第14話

   十四


 宿に戻ってもやることがなかった。バイクはしんご君が乗っていたので、移動手段を失った僕たち三人は、宿の食堂でしんご君の帰りを持っていた。


「おそいわね」レモンさんはガイドブックを読んでいた顔をあげて言った。


「そうですね、もう二時間以上経ってますもんね」僕は膝(ひざ)を抱えて座り、海を眺めていたので、後ろを振り向いて言った。濡れた水着はにわかに乾いていた。


「まあ、やることが面倒だし、言葉が違うからね、たぶん手こずってるんじゃない」チャッキーさんがレモンさんからガイドブックを受け取りながら言った。


「ついていないわよね、しんご君」レモンさんは両腕をテーブルの上に組んだ。


「運が悪いですよ、部屋の鍵をかけて、バックパックには南京錠をかけていたのに盗(と)られたなんて、盗られるときは何をしても盗られるんですかね?」僕は言った。


「そうかもね、でも、よっぽどじゃない限り、用心すれば防げるんじゃない」チャッキーさんは言う。


「肝心なのは用心ですね。ぼく、しんご君を見ていい経験になりました。はっきり言って、考えが甘かったですから」


「しんご君には悪いけど、自分じゃなくてよかったわ。考えただけで面倒くさくなるもの」レモンさんは人形のような顔して言う。


「そういえば、トラベラーズチェックってどこでつくれるんですか?」僕はチャッキーさんに聞いた。


「ぼくは日本の銀行でつくったけど、海外ではどうなんだろう? 知らないな。なんで? つくるの?」チャッキーさんはガイドブックのページを開いて言った。


「はい、持ち合わせはすべて現金なので、急に不安になって」


「半年分の旅行費を?」レモンさんはしゃがれた声で言った。


「そうです」僕は答えた。


「それならつくったほうがいいよ」チャッキーさんはページをめくって言った。


「ねえ、ガイドブックに載っているんじゃない?」レモンさんは言う。


「そう、いま探しているところだよ」


 レモンさんはナイロンの小さいカバンから日記帳を取り出し、黙々(もくもく)と書き始めた。チャッキーさんは一人でぶつぶつ言いながら、ガイドブックをめくり、僕はそれを無言で見つめていた。


「どうです? ありそうですか?」僕は待ちくたびれて言った。


「うーん、ないね、うーん」チャッキーさんは本から顔をそらさずに答える。


「そうですか」僕はため息をついた。


 陽の光はかすかに赤くなり、風に冷たさを感じるようになった。僕は床の砂を手ではらい、仰向(あおむ)けになった。水着はだいぶ乾いていた。


「ひまですね」


 僕は二人に聞こえるように言った。誰も返事をしなかった。二つ離れた席では、端正(たんせい)な顔した白人の男が本を読んでいた。


「これだけ涼しくてのんびりしていると、眠くなりますね」僕は再び言った。


「それなら、もう一度海へ入ってくれば? 目が覚めるんじゃない?」レモンさんはどうでもよさそうに言う。


「面倒くさいのでやめときます。温かくてきれいな海ですが、波は低いし、シュノーケルがないのですぐに飽きてしまいます」僕は一瞬、シュノーケルを買いに行こうと思ったが、体はまるで反応しなかった。


 そのまま眼をつぶっていると眠くなってきた。


「どうもないな、ネットで調べたほうがいいね」チャッキーさんは残念そうに言った。


「ありがとうございます。ひまな時にでも調べてみます」僕はチャッキーさんの声にはっとなり、力のない声で答えた。


「それにしても、しんご君遅いわね、なにやっているのかしら?」レモンさんが不機嫌そうに言った。


「どうだろうね? そろそろ戻ってきてもいいころだと思うけど」チャッキーさんは言う。


「交番のおっさんはほとんど相手にしてくれなかったから、警察署でも同じ目にあってるんですかね?」僕は眼をつぶりながら言った。


「移動手段がなくて困るわ。わたし達が借りたバイクだからね、しんご君には申し訳ないけど、残り少ない旅行の時間をこんなことで削られるのはイヤだわ」レモンさんはしゃがれた声で言った。


「そうか、レモンちゃんは三日後の朝に“島”を出るんだもんな」チャッキーさんは言った。


「ほんと、はやく戻ってこないかしら」僕はその言葉に何の関心もなく、ただ聞いていた。


「だめだ、眠いです。ちょっと部屋に戻って仮眠してきます。しんご君が戻ってきたら起こしてください」僕はそう言って、ゆっくりと立ち上がった。 


「わかったよ」チャッキーさんは言った。

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