終章あるいは始章 終焉のむこうがわにて

 長い夢を見ていたような気がする。遥か遠くから長い旅を経て、やっとここまでたどり着いたような、そんな錯覚を覚えるような夢だ。

 意識の末端がまだ少し睡眠を欲しているが、私は昼寝から覚醒した。目覚まし代わりとなったチャイムの音は、残響が少しずつ消えて行く。

 昼寝から起きたときにありがちな、夢現の状態で私は周囲を見回す。私が着ているものと同じ制服を、教室にいるみんなは着ていた。彼女たちは、何やら道具を持って教室から出て行く。

「んん……?」

 呻くような、疑問を浮かべるような、そんな声を漏らして私は額を掻く。腕の上に突っ伏して寝ていたので、血流が滞っていたのだろうか、少し痺れていた。

 次の授業は何だっけ、ここはそもそもどこだっけ、などと様々な疑問が浮かぶ。まだ寝ぼけているらしい。その間にも、教室にいた生徒は一人、また一人と出て行ってしまう。

 そのときである。教室の入り口付近で一人佇む女子生徒に、私の視線は持っていかれた。

 その女子生徒は漆黒の短髪、切れ長の双眸を持っている。その瞳は髪と同じように漆黒で、深みを感じさせる色合いだ。その瞳に浮かぶ光は、何やら世俗から超越しているような雰囲気をたたえている。

 体つきは細い。制服の袖から伸びた手、その指先は細く、氷柱みたいだなと思う。その一方で、それら全てがそう見えつつも柔らかそうだな、と思った。

 ブレザーの前ボタンを開き、蝶ネクタイをはずして、カッターシャツの第二ボタンまで大胆に開けている。

 その女子生徒――黒髪は、真紅の口唇をゆっくりと動かす。

「次、美術だよ」

「あ、そうだっけ」

「うん、遅れないようにしないとね」

 そう言って黒髪は微笑む。親しみやすい笑みだな、と思った。

「さんきゅ、急いで仕度しないと」

 私は慌てて授業の用意をする。その間、黒髪は私を待っていてくれた。

「……悪いね、待たせちゃって」

 準備を終えた私がそう謝ると、黒髪は先ほどのように微笑んで、首を横に振る。

「いいよ、気にしなくて。私が好きでやってることさ」

 黒髪は手を差し出してくる。握れ、ということなのだろう。

 私の手は、黒髪の手を何の疑問も淀みもなく握る。温かく、そして柔らかい感触が伝わる。

「よし、それじゃあ行こう」

 黒髪は力強く言い、私の手をぐいと引く。私も、黒髪の手を引っ張るようにして、前に進んだ。

 二人で校舎を走る。初めてなのに、どこか懐かしい感じがした。

「ねえ」

 その最中、黒髪に問いかける。黒髪は走りながら顔を私に向けて、「どうしたの?」と尋ね返してきた。少し危ない。

「名前、何?」

 私がそう尋ねた直後、黒髪は自分の名前を発する。

 その名前に、私は不思議な好感を覚える。私も、同様に自身の名前を発する。

 きっと、それを聞いた黒髪も、私と同様の心情を覚えてくれることだろう。

 何の証拠もないけれど、そんなことを能天気に思った。

 握る手に意識を向ける。

 ここではないどこか遠くで、彼女の手を握ったことがあるような、そんな気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

終焉のむこうがわ むむむ @Ankou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ