第11話
十一
一時間程で雨は止(や)んだ。レモンさんは腕を組んでテーブルに顔を埋め、チャッキーさんはいびきをかいている。しんご君は落ち着きがなく、顔をしかめたまま食堂内を歩いていた。
僕はチャッキーさんの腕を揺らし、レモンさんの肩を揺(ゆ)すった。眼が半開きの二人に食堂で待ち合わせる約束をしてから、しんご君と食堂を出た。
五分程でしんご君の泊まっている宿に着いた。道路のわきにバイクを停めて森に入ると、暗く鬱蒼(うっそう)とした中に、茶色のバンガローがぽつんと建っていた。
「あそこですよ」しんご君が言った。
「昨日の夜、よく帰ってこれたね」僕は言った。
外観から受けた印象とは違い、部屋は明るくてきれいだった。ダブルのベッドが部屋の四分の一を占め、別室にシャワーとトイレがついていた。天井には腕を広げたぐらいの大きさのファンがついていて、ゆっくりと回っていた。
「いい部屋だね、これでいくらなの?」僕は入り口に立ったまま訊ねた。
「二百Bですよ、安くないですか?」しんご君がベッドに近づいて言う。
「たしかに安いね」
「あっ、遠慮なく休んでください、すぐに荷物を整理しますから。お菓子がありますが、食べます?」
「ありがとう」僕はしんご君から見たことのないスナック菓子を受け取り、入り口近くにあるイスに座った。菓子をむしゃむしゃと食べながら、僕はしんご君が動きまわる部屋をきょろきょろと眺めた。
しんご君は散乱していた衣服をしまい込み、素早く荷物をまとめた。部屋の戸締まりを確認してから部屋を出た。僕はスナック菓子を食べながら歩いた。
バイクを停めている道路に戻り、目の前にある建物に近寄ると、しんご君が外のイスに腰掛けている男に声をかけた。背の低い、顔の長い中年の男は立ちあがり、こちらに近づく。
「あいつが宿のオーナーですよ」
しんご君は僕の顔を見てから前に進み、男に英語で話しかけ、部屋の鍵を渡した。僕は二人に近づくと、英語でなにやら話をしていた。
しんご君は眼をするどくさせて、声を張りあげて話した。男は馬鹿にしたような笑顔を浮かべて話した。男がなにか話すと、しんご君は声に力をこめて話した。男が何か説明するように話すと、言い終わらないうちに、しんご君が長々と話をした。それが何回か繰り返されると、男の顔がみるみる真面目(まじめ)になってきた。
身振り手振りを使い、臆(おく)することなく、感情を露(あら)わにしんご君が話していると、男もいつの間にしんご君になっていた。男が勘弁(かんべん)をしてくれとも言うように、話す言葉に合わせて肘を曲げた腕を振ると、建物へ足早に歩き出した。
「どうしたの?」僕は表情を変えずに言った。
「あの男、盗んだことを知らないとぬかすくせに、チェックアウト時間を過ぎた分の宿代を請求してくるんです。もう、ほんと、頭にきますよ。ぼくが『払わない』と言うと、『チェックインの時に渡したデポジット代で勘弁してやる』と言い出すんですよ。そんなのおかしいじゃないですか? だから、『おまえを警察に連れて行く』と言ってやったんですよ、そうしたら、あいつ、急に態度を変えて、『わたしは知らない。わかった、宿代はいらない、金も返すからここから立ち去ってくれ!』と言うんですよ。あやしくないですか? 警察と聞いて態度を変えるなんて、あやしくないですか? やっぱりあいつが盗(と)ったんですよ、ぼくはあいつと警察へ行きます」
しんご君は興奮したまま、早口でしゃべった。僕は同意するような言葉を言った。だが、どうも現実味がなかった。
男が札を手に持ったまま戻ると、しんご君を睨(にら)んだまま声を出して、手を前に出した。しんご君は札をぶっきらぼうに取って、札の枚数を数える。すると狐眼をさらに鋭くさせて、男の腕をつかんだ。男は大声をあげて手を振り払い、猛烈に言葉を吐き出す。しんご君はそれを聞かず、男の言うことをかき消すように大声で話し、再び男の腕をつかんだ。
僕は面倒くさいことになったと思った。「しんご君はかわいそうだが、この男が盗っていたとしても、それが何になるだろう? この男が盗んだのなら、証拠をさらけだすようなヘマはしない。他の荷物はいっさい盗らず、財布だけを盗んだ。目的がはっきりしている、そんな犯人がボロをだすだろうか? たとえこの男が本当の犯人だとしても、財布が戻ってこないと意味がない。なにしろ、ここは日本じゃない、海外だ」そう思っていた。レストランでみんなの会話を聞いてから、僕は財布は戻ってこないと信じていた。
僕は表情を変えず、二人をじっと眺めていた。背の高いしんご君が、小柄な男を無理やりにひっぱって歩かせた。男はあきらめたように顔を曇(くも)らせて口を閉じていた。しんご君が威圧的に話すと、男は小さい声でこたえた。僕はそれを見て、小柄な男がかわいそうに思えてきた。
「こいつと警察のところまで行きますが、いいですか?」しんご君は興奮を抑えたように言った。
「いいけど、場所は知っているの?」僕は静かに言った。
「はい、こいつに聞きましたから」そう言って、均整のとれていない二人の体は前へ歩いた。
すこしすると、小高い丘の上へ続く道を歩いた。道の周辺には建物がなく、生い茂った雑草が広がっていた。僕はこんなところに警察署があるのかと不思議に思った。二人は僕の目の前を歩調の合わない足取りで進んでいく。
丘の上には小さなコンクリートの建物があった。味気(あじけ)のない一階建ての建物は、人が住んでいるようすが感じられなかった。
「ここなの?」
僕はしんご君に訊ねて、男の顔を見た。男は変わらず沈んだ顔をしていた。しんご君は男を見て、大きな声を出した。男は静かにうなずいた。男が奴隷のように見えた。
「どうやらそのようです」
しんご君はそう言って、ラクダ色の木のドアに近づき、ノックした。空は晴れ、忙しく動く雲の間から太陽がのぞき、緑は露(つゆ)を反射させて輝いていた。遠くからバイクのエンジン音が聞こえた。
「いないのかな?」僕は言った。
扉が開き、こげ茶色の肌をした大柄の男が出てきた。外の光に慣れてないかのように、顔をしかめて三人を見まわした。
しんご君が口を開き、つかんでいた腕をひっぱり、男を横に並ばせた。男は困ってしまったような顔をして、大柄の男に目配せした。大柄の男は関心なさそうにしんご君の話を聞いていた。僕は三人からわずかに離れた位置で黙っていた。
しんご君がたどたどしい英語で話し続け、時折(ときおり)大柄の男が言葉をはさむ。そのまましんご君が話していると、小柄な男が口をはさんだ。大柄の男が小柄な男に話しかけると、小柄な男は体を使って話す。すると、しんご君は小柄な男をのぞき込むように見て、声を荒げた。小柄な男は真剣な顔をして、立ち向かうようにしんご君に話す。それを見て、大柄の男がうるさそうに声をはさんで話し出しす。二人は大柄の男を向いた。
大柄の男が話している最中にしんご君は話し始め、小柄な男を見ては、話し続けた。小柄な男が大きな声でさえぎるように話し、大柄の男に話しかけた。大柄の男は聞いているが、聞いていないようにも見えた。
しだいに、しんご君と小柄な男の会話が目立つようになり、話し声は速く、大きくなり、会話はふくらんでいた。しんご君はたまに僕のほうを見て話し、そのたびに僕はうなずいた。冷ややかな眼をしていた大柄の男は、少しずつ声に感情をふくみはじめ、眉間(みけん)の皺(しわ)はこれ以上ないぐらいに肉厚があった。
しんご君と小柄な男はまわりが見えていないかのように、二人の世界に入っていると、大柄の男は大声で叫んだ。体格に似合わない素早い動きで手振りを加えて、早口でまくしたてる。小柄な男は黙ったが、しんご君はそれに反応するように狐眼を開き、食い下がるように話し始めた。大柄の男は先ほどまでのだるそうな態度のかけらもなく、盛(さか)んに声を出している。しんご君も負けじと声を出している。
二人だけの会話が続いた。小柄な男は疲れた顔して黙っていた。僕も黙っていた。二人の上方を見ると、山が見えた。空は澄(す)みきって、山は陽の光を浴びてつややかな緑を発色し、その頭には白い靄(もや)が流れ、真っ白な大きな雲がその背景を占めていた。数種類のバイクのエンジン音が近づいては、去っていった。
僕は何度も笑い出しそうになった。しんご君はとても滑稽(こっけい)に見えた。二人の会話している姿はとてもかわいらしく映った。
やがて、しんご君が僕を見て、憎々(にくにく)しげに言った。
「行きましょう! もう、これ以上いても無駄です!」
「どうしたの?」僕は落ち着いたようすで言った。やっとしんご君が気がついたと思った。
「もう、話になりません! 男はしらをきるし、この警察は男を調べようとしない。しまいには本当に盗まれたのかと疑ってくるじゃないですか! 最低ですよこの“島”の人間は」しんご君は疲れた顔をして言う。
「そっか」
僕はそう言った。しんご君の背後を見ると、大柄な男は不愉快そうな顔をしていた。小柄な男はあきれたような顔をしていた。僕は思わず口元が緩(ゆる)み、首を傾(かし)げた。
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