第9話 団長の意思①

 ――翌日。

 新生活の準備をするためという名目で休みを申請したラシェルは、普段着を着用して、騎士団領内の馬屋に向かっていた。

、その手には、ハープの教本と、そしてエンデ内の詳細地図が握られている。


「商業地区アネルディアかあ……確か、ツェントラルから南の大橋を渡っていけばいいのよね」


 思惑しながらも、おもむろに地図を開く。

 エンデは中央に位置する一際大きな大陸――《神殿地区ツェントラル》を中心に、4つの離れ小島が周囲を取り囲むようにして浮かんでいる。

 東方部の《居住地区オプレンティア》。

 西方部の《農耕地区ファーネシア》。

 南方部の《商業地区アネルディア》。

 そして北方部に位置する《魔力管制地区ルドルベギア》。

 各々が長く堅固な架け橋によって、中央神殿地区と繋がっている。


「馬なら日帰りで行って帰って来れるはず。自力で行ったことがないから、ちょっと不安だけど……」


 自らを奮い立たせるようにそう呟きながら歩いていると、急に遠くから声をかけられた。


「おーい! ラシェル君じゃないか!」


 驚いて顔を上げると、馬屋の方角から進んできた立派な馬車の窓から、見知った人物の顔が見えた。


「アルベルト団長……!」


 慌てて地図と教本を隠すと、馬車はラシェルの目の前で止まり、開いた扉からアルベルトが姿を見せた。


「やあ! 今日はお出かけかな?」

「は、はい。お休みを頂いたので、今後の生活必需品を買うためにも、商業地区の方に足を運ぼうかと……」


 そう取り繕うと、アルベルトが嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。


「奇遇だね。僕も今から商業地区で買い物に行こうと思っていたんだよ。ほら、昨日、訓練室の壁紙の色の話をしていただろう?」

「は、はあ……」


 そういえば、そんな話をしていた気もするが、まさか本当に変えるつもりだとは――と引きつった笑みを返していると、アルベルトが良いことを思いついたとばかりに言った。


「そうだ! 僕の自家用馬車でよければ、送っていくよ」

「えっ?」


 突然の提案に、ラシェルは一瞬固まった。


(ど、どうしよう……)


 ラシェルの本当の目的は、買い出しなどではなく、かつての師の元へ行って、すっかり勘を失ってしまったハープを教えてもらうことだ。

 とはいえ、それをアルベルトに知られてしまっては、失望されてしまうかもしれない。


(でも、無下に断るのも悪いし、送ってもらえれば助かるのは確かだし……適当なところで降ろしてもらえばいいか)


 そう判断して、ラシェルはアルベルトの誘いを受けることにした。


「じゃ、じゃあ……お願します」


 馬車に乗り込んで、ラシェルは思わず目を見開いた。

 外観は騎士団領を走っていても違和感がない、落ち着いたデザインの馬車であったが、その内装は、白地のふかふかの座席には惜しみなく金糸の刺繍をあしらい、装丁にも艶やかな金細工を施した、絢爛豪華なものだった。

 ラシェルの実家も貴族ではあるもののあまり裕福なわけではないので、ここまでの華やかな馬車には乗ったことがない。


(こ、これが団長の自家用馬車?)


 一体どんな良家の出身なんだろう――と思わずにはいられず、しばらくの間唖然としていると、そこにアルベルトがにこやかに声をかけてきた。


「ラシェル君、騎士団領での生活はどうかな? まだ二日目だから手探りかもしれないけれど、今のところ不都合はないかい?」

「……は、はい。お陰様で、快適です」


 慌てて我に返ってそう答えると、アルベルトは「なら良かった」と微笑んでから、今度は少し神妙な顔つきになった。


「ところで、君は、後悔はしていないかな?」

「え?」


 予想外の問いかけに戸惑っていると、アルベルトが少し困った様に笑った。


「我が騎士団は通常の騎士団とは少し違うからね。もし君の本位ではない形での入団になってしまったなら、申し訳ないことをしたと思ってね」


 やたらとテンションが高く、底なしに前向きだと思っていたアルベルトから、まさかそんな風に言われるとは思わず、ラシェルは驚きながらも慌てて頭を横に振った。


「いえ……むしろ、感謝しています。本来なら、こんな私を歓迎してくれる騎士団の方が少ないでしょうから」


 それは、入団採用された時から、ずっと考えていたことだった。

 あの日、面接に来ていた屈強な男たちに比べて、ラシェルはあまりにも華奢で貧弱だった。武力を採用基準とするような実力主義の騎士団だったなら、採用されていなかったのではないか。

 そう思っていたからこそ、むしろ疑問も生まれた。

「そういう団長は、どうして私を入団許可してくださったんですか?」


 面接の中で確かにハープを習っていたとは言ったが、その実力についてはまったく言及することなく、アルベルトはラシェルの採用を決めた。

それは博打ともいえる、あまりにも思い切った判断だったのではないだろうか。

 だが、その疑問に対して、アルベルトはにこりと笑みを浮かべながら即答した。

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