第19話
十九
食事後、レモンさんは吉井さんの部屋へ移(うつ)ると言うので、ビーチで会う約束をして、子供をふくめた三人と別れた。トマト君としんご君、チャッキーさん、そして僕をあわせた四人は、人通りの少ない小道脇にある石垣の上に座っていた。
「ビーチには行かないの?」僕はトマト君に聞いた。
「この時間はまだ人が集まっていないから、おそらくプッシャーはいないよ。それなら、それらしき人間が声をかけてくるのを待つか、好きそうな日本人に話しかけるかだよ」トマト君は言う。
「そっか、ねえ、“くさ”はいくらぐらい?」僕は指の関節を鳴らしながら言った。
「買っていないからわからない。“たま”は一個五百Bだよ」トマト君は言った。
「たかっ!」僕は大声を出した。
「何人かにたずねたけれど、どこもそんな値段だよ」
「高いですね」しんご君が言った。
「日本円で、約二千円か」僕はつい、日本円に換算してしまった。
「日本とあまり変わらない値段ですね」しんご君は言う。
「そうなの?」僕は言った。
「“くさ”はもっと安いんじゃない」トマト君が言う。
「あっ! 日本人だ!」
青紫色のTシャツを着た、坊主頭の男が目の前を通り過ぎる。
「ちょっと聞いてくるよ」返事を待たずに僕はその男に近づいた。
「すいません、いきなり失礼ですが、このへんで“くさ”が買える場所を知らないですか?」
僕は、三日月顔の、歌舞伎役者のような顔をした男に話しかけた。アルコールが僕を大胆にしていた。
「ああ、知っているよ」男は怪しむよりは、軽蔑(けいべつ)したような眼でぼそっと言った。
「もしよかったら、教えてくれませんか?」僕は男の態度に腹が立ったが、かまわずに言った。
「別にいいけど」男は表情を変えずに言う。
「ありがとうございます。ちょっと待ってください」
僕は三人のところへ戻った。
「あの人が教えてくれるってさ」
「ほんと? そりゃ良かった」トマト君がそう言い、全員で礼を言った。
「場所を教えてあげるだけだよ。それに、そんな大人数は怪しまれるから無理だよ」
男はやっかいなことに関わってしまったような雰囲気を出していた。
「なら、ぼくが買いに行ってくるよ。なにが買えますか?」僕は男を見た。
「“くさ”と“たま”でしょ、あとは“しゃぶ”だね、”“オピューム”もあるらしいけど、高いらしい」男は顔色を変えず、機械的な調子で言った。
「“たま”の値段はいくらですか?」トマト君が聞いた。
「五百だよ」
「“くさ”は?」僕はつづけて聞いた。
「三百」男はこたえた。
「みんななにが欲しい? たてかえておくよ」僕は三人に言った。
「わたしは“たま”二個で」トマト君は言った。
「好きだね」僕は言った。
「ぼくも“たま”を一つお願いします」しんご君は言った。
「チャッキーさんは?」黙りつづけているチャッキーさんに聞いた。
「ん、ぼくは、“くさ”を一つで」
「わかりました、じゃあ、行ってきますので、この辺で待っていてください」
僕はそう言って男に近づいた。男は茶番を見るように、蔑(さげす)んだような眼をしていた。
僕は早歩きで男の後ろをついていった。何か話しかけようとしたが、相手はこちらの顔をほとんど見なかったので、話しかけるのをやめた。無言のまま、ビーチへと近づき、エピックトランスの流れるブースの裏にあるレゲエバーに着いた。
「ここで買えるよ」男は言った。
「どうやって買うの?」僕は言った。
「あそこに男がいるだろう? カウンターに座って、あの男に欲しい物を言えばいいんだよ」三日月顔の男は面倒臭そうに言う。
「わかった。ちょっと行ってくるよ」僕は真剣な顔して言った。
「じゃあ、おれはその辺に立っているよ。最近は警察が見まわっているらしいから、気をつけて」
男はそう言い、店の端(はし)へ歩き出した。
僕は薄暗い店内へ入った。ブラックライトの灯りで、壁に飾られていたレコードのジャケットは、ピンク色に浮かびあがっていた。マスターらしきやせがたの男は、長い髭(ひげ)を生やした白人と話し、テーブルの前に座ってギターをいじっている。
僕はカウンター席に着くと、若い女のスタッフが近づき、注文を聞いてきた。僕は男が来なかったのでどうしようかと思ったが、とりあえずチャンビールを注文した。若い女は口をゆるませ、白い歯を光らせた。僕はそれを見て、「アイ、ウォント、マリワナ」と言った。女は眼をぴくっと開かせて、陽気に微笑(ほほえ)んだまま「ウェイト」と言い、ギターをいじっている男に近づいた。男はこちらを向き、屈託(くったく)のない笑顔を浮かべ、片手をあげて英語をしゃべった。僕は笑顔を返した。
僕はチャンビールを飲みながら、蛍光色が浮かぶ店内を見まわして、目の前の酒瓶(びん)を見た。僕の四つ隣の席には白人の若い男女が静かに話をしていた。四つほどあるテーブルには、マスターらしき男と髭の男が座っているだけで、他には誰もいない。僕はいよいよ大麻が手に入ることを考えて、一人でにやにやしていたが、“島”には警察が多いという噂を聞いていたので、早く事を終えて、この場を立ち去りたかった。
五分程で、やせがたの男はやってきた。英語で、ギターを修理していたようなことを言ったあと、なにが欲しいと聞いてきた。僕は慣れない口調で、大麻とMDMAが欲しいと伝え、値段を聞いた。三日月顔の男の言う通りの値段だったので、数量を伝えると、男は笑いながら「オケェイ!」と言い、店の奥へ行った。
すぐに男は戻り、顔で合図してから、ビニールのパケをテーブルの前へ出した。そそくさに僕は受け取り、用意しておいた札を手渡した。男は真顔で札をすばやくかぞえてから、顔をにやつかせた。僕は英語で礼を言い、チャンビールを持って席を立ち、テーブル近くにいた若い女のスタッフの顔を見た。女性の顔はよく見えなかったが、白い歯が浮かんでいた。僕の心臓は強く、早く鼓動していた。
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