第6話 期待と不安の新生活③

「わあっ!」


 突如かかった声に、ラシェルは慌てて振り向いて姿勢を正した。

 そこには、昨日から上司になった男性――サイラスの姿があった。


「さ、サイラスさん! えーっと、その……出勤前に身だしなみを確認していました。本日からよろしくお願いします!」


 勢いよく腰を直角に折り曲げてお辞儀をしてから、改めてサイラスを見上げる。

 昨日は座ったまま面接を受けていたこともあり、気付いていなかったが、サイラスはラシェルより頭一つ分ほどは身長が高かった。


(ちょっと厳しそうな雰囲気だけど、顔立ちは整っているし……『クールな眼差しが素敵!』とか言って、女性からもてはやされてそうよね)


 だが、その知的で優美な外見とは裏腹に、細身ながらも引き締まった体躯に圧倒される。

 視線を落としてみると、滑らかに見える手にも剣だこが出来ているあたり、修練は欠かしていないのがよくわかる。

 そんなラシェルの視線に気付いたのか、サイラスが口を開いた。


「どうした?」

「あっ……い、いえ。すいません。不躾にじろじろと……」

「いや、いい。この剣だこが気になるか?」

「は、はい。きっと、凄く鍛錬をなさっているんだろうなって……」

「そうだな。俺が騎士団に入ってからざっと十年ぐらいか」


 サイラスの口から出た歴史の長さに、ラシェルは驚いて目を見開いた。


(騎士団に入団するのって、だいたい十八歳前後くらいが多いだろうから、つまり……)


「ということは、サイラスさんは三十歳くらいですか?」

「……そんなに老けて見えるか?」


(あ……しまった!)


 年より老けて見えることを気にしていたのだろうか。わずかに顔を曇らせて視線をそらしたサイラスに、ラシェルは慌てて首を思い切り横に振った。


「す、すみません! そ、そういう意味じゃなくて……! あの、その、団長に団の仕切りを任されていらっしゃるようですから、てっきり相応の身分とお年かとばかり……」


 名のある騎士団を束ねているのは歴戦の騎士である壮年男性が多い――というのが、ラシェルの中にあったイメージだ。

 出来たばかりの騎士団とはいえ、そのツートップの片割れである以上は、サイラスもまた相応の騎士であるはずだ。


「ほう。歯に衣を着せん奴だな。他の騎士団を任されている爺どもと同列に見えたということか」

「ち、違います! 決してそういうことでは……!」


 意地の悪い薄ら笑顔を浮かべて見下ろしてくるサイラスに、ラシェルは思わず震えあがった。

 が、すぐにサイラスはやれやれと肩をすくめて見せた。


「まあいい。俺は二十五。ついでに言えば、アルベルトは二十四だ」


(あ、思ったより若い……)


 内心で驚いていると、サイラスの手にした紙束でぺしりと頭上をはたかれた。


「お前はどうも顔に出るな。素直でわかりやすいのはいいが、どこに行ってもその感じでは、いつか足元をすくわれるぞ?」

「も、申し訳ありません……。でも、足元をすくわれるっていうのはどういうことですか?」


 サイラスの物言いが気になって聞き返したラシェルに、サイラスは小さく頷いた。


「ああ。昨日の面接の時に見た通り、この騎士団は普通の騎士団ではない。もう勘付いているかもしれないが、そもそも、団長がそれはもう全く普通じゃない」

「は、はあ……。そうなんですか……」


 真顔で力説してくるサイラスに、ラシェルは唖然としながら頷いた。


(面接の時から薄々は思ってたけど、腹心っぽいサイラスさんにここまで言われる団長って……)


 もはや嫌な予感しかせず、内心で滂沱の涙を流す。


「だが、アルベルト個人もさることながら、この騎士団の存在そのものを快く思わない者もいる。お前も知っての通り、この騎士団は新設されたところでな。周囲の反発を押し切るようにして、アルベルトが半ば強引に設立した」


 面接の際のアルベルトの爽やかな笑顔を思い出しながら、その予想以上の行動力に驚きを隠せないラシェルを前に、サイラスは言葉を続けた。


「しかも、そんな騎士団の主旨が『音楽の力で魔獣を倒す』となれば、もはや笑いものにしかならないというわけだ」

「……は?」


 一瞬、ラシェルが固まった。


(音楽の力で? 魔獣を? 倒す?)


 言っている意味がよく解らない。


(どういうこと? サイラスさんは何を言っているの? 昨日楽譜を渡されたのって、余興とか教養のためじゃないの?)


 混乱する頭を何とか整理せねばと小さく唸りながらも、サイラスの方に目を向ける。 


「えーっと……今、何て仰いました?」


 改めてそう問いかけると、サイラスが虚ろな目で遠いところを見つめている。


「言いたいことはわかる。『音楽で魔獣を倒すとか、馬鹿じゃないか?』と言いたいんだろう」

「え……ええええ……?」


 聞き間違えではないかと期待したのだが、そうではないらしい。

 あまりに荒唐無稽な話に、ラシェルはこくこくと首を縦に振った。


「い、いや、でも、そんなまさか……」

 だがそこまで言いかけてから思い出されるのは、昨日の別れ際にアルベルトが高らかに宣言していた内容だ。


『魔獣や悪人の心に響く音楽。それが我が騎士団の『武器』なんだよ!』


(……って、もしかしてあの台詞って、そういう意味なの!?)


 愕然としているラシェルを、サイラスが目を細めて見遣る。


「残念ながら事実だ。そして、喜べ。お前はめでたく、その騎士団のハープ奏者として選ばれたというわけだ」

「は……はあああ⁉」


 あまりのことにラシェルが叫んだのと同時に、飛び切り明るい声がかかってきた。

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