第3話

   三


 数分走ると、桃色や山吹(やまぶき)色といった、明るい建物が立ち並ぶ道を通りすぎた。オープンテラスのレストランや、雑貨や洋服が売られている店を見て、この辺りが繁華街なのだと思った。歩いている観光客の多さが、何よりもそう思わせた。「このあたりに泊まれたら楽しそうだな」と思ったが、軽トラックは走りつづけた。


 建物が減ると人の気配がなくなり、細い山道に突入した。僕は繁華街からあまり離れなければいいと思った。


 木の根がよこぎる土の道を登ったと思ったら、急角度の道を降りていく。荷台の上を沸騰(ふっとう)したようにバックパックが跳(は)ねて、僕は振り落とされないように両手に意識を集中していた。そのわりに、顔は満面の笑みであふれていた。


「はっはっはっ、ひどい道ですね! 車が今すぐにでも横転しそうですよ、ほら、また、はっはっはっ! こんなの、遊園地のアトラクションでもないですよ、楽しいですね!」


 僕は腹の底から湧(わ)き上がる笑いをそのまま声に出して、チャッキーさんに話しかけた。チャッキーさんは顔をしかめたまま、何も言わない。僕は隣に座る白人に目配せした。中年の白人はまぶたをぴくっとあげる。僕は跳ねあがる尻と腰に合わせて首を振った。


 道を下りきると、オープンテラスの大きなログハウスの傍(そば)に車は停まった。すぐ目の前には白い砂浜と海が広がり、白いコテージがいくつも建っている。ビーチには水着姿の白人が数人寝そべっていた。


 楽しい一時を過ごした後に、目の前に南国の景色を見ては、僕は繁華街から離れていることをすっかり忘れてしまった。荷物を背負い、荷台から降りて周りを見まわした。背後は森に囲まれて、まさしくプライベートビーチといった場所だ。疲れた顔をしたレモンさんが、重そうに助手席から降りてきた。


「なにあの山道! まったくひどいじゃない!」レモンさんは吐き捨てるように言う。


「ほんと、首から上がとれそうでしたよ。でも、ここはロケーションがいいですね?」僕はにやにやしながら言った。


「悪くないわね。目の前は海だし、レストランも洒落(しゃれ)ていて、なかなかいい場所ね。でも、あの道がね、ちょっと繁華街から遠くて不便そう」


 レモンさんは眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せて言うと、長髪の運転手が近寄ってきて、レモンさんに声をかけた。レモンさんは大声で話した。どうやら宿の説明を受けているようだ。


「一番安いバンガローで一泊二千バーツだってさ!」レモンさんはあきれた様子で言う。


「ムリムリ! いや、ぼくはムリですよ!」僕は手をふりながら答えた。


「ちょっと高いね、ぼくも遠慮しとくよ」チャッキーさんは落ち着いたようすで言う。 


「わたしも、そんな金を払って泊まる気はないわ」


 レモンさんがそのことを長髪の男に伝えると、男は笑いながら何やら話をした。


「エアコン無しでよかったら、二百バーツのバンガローがあるってさ。どうする?」レモンさんは言う。


「二百ですか、それなら泊まっていいかも。ぼくはかまいませんよ」他の宿を探すのが面倒だったので、僕はそう答えた。


「ぼくはちょっとな、部屋を見てみないとなんともいえない」チャッキーさんは言う。


「そうね、見てみないことには決めれないわ」


 レモンさんがそう言い、男に部屋を見してもらうよう話した。男はうすら笑いを浮かべて、了解したようすだった。


 男に案内されたバンガローは森の奥で、陽(ひ)のあたらない場所にあった。まるで忘れられたかのような小屋は、部屋がカビ臭く、湿気ったベッドがあるだけだった。


「これは、ちょっと」話にならないといったようすで、レモンさんは言う。


「一晩眠ったら、体からキノコが生えそうですね」僕は馬鹿にしたように言った。


「じめじめしているね」チャッキーさんは眼を細めて言う。


「ほかの宿にしますか?」僕は二人に訊ねた。


「そのほうがいいね」チャッキーさんは言った。


「じゃあ、はやいとこ戻って、他の宿を探しましょ」


 レモンさんはそう言い、男に別の宿にすると伝えた。男はあきれたように両手をあげると、レモンさんに長々と話した。レモンさんは顔をひきつらせてから、冷静な調子で男に話した。男は顔をにやつかせ、首を横に振ったあと、諭(さと)すようにゆっくりとした口調で話をした。レモンさんは男の顔をきっと睨(にら)んだ。


「さあ、行きましょう!」


「どうしたんですか?」僕は真顔で聞いた。


「あんなひどい山道を、歩いて戻るわけにはいかないでしょ? だから、わたし達を乗せた場所まで送ってちょうだいと言ったのよ。だって、宿が気に入らなかったら、遠慮なく断ってくれと言っていたのよ。元の場所まで送ってくれるのかと思うじゃない、なのに、この長髪の男は、送らないって言うのよ」


 レモンさんは感情の向くまま声をあげる。


「えっ! あの道を歩くんですか? 僕も送ってもらえるものだと思ってました。歩くの嫌ですよ」僕は楽しかったあの道を、とても歩く気はしなかった。


「でしょ? そう思うでしょ? なのに、この男はそこにつけこんで、歩いて帰るのが嫌なら宿に泊まればいいじゃないか、と言うのよ。それも人を小馬鹿にしたように、なによあいつ、何様のつもりよ!」


「それはひどい! 計画的だね、ぼく達を最初からはめるつもりでここへ連れてきたんだ」


 チャッキーさんが声を荒げて言った。男は僕達の会話をうすら笑いを浮かべて聞き、勝ち誇ったような顔をしている。


「くそったれだ! この人はくそったれですね!」


 僕は男の顔を見てけなすつもりで言った。男の眼はずるそうに輝いていたが、冷たい自信にも満ちていた。僕はその眼を見て、一瞬、恐怖を覚えた。


「もう行きましょう! この男のそばに一秒でもいたくないわ!」レモンさんが前へ歩き出した。チャッキーさんも後ろからついて行く。


「でも、どうするんだい? 歩いて元の場所へ戻るのかい? あの道をかい?」チャッキーさんは気づかせるように、はっきりとした声で言った。


「ええ、そうよ、それしかないでしょ? 歩いて戻りましょう! それとも、他に何かあるとでもいうの?」


 レモンさんは足を止めて、チャッキーさんを見下して言う間に、僕は二人に近づいた。


「ちょっと待ってください、せっかく三人いるんだし、どうするか考えましょうよ」僕は言った。


「そうだ、もっと冷静に考えよう」チャッキーさんも続けて言う。


「そう? 考えることなんてある?」レモンさんはいじわるそうに言った。麦わら帽子の男は、顔色を変えずにこちらを観察している。


「じゃあどうするか考えましょう。ぼくが思うに、今自分たちが選べる単純な選択は、ここで泊まるか、元の場所に歩いて戻るか、ですよね?」


「なに的外(まとはず)れなこと言ってるのよ! ここに泊まるわけないでしょ」


「そうだ、ここに泊まるのは危ない。ぼくたちをこんな目に合わせた男の宿だ、なにがあるかわかったもんじゃない」


「あっ、すいません、そう言われると危険ですね。宿代を高く請求されるかもしれないですね。荷物を盗まれるかもしれないですね。たしかに安心できませんね」


 考えようと言い出した僕が、何も考えておらず、恥ずかしくなった。


「馬鹿! そんなんじゃないわよ、あんなやつの宿に泊まるだけでぞっとするわ」レモンさんは男をちらっと見て、憎々(にくにく)しげに言った。


「どっちにしろ、ここで泊まることはなさそうだね。となると、やっぱり元の場所に戻って、別の宿を探さなくちゃいけないな」


 チャッキーさんはわずかに微笑(ほほえ)んで言った。


「やっぱりあの道を歩いて帰るんですか? あの山道、ハイキングコースですよ」


「そうよ、ここで泊まるよりかはマシでしょう?」


「うん、そ、そうですよね、うん。それならですよ、ビーチを歩いて戻りませんか? 山道を歩くよりも楽だし、気分的にも楽しそうじゃないですか? それに、ビーチを歩いていれば、パーティーが開かれるビーチに着いて、その近辺の宿に泊まれるかもしれませんよ。せっかく南国の島に着たんですから、ビーチを歩きませんか?」


「ああ、それはいいね。この宿みたいに、ビーチ沿いの宿を見つけられるかもしれない」


「じゃあ、そうしましょう」


 話は難なくまとまり、三人してビーチの方へ歩き出した。長髪の男がなにやらわめいていたが、気にせず歩き、白人が寝そべっているそばを横切った。太陽は頭上で燦々(さんさん)とぎらついて、白い砂浜を熱く照りつけていた。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る