第1話

 最終下校時間を過ぎ。

 誰の気配もなくなった保健室内で、足音を立てないよう静かに歩き出す。

 鍵のかかっているドアからではなくて窓を開けて廊下を見渡すが、暗い廊下が続いているだけで懐中電灯の明かりすらない。

 さてと、そろそろ行こうかな。

 音を立てないように注意しながら、慎重に窓から廊下に出て……

 カンッ、カラカララン。

 「あっ!」

 必要以上に響く音に驚いて声が漏れ、慌てて口元を押さえた所で、

 ガコッ、ガララン。

 「あぁ……」

 これ以上物音が立たないようにとしゃがみ込み、落ちたパーツを拾い上げて胸にはめ込もうとするが、違った。

 こっちをはめてからこっちだった……

 カラン、カララン、カララン、カコーン。

 「あぁー、もぉ」

 落ちていないパーツも一旦外し、胸の中にキッチリとはめ込んでから立ち上がり、足元に注意しながらゆっくりと、確かめるように廊下を歩き出す。

 第1校舎1階の、1番端にある理科室の前で立ち止まり、念の為に左右確認をしてから壊れて鍵が閉まらなくなっている窓を開けた。

 廊下にいると無音だった理科室内は、1歩中に入ってみれば真夜中のパーティーが開かれていて騒がしい。

 「よぉ~人体模型、遅かったなぁ」

 教卓前で悩ましげなダンスをしている花子さんを眺めていると、ドスドスと音をたてながら近付いてきた石像が親しげに話しかけてきた。

 「途中でパーツが落ちたんだよ」

 そう答えながら左肺を指差す。

 本当はほぼ全てのパーツが落ちたし、はめ直す為に一旦全部外したんだけど、ちょっと動くだけでパーツが落ちるボロ。だなんて思われたくないから、本当の事なんて言わない。

 「パーツて!」

 ケタケタと笑っているこの石像は二宮金次郎だ。

 ボロいだけの俺とは違い、金次郎は石像とは思えない程の身軽さで、普通の石像ならば絶対に外せないだろう薪とか本とか普通に机の上に置く。

 二宮金次郎像としてではなく、薪は薪として、本は本として存在している証拠だ。そのうち、金次郎の姿は人間と変わらないようになって、昼間でも違和感なく歩き回れるようになるのだろうか?

 俺は、どこからどう見たって人体模型。昼間に動き回っていると大変な事態になる……のは金次郎も同じか。

 せめてパーツが落ちないようにはなりたいんだけど、なにか修行みたいな事ってしなきゃ強くなれないのだろうか?

 修行……具体的にはなにも思い浮かばないが、もし、なんらかの修行で強くなったら、パーツが落ちないだけではなくて1つ1つが動き出したり……したらホラーだな。

 あ、いや。人間は1つ1つ動いてるんだっけ。

 怪人赤マントや青マントも理科室にやって来ると、元音楽教師がアコーディオンで曲を奏で始め、カエルや蛇の標本も楽しげに瓶の中で踊り始めた。

 パーツの落下を防ぐため激しくは踊れず、地味に横揺れしながら理科室内を見回していると、いつもならば窓の付近でフワリフワリと飛び回っているバスケ小僧とプール娘がいない事に気が付いた、

 バスケ小僧は体育館に住んでいる元この学校の生徒で、1人でバスケをしている姿を度々目撃される事からそう金次郎によって命名されてしまった。本名は知らない。

 プール娘も元この学校の生徒で、昼間のプール授業に一緒になって参加している。ちゃんとプール帽の中に髪を入れていない子の髪を引っ張って教えたり、ちゃんと足の掻きができていない子の足を掴んで正しいフォームを教えたり……そのせいで物凄く怖い幽霊として学校内じゃあ花子さんと金次郎の次に有名な存在。本名は、誰も知らないんだけど。

 あれ、太郎と次郎もいないぞ?

 太郎と次郎は花子さんの弟で、男子トイレに住んでいるが花子さんほど有名人ではない。その理由は、本人達が出不精だから。

 ついに俺達の時間になっても出て来なくなるとは……なにかあったのかも知れないし、迎えに行くか。

 「太郎と次郎は?」

 踊る花子さんに近付いて2人の今日の居場所を尋ねると、

 「第2校舎の3階じゃないかしら」

 との事。

 理科室は第1校舎1階にあるので、太郎と次郎のいるトイレに行くには本館を経由しなければならない。

 真っ暗な廊下を結構長い道のり歩くのはいささか危険なので、俺は金次郎と2人で第1校舎2階にある音楽室に向かい、そこで1人1枚ずつ肖像画を手にした。

 音楽室の肖像画は目が光るので、懐中電灯代わりに丁度良いのだ。

 肖像画を抱きかかえるようにして持ちながらパーツが落ちるのを防ぎ、それでも慎重に足を前に出す。

 この時間になれば多少の足音が出ようとも気にする者なんかいない。だけど、隣に金次郎がいるから細心の注意を払いたくもなる。無様にパーツをぶちまけている姿なんか見せられないだろ。

 本館に入り保健室の前に差し掛かると、全てのパーツは胸の中にあるというのに、目で廊下の端なんかをチェックしてしまう。

 なにも落ちてない、よな?

 「どーしたん?パーツでもなくした?」

 なくしたら一大事……の前に、今更取り繕っても無駄だって事を思い知らされた気がするよ。

 そう、俺は九十九(つくも)だ。

 ボロイ事だけが取り得の人体模型。

 だから、もしかしたら、パーツは落としてなんぼ!なのかも知れない。それなのに、落としている所を見られたくないってのは無駄なプライドなのだろうか?

 「さっきこの辺りでパ-ツ落としたから、他にも落ちてないかなって。念の為に」

 無駄だろうがなんだろうが、無様な様を見せたくないと思うのは普通の感情だろう。

 俺と同じ九十九の金次郎は年月が経つにつれて人間みたいに動けるようになっているし、薪とか本とかの着脱も可能で自由度が増しているのに対し、俺はパーツがポロポロ落ちるから普通に歩くのも大変なほどボロさが増している。

 「自分の一部やのに、落ちてても分からんもんなん?」

 きっとそのうち、自分のパーツがちゃんと胸に納まっているのかどうかも分からなくなるんだろう。

 「念の為だって」

 もしかしたら、現時点でそうなっている可能性もあるんだ。

 「フーン。で、落ちてそう?」

 ガランとしてゴミ1つない廊下の何処を見れば落ちているように見えるんだ?まぁ、見てないんだろうな。正確には見られないんだろう。

 石造りの金次郎は膝を曲げる行動が苦手だから、しゃがみ込んで下に落ちている物を探すって動作も苦手なはずだ。

 「落ちてない。じゃあ、先を急ごうか」

 目を光らせている肖像画を廊下の先に向け、第2校舎に向けて再出発する。もちろん、パーツが落ちないようにと強めに肖像画を抱きしめながら。

 「ふぅ~ん♪なにも奏でない貴方の鼓動で1曲書けそうだよ」

 強く胸に抱いているのは情熱でもなんでもなくてパーツの落下防止なだけだから、そういうのは良いです。

 第2校舎に入って階段を3階まで上がれば、目的地はもうスグそこ。

 「おぉーい。太郎、次郎、おるかぁ?」

 金次郎が3階のトイレを覗き込みながら言うと、中から短い返事が返ってきた。しかし出てくる気配が全くないので入ってみると、太郎は小窓から外を眺めていて、次郎の姿は何処にもない。

 「次郎は?」

 とか声をかけておいてなんだけど、3つある個室の真ん中だけ扉が閉まっているのだから聞かずとも分かる。それなのに尋ねたのは自発的に出て来てくれたら良いなぁ。と言う思いから、なんだけど……個室の中からは物音1つしてこないし、太郎も窓の外を眺めたまま動かない。

 「中」

 なんて短い返事をしたまま無言。

 仕方ない、俺達で遊びに誘うしかなさそうだ。

 ここにいるのが次郎で、個室の中にいるのが太郎ならばまだ簡単だったのに。なんて考えたってしょうがないか。

 金次郎を見ると自信ありげな表情で個室の前に立ったから、金次郎が持っていた肖像画を受け取って1歩下がった。

 ノックの衝撃でパーツが落ちるかも?とか心配しなくて済んで良かったよ。

 コン、コン、コン、コン、コン、

 「おぉーい、次郎出てこーい。あーそびっましょー」

 コン、コン、コン、コン、コン。

 「……」

 無音。

 ノックのし過ぎで手が痛くなったとでも言うのか、金次郎はノックしていた右手を数回振りながら俺に向かって軽く首を振って見せてくる。

 自信あったんじゃなかったのかよ。

 ノックの衝撃でパーツが1個でも落ちたら、恨んでやるからな。

 コン、コン、コン、コン、コン、

 「次郎遊ぼー」

 コン、コン、コン、コン、コン。

 どうだ?

 カチャリ。

 よっしゃ!

 「分かったよぅ」

 なんとなく嫌そうな、だけど諦めたような、そんな複雑な表情を浮かべた次郎が、それでも個室からは完全に出て来ないで顔だけ覗かせながら返事をした。

 太郎と次郎は出不精で、特に次郎の方が酷くはあるんだけど、ここまでだったか?

 いや、現に昨日まではちゃんと理科室まで来ていたじゃないか。

 トイレから出られない理由がある?

 だとしたら……んー……どんな事だろう?

 「なんで理科室に来ないんだ?」

 次郎の目線に合わせる為にしゃがみ込むと、ポコンとパーツが浮き上がる感触がして、慌てて肖像画を胸に抱く。

 「フゥ~ン♪なにも奏でないキミに私は贈ろう。触れ合った心と心を曲にしてー……」

 「ホォ~ウ♪なにも伝わらない冷たいキミの心をメロディーに乗せてー……」

 あ、今肖像が2枚持ってたんだった。

 同時に喋るからほぼ聞き取れなかったんだけど、恐らくは俺の落ちそうになっているパーツを題材に曲作りをしようとしているらしい。

 もし作曲された曲が、パーツの落ちるカランカランって音で構成されていたら、その光っている目に画鋲を刺してやる!

 にしても、無音から曲のイメージが湧き上がるなんて凄いな。肖像画だとはいえ、ちゃんと作曲家の魂が宿っているんだな……。

 じゃあ、俺には一体誰の魂が宿っているというのだろうか?

 金次郎には、本当に二宮金次郎の魂が?

 な、訳はないか。だってここの金次郎関西弁だし。

 だったら尚の事誰なんだ?

 キィィ~~~……。

 しゃがんだまま黙っていると、次郎がトイレのドアを開け放って出てきた。そしてチョコチョコと走って太郎の隣に並んで立つ。そうすると太郎もようやく窓の外を眺める事をやめてこっちを向いた。

 「僕達」

 「昨日」

 「体育館横の」

 「トイレにいたの」

 交互に喋るのには太郎と次郎なりのこだわりがあるそうで、双子ではないから交互に。との事らしい。けど、今みたいに綺麗に言葉が繋がる事は珍しかったりする。

 「それで」

 「それで?……そこで」

 「えと……バスケ小僧君に」

 「バスケ小僧君が」

 「バスケ小僧君に!」

 「が!」

 「に!」

 ほら、この通り。

 「バスケ小僧君が来て、僕達に相談してきたの」

 「バスケ小僧君に相談事をされたの」

 最終的にはこうしてそれぞれが言いたい事を言う。

 交互に喋るとのこだわりがあるくせに、練習などはしないのだろうか?そもそも練習方法ってあるのか?

 いや、まぁ、それは良いとして。バスケ小僧がこの2人に相談をしたらしい。それと理科室に来なかった事とどう関係があるのかは分からないが、バスケ小僧も理科室には来ていなかったし……それとプール娘もだ。

 「で、なんて相談されたん?」

 気になるのは分かるけど、直接的過ぎるから。

 大体、バスケ小僧は俺達にではなくて太郎と次郎にだけ相談を持ちかけているんだから、きっと言い難い事だったはずで、口止めだってしているはずだ。

 「それは」

 「秘密」

 「男と男の」

 「約束」

 ほら。

 だからもっと段階を踏んで、少しずつ聞き出さなきゃならないんだ。太郎と次郎の警戒を解きながら、少しずつ……。

 具体的にどうやって聞き出したら良いのかは分からないけど。

 あれだ、情報や知識があった所で活用方法が分からなきゃ意味がないのと同じ。理屈は分かっているんだけど、実践方法がまるで分からない。

 さて、如何切り出そうか……。

 「理科室に来ない理由は分かる?」

 相談内容が知りたいんじゃなくて、俺はあくまでも姿を見せない事を心配しているだけ。という事にしよう。

 嘘ではないし。

 「教えなーい」

 「秘密」

 ふむ。

 「太郎と次郎が来ない理由と関係はある?」

 昨日まで来ていたのに今日になって来ていない事、バスケ小僧が相談したのが昨日だという事を考えれば、関係があると思う方が自然だ。

 「知らなーい」

 「分からなーい」

 ほほぉ。

 なるほどなるほど、なんも分からん。

 今度は俺が降参とばかりに金次郎に向かって軽く首を振って見せると、金次郎は太郎と次郎の前ではなく、窓の方に向かって歩き、

 「なに見てたん?」

 と、外を眺めた。

 太郎は次郎が出て来るまで俺達にも構わずあの窓から外を眺めていた……それはきっとなんの変哲もない事なのだとは思うが、出不精の癖に人懐っこい普段の太郎の態度から考えると少し違和感がある。そもそも理科室に来なかった事がもう可笑しい。

 金次郎の隣に立って窓の外を見ると、プールへと続く渡り廊下が見えて、そこにはバスケ小僧とプール娘の姿が。

 「見付かっちゃった」

 「見付かっちゃったね」

 良くは分からないが、見付けては駄目だったらしい。けど、太郎はここからあの2人を見るために理科室に来なかったというのはなんとなく分かった。なら次郎は?

 始めに個室の中にいた事から、バスケ小僧とプール娘のナニカには興味はないが太郎が興味津々だから付き合ったって所かな?

 「なにやってんねやろ?行ってみよか」

 茶化しに行く気満々なのだろう金次郎は、ニンマリとした良い笑顔で、窓から身を乗り出して下にジャンプ。

 ドーン!

 石像らしい重量感たっぷりな、とんでもない音をたてて着地すると、なに食わぬ顔で渡り廊下横の植え込みに身を隠した。

 あれだけの音を発しておきながらバレてないと思える神経が凄いな。

 「あのぉ、キンジロさん。そんな所でなにしてるんですかぁ?」

 案の定プール娘に声をかけられている。

 「い、いやぁ~。風が気持ちえぇなーって思ってな」

 苦し紛れの言い訳にも程がある事を言いながら、痒くもないくせに頬を軽く掻きながら見上げてくるが、助け船は出せないからな?

 もし俺がここから飛び降りたりなんかしたら、パーツが落ちる位じゃ済まないからな?だからって階段を下りてプールに向かっても、慎重に歩く俺じゃあどれ程の時間がかかるか分からない。肖像画で押さえながら走ったとしても……。

 「私を~♪」

 「放り~♪」

 「「投げないで~♪」」

 放り投げないし!

 そして歌わなくて良い!

 後、何故本家の太郎と次郎よりも上手い事揃えられるんだ?あれか、ハモリとかその辺のテクニックか?

 フワフワと金次郎の周りを飛び回るバスケ小僧とプール娘を眺めていると、朝の柔らかい匂いがフワリと漂い始めた。

 そろそろ人間が起きる時間だな。

 さぁて、お開きの時間だ。肖像画を音楽室に戻して保健室に戻ろう。

 「人体模型、太郎、次郎、また明日な~」

 窓の下では笑顔の金次郎が手を振っている。

 うん。また明日。

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