第11話 音楽への道①
商業地区の一角。
多くの商業施設が含まれる複合建築物がいくつも立ち並ぶ中、ひっそりと佇む一件の店舗があった。
だがそれは、想像していた音楽教室ではなく――
「さ、酒場……?」
店頭に置かれている看板には、『酒場モルナー』と書かれていた。
そして、午前中である今の時間は、閉店中のようだ。木の扉にはまった硝子窓の奥には明かりが見えない。
(ど、どういうこと?)
困惑しながらも、せっかくここまで来て収穫無しに帰るわけにもいかず、思い切って扉に手をかけると、施錠されておらず、開く事が出来た。
中に入ると、狭い酒場のカウンターで、気だるげに煙草を吹かす女性店主の姿があった。
原色に近い黄色の髪と、濃い化粧。ド派手なドレスに身を包んだその店主は、突然入って来た訪問客に、面倒くさそうな声をかけた。
「……なによ、あんた。閉店中なんだけどぉ?」
店主のその声は、野太い。
そう、彼女――いや、彼は、女性の姿をした男だった。
「も、モルナー……先生……?」
ラシェルの記憶の中にある彼は、もっと厳粛な様相をしていたが、その独特の口調は変わらなかった。
(そうだった! 結構独特な感性をもった先生なんだった……)
そして、その一方で、音楽へのこだわりは大変強く、レッスンも厳しかった。
だが、その師が、今こうして音楽とはかけ離れた仕事をしているとは、予想外だった。
(でも、ぶつかっていくしかない!)
「すいません! 私……ラシェル・ハルフェロイスです! お、覚えてらっしゃいませんか⁉」
思い切ってそう叫ぶと、店主――モルナーはラシェルの方をじろじろと品定めするように見て来た。
そして、「ああ……」と声を上げた。
「ラシェル……ハルフェロイスですって? もしかして、五年くらい前にあたしのレッスンをボイコットした、いけすかないお子様?」
「あ、あの時は、その……すいませんでした!」
慌てて頭を下げると、モルナーは気だるげにため息をついて、煙草の煙を吐き出した。
「別にもう、どうだっていいけど。で、何の用?」
「私に……もう一度、ハープを教えて下さい!」
腰を折ったまま、強く叫ぶと、モルナーは困惑したように眉をしかめた。
「何よそれ。あの時はまったくやる気が無かったくせに、今更?」
「あの時は……自分でも、中途半端な気持ちでハープに向き合っていたことを、反省しています。興味があったからこそ始めたのに、いつの間にか、両親に無理矢理やらされているみたいな気持ちになってしまって……」
「これだから、良い所のお嬢様は面倒なのよねぇ。そうやってお膳立てしてもらえるっていうことがどんなにありがたいことがさえ、解ってないんだから」
「うう……それも、反省してます……」
それについては、言い返す言葉もない。
だが、ここでおめおめと引き下がるわけにもいかないのだ。
ラシェルは顔を上げ、モルナーを真っ直ぐに見た。
「でも、今は違います。私は……私なりの生き方で生きていくために、またハープを習いたいんです。どうしても弾きたい曲があるんです! お願します!」
ひるむことなく言い切ったラシェルに、モルナーはしばらくの間、驚いたようにこちらを見ていたが、やがて――ふう、と小さく煙を吐いた。
「……ふん。頼りなさげなお子ちゃまだったのに、随分と強い目をするようになったじゃない。弾きたい曲があるって言ってたわね? 見せてみなさい」
「え? あ、はい!」
慌てて教本に挟んであった楽譜を引っ張りだし、手渡すと、モルナーはその楽譜を食い入るように見つめた。
「……これ、誰が書いたの? どこの音楽家?」
「え? いえ、私の上司ですが……」
「……そう」
モルナーは静かに頷いてから、楽譜をラシェルに返した。
「不思議ね。繊細なようで、力強いようで、それでいて、あたたかな子守歌のようでもあって。まるで物語を読んでいるかのような、とても情感が込められた曲だわ」
その瞳には、先程までの気だるげな様子は無く、夢見る少年のようなどこか楽し気な色が宿っていた。
「あたしは、長く音楽をやっていたけれど、いつしかマンネリ化してしまって、音楽がただの作業になってしまっていたの。古くからある伝統の曲を弾くばかりで、新しい発見をすることも、進化することもないままに。それで楽団をやめて、個人で音楽教室を開いてみたけど、やる気はしぼんでいく一方で……いっそのこと音楽から離れてしまおうと決意した。そして、今はこの様よ」
そう言いながら、モルナーはちらりと店内を見渡した。
「でも……あんたと、その楽譜には、何だか……斬新な試みが感じられるわ。新しい、面白いことが始まる様な、そんな気がしたわ」
「先生……」
そこまで言ってから、モルナーはずいっと身を乗り出してきた。
「……ついでに聞くけど、その、アンタの上司ってイケメンなの?」
「え? は、はあ……それなりに……」
いや、思い起こすと、性格に癖はあるものの、団長も副団長もかなりのイケメンである気はする。
とはいえ突然の質問に戸惑いを隠しきれずにいると、モルナーはふっと自嘲気味に笑った。
「そう。わかったわ」
すると、モルナーはカウンターから出ると、それまで準備していた下ごしらえ中の食材などを片づけはじめた。
「先生?」
ラシェルがきょとんとしていると、モルナーはくるりと振り返り、強い口調で言った。
「何ボケっとしてるの。今から閉店の準備するから、その後から早速特訓よ!」
「えっ……⁉」
ラシェルの表情が、ぱっと明るくなる。
「ほ、本当ですか⁉」
「そう言ってるでしょう。その代り、いつかこの協奏曲が完成したら……あたしにも聴かせなさい。ついでにそのイケメンを是非紹介して頂戴。いいわね?」
「は、はいっ!」
「それと、あんたは大分腕もなまってるだろうから……これからしばらくの間、毎日ここに通ってもらうわよ」
「えっ、ま、毎日ですか?」
「そうよ。あの曲を早く弾けるようになりたいんでしょう? なんか文句ある?」
「い、いえ! が、頑張ります!」
――こうして、ラシェルの特訓の日々が始まった。
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