第8話 破天荒な団長②
とんでもない男に出会ってしまった。
初対面のラシェルでこうなのだ。以前からずっと振り回されっぱなしのサイラスの苦労が忍ばれる。
サイラスの眉間の皺が深くなる要因を痛感し、心の底から気の毒に思った。
「それはそうと、ラシェル君。昨日渡した楽譜は読んでくれたかな? この騎士団のために僕が作曲した聖なる音楽だよ!」
アルベルトから急にそう問われて、ラシェルは一瞬固まった。
「え⁉ えーっと……そ、それは……まだ……」
しどろもどろになりながらそう答えながら、自分には大きな問題がまだ残っていたことを思い出した。
(そういえば、こうなってくると、思っていたよりも本格的にハープの練習を頑張らなくちゃいけないんじゃない……⁉)
「……家を出るまでに時間が無かったもので、まともに読めてなくて……」
そう取り繕うと、アルベルトは眩しい笑顔を返してきた。
「ふむ、なるほど。じゃあ、得意な曲とかで良いから、何か弾いて聞かせてみてくれるかな?」
「えっ⁉ 今ですか⁉」
「ああ!」
にこにこと満面に笑み浮かべながら指示されたのは、台の上に置かれた小ぶりのハープだ。
だが、当然ながらラシェルは大いに躊躇した。
もう何年もハープに触っていないのに、まともに弾けるはずが無い。
ハープを習っていたことを評価されてこの騎士団に入団できたというのに、ここで恥を晒しては、失望されてしまうに違いない。
「そ、そのう……騎士団領に来たばかりで疲れていますし、不慣れなハープだと音ののりも悪いので、今日は遠慮したいのですが……」
わずかに青ざめながらそう言うと、それを体調が悪いと捉えたのか、サイラスがアルベルトを制した。
「確かに昨日の今日で、怒涛の日程だったからな。アルベルト、逸る気持ちはわかるが、お前は焦り過ぎだ。初任務までまだ日もある。今無理に弾かせる必要もないだろう」
「ふむ、言われてみればそうかもしれないね。新しい楽器と向き合う時間も無しに、不躾に弾いてみてくれと言うのは、奏者にとっても楽器にとっても失礼な話だったね」
アルベルトは申し訳なさげにうんうんと頷くと、置かれていたハープを持ち上げ、ラシェルに渡した。
それは、偶然にもラシェルが以前学んでいた練習用ハープと同じ位のサイズだったが、久しぶりに手にしたその重みがずしりと全身に圧し掛かってくるように感じた。
「それじゃあ、今日はゆっくり休んで、また明日以降にでも、改めて聴かせてくれたまえ! この『訓練室』はいつでも使ってくれていい。何か解らない事があれば、遠慮なく聞いてくれるといいよ」
「は、はい。あ、ありがとうございます……」
作り笑いを浮かべながらそう返したが、ラシェルは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
他の用事があると言って忙しく去っていったアルベルトとサイラスを見送ってから、ラシェルは一人取り残された訓練室内で、ハープを抱えたまま立ち尽くしていた。
「うう……どうしよう……」
何はともあれ、まずは弾いてみるしかない。
そう判断して椅子に腰かけ、膝の上にハープを乗せた。
(確か、弾く姿勢はこういう感じだった……よね)
弦の一部に着色された音の目印を確認して、弦に手をかける。
そして、おもむろに弾く。
ボロン、と、音が出たが、久しく弾いてなかったせいか、指の力が上手く入らず、音が軽く、しかもぶれている気がする。
(うーん、もっと強く弾くんだったかな……? ……で、和音を弾くときは確か……こうだった?)
今度は力をぐっと込めながら、記憶を頼りに指を滑らせてみるが、やはり指の動きが様にならず、もつれてしまい、和音というよりもばらけた音階になってしまう。
(駄目……! まだ初めの一小節目なのに、こんな手探り状態でやっていけるの……⁉ そもそも弾くときの手の形とか、これで正しいの……⁉)
ラシェルは思わず頭を抱えて、天を仰いで唸った。
そこでふと、手荷物の中に忍ばせていた教本の存在を思い出し、慌ててめくってみる。
だが、その中身は、高度な奏者向けの難解な楽譜とテクニックが詰め込まれていて、今のラシェルには見るだけで頭が痛くなるような内容だった。
(ど、どうすればいいのーー⁉)
せめて、誰か上手い奏者に傍らについてもらって指導してもらえれば、効率よく練習できるかもしれないのに――。
そう思い立って、ふと、教本の作者名が目に入った。
『ジョセファン・モルナー』
――それは、ラシェルがかつて師事していた楽師の名前だ。
縋る想いで最終頁を開くと、そこには問い合わせ先の住所が記載されていた。
「商業地区アネルディア……モルナーハープ教室……」
それを見て、ラシェルは顔を上げた。
(そうだ……!)
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