者にしてしまう魔獣の力に戦慄した。
(もしかしたらあの時、一歩間違えていれば、アルベルト団長も……)
紙一重でそんな悲劇が起こっていたかもしれないのだと痛感し、ラシェルは顔を強張らせた。
フォルはそんなラシェルの様子に気付いているのかいないのか、ケヴィンの肖像画を見つめたまま言葉をつづけた。
「かなりの大物だったらしくてね。その任務の中で生き残ったのは、騎士団十数名のうち……たった三人の新米騎士だけだったらしい」
「そ、そんなことがあったなんて……」
騎士団十数名ということは、おそらく騎士団の一小隊すべてが出動したのだろう。
ラシェルの所属している騎士団はさておき、普通の騎士団であれば相応の武術の訓練を受けているに違いない。その惨劇を目の当たりにし、生き残った新米騎士たちにもきっと深い傷を残したことだろう。
ラシェルにとってもこれは他人ごとではない。
(そんな悲劇を二度と起こさないためにも、もっとしっかりしなきゃ……)
聖騎士になる覚悟の重さを感じて、ラシェルは手にしたティーカップを強く握りしめた。
「ごめん。暗い話をしちゃったね。でも、兄さんならきっと、未来ある若い騎士たちを守れたなら本望だって言うと思うんだ」
「フォル……」
ラシェルの記憶の中のケヴィンは、いつも忙しそうで時々しか会うことはなかったが、顔を合わせた時はいつも、とても優しくしてくれた。
ラシェルが父親に怒られて落ち込んでいた時に、大きな手で頭を撫でてくれたことを、まだ鮮明に覚えている。
そんな心優しいケヴィンであれば、きっとそう言うのだろう。
でもだからこそ、そんな大きな存在であった兄を突然失ってしまったフォルの気持ちを思うと、胸が痛くなった。
俯いていると、そっとラシェルの頭にあたたかな手が乗せられた。
驚いて見上げると、フォルがふっと微笑んでくれた。
「ラシェル。もう八年も前のことだ。兄さんのことを忘れることは出来ないけど、悲しんでばかりはいられない。俺は兄さんの遺志を継いで、この世界の役に立つことをしたいと思ってるんだ」
にっこりと微笑んだフォルに、ラシェルもまた笑みを浮かべた。
「ええ、そうね……! 私はもともと、ケヴィンさんやフォルみたいな大志を抱いていたわけじゃなかったけれど、今は、私なりに出来ることをしたいって思ってる」
そう言ってから、ふと、持参したハープの存在を思い出し、「あっ……」と声を上げた。
「どうかした?」
「あ、あの、実は……今日ここに来たのは、フォルにハープを聞いてもらいたかったからなの」
「ハープ? それはもちろん構わないけど、驚いたよ。ラシェルもまだ音楽を続けてたんだね」
「えっと、それは、その……」
嬉しそうに顔をほころばせたフォルに、ラシェルはわずかに視線をそらした。
何しろ、フォルと会わなくなってからすぐに、良縁を得るために音楽を学ばせていたという父の思惑を知って以来、数年の間、ハープにろくに触れていなかったのだ。
続けていたとのたまうのは、さすがにおこがましいというものだ。
(とはいえ、騎士団の方針で練習を始めた……とも言いにくいし……)
それに、一からちゃんと説明すると長くなる気もする。
「えーっと、なんていうか……しばらく触ってなかったんだけど、フォルと会ったら昔を思い出して、懐かしくなっちゃって」
バツが悪くなりながらもそう言い逃れるが、フォルは気にした様子はなさそうだった。
「そうなんだね。俺もラシェルに再会してから、また君と弾けたらと思ってたところだったんだ」
そう言って、フォルは立ち上がると、部屋の片隅に置かれていたヴァイオリンを手に取った。
弦に弓が乗せられ、すっとフォルの腕が動くと同時に、滑らかな音がまろび出た。
(あ……)
音が耳に飛び込んできた瞬間、ラシェルの目の前に世界が広がった。
(引き込まれる……!)
曲目は、『再会』。
ラシェルも聞いたことのある、有名な曲だ。
二百年前に活躍した作曲家ヴェルスナー・フィーゲルが作曲したとされている、戦場にて別れた友と再び会えた喜びを、女神に感謝する賛歌だ。
曲の始まりは、友と語り合い、時に笑う――そんな穏やかな日々を描いた、春の日差しのような軽快な曲調だ。
だが、戦いが始まった時から、二人の運命の歯車は回り始める。
転調し、戦場での凄惨な光景、悲しみが描かれる。
そして唯一無二であった友を失った悲嘆にくれ、戦火の後をさまよい歩く。細く切ない旋律が続く。
だがやがて、絶望の淵にあった主人公の前に光がさす。
美しき女神が降り立ち、失われたはずの友が再び目の前に現れる。
力強く伸びやかに、弾けるような歓喜と共に、二人は歌うのだ。
友を救いし女神への感謝を!
その華やかに響く音にラシェルは思わず胸をつかまれるような感覚を覚えた。
(ああ……!)
目の前で輝く、あふれんばかりの光が見えた気がした。
その光の中からラシェルに手を差し伸べるのは、女神だろうか。それとも――
(音の世界に包まれていく……!)
最後の一音が消えるまで、ラシェルはその圧倒的な音の渦に震えていた。
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