自堕落亭主と子煩悩妻と達観娘

 奇跡を叫んだ男が現れてから約400年。その男が結んだ魔族との和睦により世界情勢は一気に変わり、頻繁に起きていた紛争は無くなり事実上の冷戦状態となった世から物語は始まる。

 早朝。寝ぼけ眼を擦りながら起き上がった少女は、隣で眠る麗しい母の手をどけ音を立てないようにベッドから抜け出しクローゼットを開ける。寝間着から制服に着替えた彼女はそのまま部屋を後にして階下のリビングへと足を運ぶ。そこには口にくわせた煙草から紫煙をあげつつ朝刊を手に取りぼけーっと座る若々しい父の姿があった。


「……おっ、エイル。早いな。どうした?」


「パパ。今日は私の入学式なんだけど。」


 呆れた口調で淡々と返しつつ朝食の準備を始めた少女の名前はエイル=ロウ。中等部を卒業し今年度からエルセイン高等学校に入学する事になっていた。

エイルの言葉を聞いた父は数秒の間天井を見上げる。そして何かを思い出したかの様な顔つきで彼女を見つめ微笑んだ。


「もうそんな歳か。おめでとう、エイル。」


「いや、娘の歳位覚えてようよ……。それよりパパ。今日父母同行だから準備してよね。」


 慣れた手付きで3人分の朝食を作り終えたエイルの言葉に一瞬嫌そうな顔をした父だが、すぐに朝刊を置いて部屋へと向かった。それを横目でみつつ彼女は母を起こす為に再び自室へと向かう。


「ママ。起きて。入学式は今日だよ。」


「ん……。エイルちゃんおはようのちゅーして……。」


「……甘えてないでちゃんと起きて。朝ごはん作ってあるから。」


 白けた表情で母を抱き起こしたエイルは、そのままカーテンを開けずに室内灯を付け母の意識を覚醒させる。その眩しさに一瞬眉間に皺をよせた母だが、よろよろとベッドから降りエイルに手を引かれて父の居る部屋へと誘導される。


「ん。アーディも起きたか。」


「エイルちゃんに起こされた……。おはよ、アッシュ……。」


 既に礼服に着替えた父は着替えに来た母と入れ違いの形で部屋を出る。先程までのだらけた様子が一切きえた父の名はアッシュ=ロウ。見た目の若さとは対象的に重鎮のような雰囲気を持つ彼の歳は戸籍上では40歳となっている。そしてアッシュが部屋を出た数秒の後に漆黒のドレスに身を包んだ絶世の美女とも言うべき女性はアーディライト=カズィ=ロウ。妖艶な佇まいに人種族とは異なる犬歯。禍々しくも美しい魔力の渦を纏う彼女は吸血鬼であり、その歳は700歳をも超えて尚若々しさを保っていた。


「公衆の面前に姿表すのはいつぶりになるやら。」


「私達の結納位かしらね。久々でとても楽しみだわ。」


 一般家庭の朝食にしては重すぎる肉ばかりの食事を終え、口直しに珈琲を飲んだアーディライトが立ち上がると、続く様にアッシュとエイルも席を立つ。丁度その時来客を知らせるチャイムがなり、皆共に玄関へと向かう。扉を開けるとそこには深々と頭を下げた老紳士が立っていた。


「わざわざ迎えをありがとうシフォン。元気にしていたか?」


「お陰様で。……とは言え私の方はそろそろ天寿に近いですが……。」


 皺だらけの顔を歪めて笑ったシフォンにアッシュはそうか。と一言だけ言い残し背後に控えていた馬車へと乗り込む。続けて会釈をしたアーディライトが乗り込み、エイルも続いた。

 2頭の栗毛馬に引かれて動くこの馬車は中々に高価なもので、大富豪や貴族の使うそれに比べ劣るものの懐が温かい者でなければ用意できない位には値が張る。少なくとも普段の生活を顧みる限り裕福とは思えない彼らが使用できるのは偏にシフォンの家からの好意だった。

 隣に座るお付きの御者に手綱を任せたシフォンがこちらに入りじっとエイルを見つめる。その視線にどこか照れ臭そうに目を逸らしたエイルに微笑み彼はアッシュとアーディライトの方へと顔を向ける。


「アーディ殿と違いエイルちゃんは陽の光を受けても大丈夫なのですか?」


「ええ。この子はどちらかと言うとアッシュに寄ってるのかしら。」


「そうか?将来的に美しくなる要素を持っている。どちらかといえばアーディに似ているだろう。」


「……そういうのは本人居ない所でやってくれないかなぁ。」


 耳まで赤くしたエイルの言葉にアッシュはニヤリと笑いアーディライトは鼻から出てきた愛情を真紅のハンカチで拭う。普段はどこか達観した様子で大人びているエイルだがストレートな愛情にはまだまだ恥ずかしさを感じるらしい。その様子に思わずエイルを抱きしめたアーディライトは、逃げ場のない羞恥心で暴れる我が娘をいなしては撫で諦めるまで続けた。


「とは言えあまり長い時間陽の光を浴びていると体調を崩しやすい。学校長には前もって一言通してあるが自己管理も大事だぞ、エイル。」


「分かってる。想定時間を超えそうな場合『影朧かげおぼろ』を使っていいんでしょ?」


「ああ。後戦闘訓練は極力武術のみで行うこと。半吸血鬼のお前が魔術を使っての戦闘を行うと純人種、亜人種位では相手にならない。同じ様な半魔種や純魔種を相手にする時は思い切ると良い。」


「……私一応女の子なんだから武術も魔術も勝つ前提で話されるのはどうかと思うんだけど。」


 むっとして拗ねたエイルに3人は思わず噴き出す。あれだけ女児扱いを受けるのを嫌い父に武術を、母に魔術の教えを乞うた娘にも思春期というものが来たのだろうか。今までにない反論に著しい成長を感じた両親は心のどこかにあった不安が一抹も残らないほど安堵へと変わり自然と笑顔が漏れる。


 その後談笑しつつ昔話に華を咲かせたアッシュとシフォン、アーディライト達の会話を聞き流しながら進む事四半刻。立派な門を構えたエルセイン高等学校の校門前へと付いた馬車はシフォンを除く3名を降ろした。


「帰りはどうなさいますか?」


「アーディの『ゲート』を使って帰るよ。今日の行きさえなんとか出来れば地点登録が可能だからね。」


「畏まりました。もし入り用があればまた。」


「ああ。用がなくてもお茶の誘い位はだそう。」


 アッシュの言葉に心底嬉しそうに微笑んだシフォンを見送り、一家は中へと進む。彼ら同様新入生の父母達が我が子の服装を正したり交流のある父母間で世間話をしたりと一様の騒がしさを見せる中彼らに近づき手を振る生徒が現れた。

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