第4話

   四


 昨夜からほとんど食べ物を口にしておらず、寝不足と移動の疲れがあった。にもかかわらず、ずしりとするバックパックを背負い、ビーチを歩くのがさほどつらくはなかった。レモンさんとチャッキーさんは口数が少なく、足取りは重かったが、宿を探すためにとにかく歩いた。見るからに高そうな宿を数軒見つけては、だめもとで訊ねた。その度に宿泊料の高さに驚かされて、泊まれない焦(あせ)りがつのった。


 三人ともTシャツを肌に張りつかせて、うつむきながら歩いていると、ほとんど飾られていない、簡素な作りの食堂を見つけた。そこで一休憩することにして、ビーチからそのままレストランへ入った。


 砂が混じる板張りの床には、眠っている白人の男が一人いた。僕は荷物を床に置き、テーブルの前の座具に尻をつけた。店の人間がいないので、僕は立ち上がり外へ出た。


 近くの小屋に近づくと、肌の茶色い、白髪交じりの髪を結(ゆ)った小さな女性がいた。眼が合い、使い慣れはじめた英単語で話すと、女性はにこやかに笑い、ドアが連(つら)なる横長の建物を指(さ)した。


 僕はその女性と共に二人に簡単な説明をして、三人でその建物の部屋を見させてもらった。六畳ぐらいの空間にはベッドと古い扇風機が一つあった。他の部屋も見せてもらうと、似たような感じだ。窓は一つだけあり、わりと大きかった。三人で話しあった結果、一泊百バーツの部屋に泊まることに決まった。


 荷物を置いて宿泊の手続きを済ませ、それぞれ食事の注文をした。


「やっとおちつけたわね」レモンさんが木のテーブルに肘をかけて言う。


「もう、腹ぺこぺこですよ」僕は足を伸ばし、反らした上半身を腕で支えながら言った。


「でも、安い宿が見つかってよかった」チャッキーさんがレモンさんの隣で頬杖(ほおづえ)をつきながら言う。


「ほんとですよ」僕は実感をこめて言った。壁のない食堂は潮風がおだやかに吹き抜ける。


「ずいぶんと歩いたけど、ここは繁華街から近そうだ。ここのビーチには旅行客がけっこういるしね」チャッキーさんがビーチに眼を向けて言った。


「いや、もう、目玉焼きですよ」ビーチを歩いていた時のことを思い出して、僕は言った。


「さっき、宿のおばちゃんに聞いたらね、パーティーがあるビーチは近いと言ってたわ。歩いて十分ほどらしいわよ」レモンさんが言う。


「おお! そいつは最高ですね!」


 僕は言った。黒髪を背に垂らす、眼のくりくりした若い女の子が料理を運んできた。僕はフライドライスを受け取り、女の子の顔を見上げて、ちょいっと首をひねった。女の子は口元を緩(ゆる)めて、他の料理をテーブルに置いた。


「ああ、やっと食べれる」チャッキーさんは豚の生姜(しょうが)焼きと、白米の皿を手前に引き寄せた。


「この国に来て、すっかりフライドライスの虜(とりこ)になってしまいました。値段、量、味、どれも文句のつけどころがないですね」隣のテーブルから調味料を取り、僕は言った。


「この国は物価が安いから、満足に食べられるわね」レモンさんはサンドイッチを手に持って言う。


「そうです、フライドライスはたったの二十五Bですよ? 百円かからずにおいしいごはんが食べれるなんて、僕はフライドライスがあれば十分生きていけます」僕は液体調味料を無造作にかけた。


「あら、かけすぎじゃない?」レモンさんは言った。


「これぐらいがいいんですよ、酸っぱ辛さと、癖になる生臭さがたまりません」僕は誇らしげに言った。


「わたし、パクチーが苦手だわ、どうも慣れないわ」レモンさんはサンドイッチの中から緑色の葉っぱを取り出して、皿の上に置いた。


「そう? ぼくは平気だけどな」チャッキーさんは言った。僕は口を動かしながら頷(うなず)いた。


 僕はすぐにフライドライスを食べ終わり、一緒に注文したペットボトルのふたを開けて、水をごくごくと飲んだ。二人はまだ食べていた。僕はうしろを振り返り、さざ波が打ち寄せるビーチに眼をやった。遠くに見える島は小さく、頭にふわふわの雲を載せている。海の中では、若い白人の男女が楽しそうに水をかけあっていた。僕はふいに自分のいる場所を考えてしまい、口をにやつかせた。


「ねえ、二人はこのあとどうするの?」食事を終えたレモンさんは、しゃがれた声で言った。


「何も考えていません」僕は笑いながら言った。


「ぼくも特に考えていなかったな」チャッキーさんも皿を端(はじ)にどけながら言う。


「なら、バイクを借りて出かけない? わたし行きたいところがあるの」レモンさんはガイドブックをテーブル上に開いて言った。


「ほら、この場所よ、アマ島という島よ」


 僕とチャッキーさんは体をテーブル乗り出して、本に注目した。


「この島はビーチと陸続きで、歩いて渡れるらしいの。この本で読んだところ、このあたりからバイクで一時間ほどで行けるそうよ」レモンさんは頭に思い浮かべたように言った。


「えっ? 今から?」チャッキーさんは顔をゆがめて言った。


「もちろんよ」レモンさんは平然と答える。


「レモンさん、元気ですね!」僕は顔を上げて言った。


「あたりまえよ! せっかく旅行に来たんだから楽しまなくちゃ! 行きたいところは、行けるとき行くのよ」


「でも、宿に着いたばかりじゃないか」チャッキーさんは静かに言う。


「そりゃそうだ」僕は言った。


「でも、やることないんでしょう? バイクを借りて行かない?」


「ちょっと休ませてください」僕は言った。


「そうね、ちょっと休んでから行きましょうか。荷物の整理もあるしね。じゃあ、三十分後にしましょう」レモンさんは僕とチャッキーさんの顔を何度も見る。


「わかりました! 行きましょう!」僕は勢いよく返事をした。


「わかったよ」チャッキーさんは眼を細めて言った。


「さっそく、会計を済まして部屋へ行きましょう」レモンさんは手を上げて言った。


「お姉さん!」僕は調理場の方へ声を出した。


「でも、ベッドに横になっちゃだめよ」

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