息を吐く
責め苛まれるかのような選挙戦を戦うさつきとかおるに最大のハイライトが訪れた。
『公開政策ディベート』
本来ならさして重要でないはずの地方選挙区の一候補者でしかないさつきが民放のゴールデンタイムに放送されるテレビ番組に呼ばれることなどあり得ない。
「話題性がありますから」
という番組製作者側の呼びかけに、さつきは出演するという選択肢しかなかった。
拒否すれば、『逃げた』とネットに拡散され、その時点でさつきの当選の芽はなくなるだろう。
しかし、ディベートの場に引きずり出して完膚なきまでに彼女を叩き潰そうという『やつら』の意図は見え見えだった。
・・・・・・・
生放送のスタジオでたった1人でテーブルに座るさつきにオーディエンスはため息をついた。
見違えたのだ。
「さつきさん、今日はステキなお召し物ですね」
「ありがとうございます」
司会者の声がけに一言礼を述べたさつきのいでたちは、濃いグレーのパンツスーツ。
活動期間中ずっと普段着だったさつきのために、坂田が用意してくれた。
「今日の論点は高齢者福祉政策です。今の日本の最重要課題と言えるでしょう。掲げる政策として与党・野党の皆さんは全員積極推進。無所属として1人参加のさつきさんだけがそれとは違うスタンスということで座席も5対1という配置にさせていただきました。よろしいですか、さつきさん」
「はい」
まずは5人の老若男女の候補者たちが口々に高齢者福祉の重要性と介護制度の効率化、そして財源の捻出について力説した。語調は強いが、一言で言うと50歩100歩で真新しさもない。論客たちがさえずっている間、さつきは目を薄く開けてゆっくりと呼吸をしていた。
「では、さつきさん」
さつきは静かに、長く、息を吸い込んだ。
そして、吐いた。
「家庭における『仕事』に対する評価が鍵を握ると思います」
「どういうことですか?」
「子育ては社会的にも評価されるイベントです。『イクメン』という言葉も数十年前には流行しました」
「なるほど」
「ですが、たとえば嫁と姑が円滑な関係を保ち、家庭内で高齢者と若い世代が協調することに対して積極的に評価する風潮はあまり無いように思います」
「そうですかね? 多世代同居は『大家族』という言葉で受け入れられていませんか」
「それは現実を見ない論拠です。たとえばあなたは親御さんやおじいさま・おばあさまと同居していますか?」
「いえ・・・」
「事実をずばりと見れば、夫婦以外の他人同士が一緒に暮らすにはなにがしかの波風を乗り越える必要があります。その際に有効なのが世間の『共感』や『評価』です」
「昼メロじゃあるまいし!」
大物議員のヤジが飛んだ。
「先生。わたしは真面目です。先生はご自身が介護を受ける立場になられた時、奥様がすべてそれをこなすことができるとお思いですか?」
「なにをっ!」
「先生のご子息やそのお嫁さんを頼ることの方が現実的で社会的コストも最小限に抑えられると思いませんか」
さつきの論旨は極めて古風なものだった。
しかし、その古さが清新な一陣の風のようにスタジオ内に吹き流れた。
画面下に表示されるツイートが徐々にさつきの主張に同意するものへと変わっていく。
ディレクターの表情を見ながら司会者は焦る。
「さつきさん。あなたのようなお若い方が随分と封建的な発言をされますね」
「封建的?」
「ええ。家族で親を看るなんて昭和の時代の話じゃないですか」
「いいえ。我が子を世話する親と同様、我が親を世話する子という方がよほど自然で合理的じゃないですか。全員がそうする必要はありませんしできる訳もありません。でも、少なくともお年寄りへの扶養義務を果たしている若者たちを評価する仕組みがあってもいいんじゃないですか? それこそが福祉政策を財政面でも健全に進める起爆剤になるはずですよ」
「それは・・・」
さつきは畳み掛ける。
「どの職業、とは言いませんけれども明らかに世間から過大評価されている仕事があるでしょう。報酬もその評価に比例して上がって行くのが世の常です。わたしは家庭における育児やお年寄りをお世話する『仕事』というものがもっともっと、社会的ステータスを与えられるべきだと思っています」
若い世代がさつきを支持するツイートも加速度的に増える。
「『家事手伝い』や『主婦』の労働をまっとうに評価しないから『ニート』なんていう言葉が一人歩きするんです」
形勢は完全に逆転した。
もはや5人の烏合の衆に対するツイートはまったく動かず、さつきの側の画面だけがカウントを増やす。
・・・・・・・・
放送終了後の一夜の内に世間が反転したようだった。
「さつきさん、頑張って!」
路地裏で赤ちゃんを抱っこした若い女性に声をかけられる。
「さつきちゃん、スーツ姿、きれいだったよ!」
お昼の弁当を買いに入ったコンビニの年配アルバイトさんからお世辞を言われる。
「さつきさん。もしかしたらいけるかもしれないね」
「ありがとう、かおるくん。・・・ほんとは結構辛かったけど、かおるくんがいてくれたから・・・」
「僕の方こそ」
投票日まであと3日。
さつきとかおるがラストスパートをかけている中、与党第一党の重鎮が側近にこう呟いていた。
「彼女に退場してもらったらどうかね」
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