第29話

   二十九


 僕は部屋にいた時間をとりかえすように踊った。MDMAが効いていたのか、それともフルムーンパーティーに戻ってこれたのがうれしかったのか、体は羽が生えたように軽く、いくら踊っても疲れを感じなかった。途中で離脱したから、自分は卑怯(ひきょう)だと思いもしたが、すぐにどうでもいいことだと思った。今は楽しく踊っていられる、それだけでじゅうぶんだった。


「ゆうじ君、わたしそろそろ行くから」化粧のとれた、ぼろぼろの顔をしたレモンさんが踊っている僕に声をかけた。


「えっ、行っちゃうんですか?」僕は言った。


「そうよ、朝の船に乗り遅れないようにしないとね」


「レモンさん、ブースのうえで目立っていましたよ」僕は笑いながら言った。 


「でしょ? 浴衣(ゆかた)を持ってきて本当によかったわ」レモンさんは誇らしげに着ている浴衣を見て言った。


「これから首都に行くんですよね? 長時間の移動がんばってください」


「ありがと、わたしは日本に戻るけど、あなたは長いんでしょ? 体に気をつけて旅を楽しんでね」


「はい! レモンさんも体に気をつけて、ぼく、レモンさんに会えてよかったです」僕は微笑みながら言った。


「あら、わたしもよ、ゆうじ君、楽しい生活だったわ、でも、日本に戻らないとね」僕はレモンさんと抱き合った。


「じゃあねゆうじ君、旅行を楽しんでね」レモンさんはしゃがれた声で言った。


「さようならレモンさん」


 僕は言った。速く動くまわりの人間達から浮いたように、レモンさんはゆっくりと去っていった。


「レモンちゃん帰ったね」あつしが近くに来て言った。


「ああっ、ぶっとんだ人だったね」僕は言った。


「最高の人だったよ」


 あつしは思わしげに言った。薄暗かった空はすっかりまぶしかった。


「そろそろ知り合いの人がまわしはじめるんだ、そっちへ移動しない?」あつしは言った。


「ああ、いいよ。その人は日本人?」


「そう、ナスカさんという人でさ」


「すごいね、フルムーンパーティーでまわすんだ」


「よく知らないけど、けっこう簡単らしいよ」あつしは言った。


 しんご君とトマト君に声をかけて、ビーチの端(はし)へ移動した。広々としたバーに入り、二階へあがると、数十人の人が中途半端に踊っていた。大半が日本人だった。僕は日本人がこれほどいることに驚き、日本のクラブにいるような錯覚がした。


 音が流れていればどこでもよかった。ビールを頼み、踊りながら飲んだ。手になにかしら持っていないとおちつかず、飲み干してすぐに新しいのを注文した。


 色のあせた、たばこ色の店内は陽の光が射しこんでいる。裸足(はだし)で木の床の上を軽快に踊った。床は白い砂がところどころたまっていた。


 激しく踊っている人は少なく、踊るスペースにゆとりがあった。日本人が踊っている姿を見て、どれも不恰好(ぶかっこう)に思えた。なにか不自然な、ムリをしているように見えた。特に、女性が踊っている姿は、肌の色か、顔の形、もしくは骨格が関係しているのだろう、薄っぺらな作り物ようで、偽者(にせもの)に見えた。


 また、あつしは苦しそうな顔をして勢いよく踊りだし、すこしすると壁際にひっこんだ。そのかわりにトマト君が踊りだしたが、やはりすこしすると壁際にひっこんだ。二人はかわるがわるに踊っていたが、つらそうな顔をしていて、まるで罰ゲームでやらされているかのようだった。僕は二人の動きが理解できず、滑稽(こっけい)に見えた。ムリして踊らずに休めばいいと思った。そのかわり、しんご君はぶさいくな踊りをしていたが、とても自然な感じだった。


 やがて音は止(や)み、かわりに人間の声がわきあがった。フルムーンパーティーは終了した。人間同士、近くにいた者と抱擁(ほうよう)し合い、喜びを共有した。なにか、不自然な日常が戻ってきたようだった。


 僕は踊り足りなかった。体中に力がみなぎり、まだまだエネルギーの浪費が足りなかった。あつしが近づいてきて、かたい握手をした。トマト君ともした、しんご君ともした、長いヒゲを生やしたDJともした、見知らぬ人間とも握手をした。僕は笑顔を浮かべていたが、握手をするたびに、奇怪な人形劇の仲間入りしていく気がした。


 カメラの音がそこらで鳴りはじめ、人々は小さな群れをつくりはじめた。小さな群れは、他の群れを吸収してしだいに大きくなり、砂浜へ移動した。いくつもの群れが融合して、大きな群れを形成した。大きな群れは、一人の人間が機械的に撮るカメラに向かって、ざわめいて、動きをとめて、ざわめいては、動きをとめた。僕はその群れのなかに潜(ひそ)んでいた。


 ふくらんだ風船が破裂したように、みすぼらしい残骸(ざんがい)がビーチに転がっている。空き缶、空き瓶(びん)、タバコ、人間などの残骸を、それを排出した残骸が拾っていた。僕は残骸の一つだった。だが、まだふくらむ力があり余っていた。


 日本人どうしがかたまり、昨晩からの出来事をそれぞれ語りはじめる。カメラの音が鳴りやむことはなく、そのたびに、日本人達は不自然に動きをとめていた。僕も、僕だけがもつ武勇伝を語ったが、たいしておもしろくもなかった。日本人達はビーチに尻をつけ、なごやかに話をしていた。僕は手に持っていた木の枝で砂浜をいじっていた。 


 やがて集まりは解散して、疲れた足取りでそれぞれの宿へ歩きはじめた。僕はしんご君と別れて部屋へ戻った。


 僕は息を吹き返し、動きを早めてポケットからパケを取り出して、大麻をほぐした。空き缶に持っていたピンで細かい穴をあけて、わずかにへこませたあと、その部分に大麻をのせた。持っていたライターで火をつけ、思いっきり吸いこみ、できるだけ息をとめた。大きく息を吐くと、うっすらとした煙が吐き出された。僕はその動きを数回くりかえした。


 しだいに感覚はとぎすまされて、よりはっきりと周囲を知覚できるようになった。僕はシャツを脱ぎ、シュノーケルを手に持ち、鍵をかけずに宿の食堂前のビーチへ向かって走り、食堂にいた若い女の子に手をあげて通り過ぎた。


 海は深かった。満潮の影響で驚くほど岸が近く、海面はかすかな波を立てていた。遠くの島がはっきりと見ることができる。僕は海に飛びこみ、頭をぬらしてシュノーケルをつけた。二日前はひざぐらいの高さだったところが、胸のうえまできていた。腕を海中にむかってかき、頭から足にかけて、波うつようにやわらかく体を動かした。


 海中は静かだ。水はかすかに白くにごり、生き物がどこにも見えなかった。僕は思わず海中から顔をあげた。海は静かだ。遠くでは白人の中年が仰向(あおむ)けに浮いていた。僕は後ろをふりかえり、岸を見まわして再び海へ潜った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る