常に動ぜず

「『さつき』です。本気で正直者が生きやすい日本を作りたいとお思いの方。どうかわたしに力をお貸しください」


さつきとかおるは選挙区の路地裏を歩いて回った。

大通りに出て顔を売る必要はなかった。

よくも悪くも、


「ああ、『さつき』ね」


と知名度は全候補者の中で抜群。


そして、ポーズではなく本気で真正面から「正直と一生懸命」をポリシーとして訴えるこの『若くて危険な革命者』を潰そうとあらゆる政党・候補者・ロビイストたちがネガティブキャンペーンの全エネルギーをさつきに集中させていた。


脛齧すねかじりの分際で講釈垂れるなよ」

「小娘がきれいごと言うな」


という類のツイートが様々なアカウント名で流される。


路地裏にもそれを真に受ける人たちが多勢いた。


「ねえ。アンタ、その男と同棲してるんだってね」


かおるを指差して薄く笑う老婆がいた。

さつきはそんな老婆の目線にしゃがんで語りかける。


「同棲はしてませんし、それは重要なことじゃありません。重要なのはおばあさんが残りの人生を大事に生きることです」

「残りの人生だって⁈」

「はい。おばあさんもわたしもいつか死にます。今の内に早くいい世の中にしませんか? わたしと一緒に」


かつての同級生とも鉢合わせた。


「バカじゃねえの。せっかくいい大学行けるだけの成績だったのによ」

「その大学って50年後も存在する? わたしにはこっちの方が大事。いえ、むしろ焦っている」


小さな子たちも容赦なかった。


「つッ!」

「うえーい、ゲス女ー!」


石つぶてを投げつけて走り去る幼稚園か小学校低学年の男の子たちと何組も遭遇した。


そんな時、かおるは黙ってさつきの前に立ち、無言で盾となった。


「かおるくん、血が」

「平気だよ、さつきさん。こういうのは昔から慣れてるから」


どちらが本当の男かは明らかだった。


一週間で三度もストーカー被害に遭った。


「毎晩入れ替わりで彼女の自宅の前に立ってるんです。体格がまったく違う別人が」


と、かおるが警察に訴えても、


「気のせいでしょう」


一切取り合ってもらえなかった。


昨晩とうとう『やつら』は実力行使してきた。


「僕と一緒に死んでください!」


と叫んでマスクをした男がナイフを持ってさつきに突進してきた。

幼児の石つぶてに対峙するのと同様の躊躇ない勢いで前に出て盾となろうとするかおるをさつきは突き飛ばした。


「さつきさん!」


突進する男の真正面に立って微動だにしない彼女にかおるは絶叫した。


ナイフがさつきの腹をえぐろうとするその刹那、


ふわっ。


という感じで男がすっ転んだ。


彼女は転んだ男の前に流れるような動きでかがみこんで候補者名を書いたタスキでテキパキと手首を縛り上げた。


「さつきさん、大丈夫?」

「ええ。平気」

「どうやったの?」

「ちょっと足を引っ掛けただけ」


かおるからはとてもそんな風には見えなかった。何か目に見えない力の作用で男が勝手に宙返りしたような残像しか瞼にない。


さつきはスマホを出して電話する。


「あの、救急車を一台お願いします」


てっきり警察へ電話したと思ったかおるは驚いた。


この状況でも少女の心は湖面のように静かで動ぜず、自らの命を狙ったストーカーの身を案じる余裕すら持っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る