第15話

   十五


 眼を覚ますと朝だった。ベッドの上は砂でざらつき、一瞬、自分の居場所がわからず、自分は何をしていたのか考えた。昨日の夕方から眠っていたことに気がつくと、バイトを寝過ごしたような気がした。


「これより元気になることはないのでは?」と、思えるほど体は軽く、これだけ長時間寝たわりに頭は冴(さ)えている。これ以上ないタイミングで眼を覚ましたのではないかと思った。


 外に出ると、空が晴れている。僕はTシャツを脱ぎ、ビーチへ走った。宿のおばちゃんに笑顔で手を振り、レストランわきを通り過ぎた。石の段差を駆(か)け降りて、海へ一直線に走った。


 海は暖かくて気持ちよかった。


 散歩をしてから一人で食事をとり、のんびりと本を読んだ。名古屋のヴィレッジ・ヴァンガードで買った、カルロス・カスタネダの『時の輪』を読んだが、内容がさっぱりわからなかった。


 昼前にネットカフェへ行き、たまっていたメールを読んだ。地元の友人やバイト先の仲間に、現在の心境を長々と書いたメールを返信したあと、調べたいことを検索した。わずらわしさのない、静かで開放的な一人の時間に、自分を取り戻していくような気がした。


 太陽が真上を通過した頃、しんご君が食堂へやって来た。僕は読んでいた本を閉じ、昨日の出来事を聞いた。警察署ではなかなか話が通じず、ややこしかったらしいが、日本大使館にパスポートの再発行の手続きを聞いて安心したようだ。面倒なことは首都に戻ってからで、今は“島”の生活を楽しむと言っていた。僕はしんご君の前向きな態度に感心した。


 しんご君からフルムーンパーティーについて聞いていると、チャッキーさんが現れた。続いて、レモンさんが眠そうな顔で現れた。


「ずるいですよ、昨日の夜、踊りに行ったらしいじゃないですか、なんで起こしてくれなかったんです?」僕はレモンさんに言った。


「なに言ってるのよ、起こそうとしたわよ! 何度もドアを叩いて声をかけたのに、ゆうじ君ぜんぜん起きないじゃないの。それもご丁寧(ていねい)にドアの鍵をかけて」レモンさんは眼を大きくして言う。


「そうそう、ちゃんと声をかけたんだ、けど起きなかったから」チャッキーさんは人の好さそうな顔を浮かべて言った。


「そうだったんですか」僕は恥ずかしくなったが、うれしくもあった。


「もう食事は済んだの?」レモンさんは言った。


「もう、二回食べましたよ。それも、フライドライスのポークと、高級なシーフードです。奮発(ふんぱつ)しましたよ」僕は両手を上げて言った。


「たまにはましな物食べなさいよ」レモンさんはあきれた調子で言う。


 僕はガイドブックを読み、レモンさんとチャッキーさんの食事が終わるのを待っていた。


「ねえ、ゆうじ君、このあとアマ島に行くけど、一緒に行く?」レモンさんは食器を端(はじ)に寄せて言った。


「行きます! 四人で行くんですか?」僕は何も考えず咄嗟(とっさ)に口を出した。


「そう、あと、昨日の夜に知り合った日本人の男の子も一緒よ」


「どんな人ですか?」


「ほら、一昨日の夜、ビーチで踊っていたドレッドの男の子よ、昨日の夜、あの子と仲良くなったのよ」


「げっ! あの人ですか? あの人、ヒステリーのお猿さんみたいに、裸足(はだし)で踊っていたじゃないですか? 大丈夫なんですか?」僕は顔をしかめて言った。


「とても素直な子だったわよ」レモンさんは不思議そうな顔をして言う。


「そうですか、ぼくには縁のない人だと思っていました。なんか怖いな」


「なに言ってるの、すぐに仲良くなるわよ、ねえ?」レモンさんは微笑(ほほえ)みながら言った。


「そうですよ、物腰のやわらかい人ですよ」しんご君も微笑みながら言う。


「そうですか、なら、いいんですが」僕は言った。


 食事が済むと、それぞれが用意を始めた。すぐに用意の済んだ僕とチャッキーさんは、集合場所である宿の前の小道に立っていた。


「チャッキーさんはドレッドの男と話しましたか?」僕は聞いた。


「いや、ぼくは会っていないからどんな人か知らないよ。昨日の夜も、ビーチに行ってすぐに宿へ戻ったから」チャッキーさんは首を横に振って言う。


「そうですか、ビーチはどうでした?」僕は興味深く訊ねた。


「あれすごいね! よくあんな中で踊れるよ。途中で頭が痛くなったよ」チャッキーさんは眼を細め、野太い声を大にして言った。


「どうでした? 楽しかったですか?」


「ちょっとね」チャッキーさんは言う。


「そうですか、たしかに大音量ですから、頭がおかしくなりそうですよね。昨日の朝なんて、耳鳴りどころか、体が鳴っているような気がしましたよ。店で流れているトランスが耳に入ると、体が思い出すように、しぜんと動き出そうとするんです。びっくりですよ」


 そう言うと、ホンダのスーパーカブに乗ったドレッドヘアーの男が近づいてきた。


「こんにちわ」もみあげからつながる髭(ひげ)を生やし、平べったい顔の男は言う。


「こんにちわ」チャッキーさんが言った。


「こんにちわ」僕も言った。


 男はバイクのエンジンを切った。


「あの、今日、アマ島へ行くんですよね? ぼくも一緒に行くことになったんです。よろしくおねがいします」僕は問いかけるように言った。


「ああ、そうなんですか、こちらこそよろしくおねがいします」男はほんわかした声で言い、丁寧に頭を下げる。


「ぼくも一緒に行くんだ。みんなチャッキーて呼んでいるよ、よろしくね」チャッキーさんは握手を求める。


「わたしはトマトです、よろしくおねがいします」足の甲にトライバル模様のタトゥーが入った男は、握手に応じた。


「ぼくはゆうじです」僕も手をさし出した。 


「ぼく、一昨日の夜、トマト君をビーチで見ましたよ、あの時、すごい踊りをしていたじゃないですか? その印象がこびりついていて、さっきまでドキドキしていたんですよ、でも、あの時とまるで雰囲気が違いますね?」僕は表情を変えずに言った。


「そうですか? わたしもゆうじ君を覚えていますよ。黒いTシャツを着て、ビール瓶(びん)を持って踊っていましたよね?」トマト君は人の好(よ)い顔をしていた。


「そうです! 目についたんですか? おもしろいですね!」僕は微笑みながら声を出した。


「そうですよ、目立っていましたから、けれど、昨日の夜はビーチにいませんでしたね? 何をしていたんですか?」トマト君が言う。


「ああ、その頃はぐっすり寝ていました」僕は言った。僕の隣でチャッキーさんは眼を細めて微笑んでいた。


「あら、トマト君、いつ来たの?」レモンさんの声が僕の背後から聞こえた。振り返ると、花柄のシャツを着たレモンさんがこちらへ歩いてくる。


「今着いたばかりですよ」トマト君は言った。


「レモンさん、遅いですよ、ぼくはもうトマト君とすっかり仲良くなりましたよ」僕は偉そうに言った。


「そう? ならよかったわ、いい子でしょ?」レモンさんは言った。

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