第16話
十六
しんご君はトマト君の後ろに乗り、僕はレモンさんとチャッキーさんを乗せ、二台のバイクは出発した。雲行きは怪しかったが、誰もそのことは言わず、アマ島へ向けてバイクをとばした。僕は急な坂道の連続を簡単に乗り越えたが、トマト君の運転するスーパーカブは何度も止まってしまった。ギアチェンジできるバイクのほうがラクだと思ったが、自分が乗っているバイクは思ったよりも馬力があったようだ。
一昨日たどり着いたセブンイレブンへ向かった。途中、スコールにぶつかり全身を濡らしたが、アマ島に着くころにはすっかり止んでいた。
細い坂道を下り、アマ島へたどり着いた。アマ島は予想以上に小さくて、ちっぽけなその景観にあっけにとられてしまった。白い砂浜はアマ島へつながっていたが、空はどんよりと曇り、色はくすんで薄暗い印象を与えた。人がぽつぽつといたが、冷たい風が吹いていて物悲しかった。ガイドブックに載っていた夕陽のアマ島の写真が、あまりにも印象強かった。
バイクを適当な場所に停めて、海へ向かって歩いた。
「こんなものなのね、なんか期待はずれだわ」レモンさんは不満そうに言った。
「なんか寂しいですね」しんご君が言う。
「来るのがちょっと遅かったんでしょう、陽が沈みはじめています」トマト君は言った。
「雲がなければもっときれいなんでしょうね」レモンさんが言った。僕とチャッキーさんは三人の後ろを歩いていた。
海のそばに近づいた。海は静かで、さざ波が立っていった。宿の目の前よりも透明だったが、光がないせいか、どうもぱっとしなかった。
「せっかく来たことだし、海に入る?」気分を盛りあげるかのように、レモンさんは言う。
「そうしますか」僕はその場の雰囲気に耐えられず、無理にはしゃいで言った。
「そうだね、せっかく来たことだし」チャッキーさんも同様な思いらしく、そう言った。
「わたしは待っていますよ」トマト君は言う。
「えっ? なんで?」チャッキーさんが訊ねる。
「いや、髪の毛が」トマト君は縮(ちぢ)れた太い髪の束(たば)をつまんで言った。
「そっか、不便だね」僕はしみじみと言った。しんご君はTシャツを脱ぎはじめていた。
海は生ぬるかった。その海水が夕暮れの風をより冷たく感じさせる。わずかな波がたつ海に、はしゃぐことなく、それぞれが静かに浸かっていた。何かに脅迫(きょうはく)されているかのように、言葉を見つけて近くにいた人間に声をかけた。
岸では規則正しい、単調な波の崩れる音がした。激しく耳をつんざくような轟音(ごうおん)はなく、なんの意志も感情も感じられない、機械的な音が聴こえる。遠くではボートに乗った人間が何十人もいて、どうやら、スキューバーダイビングをしているようだ。
「チャッキーさん、波には気をつけてください。足の踏み場を間違えますよ」僕は海底に注意をはらいながら、近くにいたチャッキーさんに声をかけた。
「ああ、わかってるよ、すごいなまこの数だね」チャッキーさんは顔を上げずに返事する。
「ほんとですよ! なんなんですかこいつらは、まるで地雷ですよ」
僕は白い砂の上にいるぶっといなまこを見た。黒いなまこは極太のひじきに見えたが、色の薄いのや、紫の色のなまこがいて、種類はさまざまのように見えた。それに、どれも巨大に見えた。海面は虫メガネを覗(のぞ)くようになまこを巨大化させ、虚像の姿を見ていたのかもしれないが、それでも十分に大きかった。なまこはいたるところにいた。
「ゆうじ君、なまこは踏んだ?」チャッキーさんが言った。
「いや、まだです、なんとか避けています」僕はこたえた。
「ぼくもだ」チャッキーさんは言った。
「チャッキーさん、ためしに踏んでみてください」僕は言った。
「いや、それはなまこがかわいそうだよ」
「たしかに、なまこは迷惑ですよね」僕は言った。
海面は胸のあたりを揺れている。僕とチャッキーさん以外は岸辺に戻っていた。遠浅の海からみんなが小さく見えて、波の音が小さく聴こえた。
「チャッキーさん、このあたりは岩が多いです。気をつけてください」僕は言った。
「ゆうじ君も足を切らないように気をつけて」チャッキーさんの声が聞こえる。
「チャッキーさん、足を切ったんですか?」僕はすこし離れているチャッキーさんに顔を向けて言った。
「ああ、足をつけようとしたら、岩の色に似たなまこがいたらしく、硬くてやわらかい感触がしてね、思わず足をそらしたんだ」チャッキーさんは両腕を宙に浮かせ、頭を下げていた。
「それは災難ですね、やつら、カモフラージュしていますから」僕は表情を変えずに言った。
「ほんとだよ」チャッキーさんは海底から目をそらさずに言った。
しだいに海面は上昇して、首を超えてしまい、頭が浸(つ)かってしまった。僕は手足をばたばたさせながら海底を覗いていた。波はかすかに高くなり、体を大きく揺さぶるようになっていた。
「チャッキーさん、波が高くなっていないですか?」僕は言った。返事がなかった。
「チャッキーさん!」僕は声を大きくして言った。
「えっ? なに?」チャッキーさんの声が聞こえた。
「いや、なんでもないです」僕は言った。
「ゆうじ君、大きな魚がいるね、はっきりと見えないけど、銀色の体がときたま素早く動くよ」チャッキーさんが言う。
「ほんとですか? 僕はまだ見てませんよ、カラフルな小魚は何度も見ましたが」僕はぎょっとなった。
「それにしてもいろいろな魚がいるよ、シュノーケルがあったらずいぶんと楽しめるだろうね」
「そうですよ、なまこを気にせずに悠々(ゆうゆう)と泳げますよ」僕は慌ただしく、手足をばたばたさせて言った。
「もっと沖に行けば、いろいろな魚がいるだろうな」チャッキーさんは平然とした顔で言う。
「チャッキーさん、そろそろ岸へ戻りません? 深さが不安でしかたがないんですが」ぼくは言った。
「そうだね、そろそろ戻ろうか」
僕は頭から海に潜り、体をくねらせてから足をばたつかせた。体が海面に浮かんだところで、腕を大きくかいた。波は何度も僕の体を押した。
無我夢中で泳ぎ、地面に足をつけると、海底は予想以上に浅かった。立つと水面は腰ぐらいの高さで、遠くには焚(た)き火にあたっている三人が見えた。
後ろを振り返ると、チャッキーさんが顔を水面から出してゆっくりと泳いでいた。雲は多かったが、太陽が海面の上でその雄大な姿をさらしている。雲は燃えるような茜(あかね)色に染まり、ボートに乗っている人間は影絵のように黒く、輪郭(りんかく)をはっきりとさせていた。
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