男子高校生4人組がカラオケで『キー変更』は有りか無しかを語る話

野良なのに

男子高校生4人組がカラオケで『キー変更』は有りか無しかを語る話

『常々思ってんだけどよぉ……キー変更ってのはどうなんだ』

 歌詞の表示が消え曲名のテロップに変わり、最後のギターメロディが薄れゆく中で洋輔ようすけが呟いた。

 その発言にその場の全員が顔を見合わせる。最初に反応したのは今しがた歌い終わったばかりの克己かつきだった。

「別にいいだろ、歌いやすいんだし」

 表情はいつも通りの人当たりの良い微笑だが、僅かに声が固い。何か彼の琴線に触れるところがあったのだろうか。

『にしても変えすぎじゃないか? +4にしたり-5にしたり……お前折角音域広いのによお』

「変に裏声になるのが嫌なんだよ、地声に近い方が楽だしな」

 克己は腰を下ろすと目の前のミルクティーを口にする。机の上は空になったグラスで埋まりかけている。そろそろ纏めて戻さないとなあ、と頭の片隅で思うが面倒なので中々動く気にはなれない。

 少しの時間を空けて次の曲が始まる。次の番は洋輔の番のはずだが彼が歌いだす様子はない。その手に握ったマイクは歌ではなく彼の熱論に用いられるらしい。

『いや、その裏声とかが良いんじゃねぇか。普段出せない声出すのがカラオケの醍醐味の一つだろ? 俺お前の裏声結構好きだぜ?』

「そりゃ嬉しいけどな、ただ俺はこっちのが上手く歌えてる気分になるんだよ。あとマイクうるせえ」

 克己がそう言うと不承不承といった感じで洋輔はマイクのスイッチを切り机の上に置く。あまりに喧嘩腰なら仲裁に入る必要があるだろうが、この調子なら雑談の延長といった感じで済むだろう。

 俺と洋輔の間に座るしょうの方をちらりと覗くと手元のタブレット型のリモコンに視線を落としてポチポチと画面を行ったり来たりしている。相変わらず曲を決めるのに時間がかかる、というかギリギリまで粘るやつだ。こんな時は翔のマイペースが羨ましくなる。

「でもよぉ……やっぱカラオケは原曲キーであってこそだろ。じゃないと何か違うっていうかよぉ……」

「相変わらず頭固いな。確かにお前は原曲キーで一生懸命歌ってるけど……正直高い音出てない時の方が多いじゃん」

 ズバリと言われて洋輔が顔を引きつらせる。


 それ言っちゃうかぁ……。


 確かに克己は高音が出ないことが多い。下手ではないが、地声が低い関係でどうしてもハイトーンは裏声でも追いつかないのだ。それに彼が好きなロックバンドは出鱈目な高音シャウトを多用する。それを真似る彼の歌声は決して聞き苦しいとまではいかないが、採点機能では減点対象になるだろう。

「いや、それでも前よりは随分出るようになってきてるはずだ。やっぱこういう成長があるってのはいいじゃねえか」

「……そういえばさっきの曲も歌い切れてたね」

 確かあの曲を洋輔が最初に歌ったのは半年くらい前だったはずだが、その時はお世辞にも上手いとは言えなかった。あまり音程が取れていなかったし、特に最後のサビの転調部分など声がまともに出ておらずボロボロだった。それでゲラゲラ笑いあったのを覚えている。

「そう思うだろ!? やっぱ雄慈ゆうじなら分かってくれるよなぁ!」

 克己が満面の笑みをこちらへ向ける。しまった、余計なことを言ったせいで完全に巻き込まれた。

 自分としてはキーを変えても変えなくてもどちらでもいいと思うのだが。というか克己も洋輔も自分からすれば遥かに上手いので羨ましいなあとしか思えない。

 洋輔はしっかりした力強い声とギャップのある裏声が伸びやかだし、克己は透き通った中性的な歌声で幅広いジャンルの曲を自在に歌いこなして見せる。自分などは何とか音を外さないように歌うのが精一杯だというのに。

「雄慈を仲間に引き入れようとするなよ……。まあ上手くなってるのは分かるけどさ、俺は別に上手くなるために歌ってる訳じゃないし」

「上手く歌える方が楽しいし気持ち良いだろ? チャレンジしてみるもんだって」

「原キーが何が何でも一番って訳じゃないだろ。それに俺も全部キー変える訳じゃないし」

「お前キー変えないの低めで大人しめの曲ばっかじゃん」

 そんなやり取りが続いているうちに洋輔が入れていた曲の演奏が終わる。結局一小節も歌われることなかったその曲の代わりに、モニターには次の曲のタイトルが映し出される。見覚えのないその曲名に首を捻り隣に顔を向ける。

「これ何かの曲?」

「ちょっと昔のアニメのOP。ほら、竜の女の子が出てくる……」

「あー……何か見たような」

 言われてみればこのメロディには聞き覚えがある気がする。アニメはそれほど見ないが、CMか何かで耳にしたのだろうか。嫌いじゃないイントロだ。

 翔は座ったまま身体を少し捻って歌いだす。モニターが見やすいように心持ち姿勢を正して身体を壁に寄せる。やはりこの位置は外れくじだ。奥の誰かがドリンクバーやトイレに向かう時には立たねばならなくて面倒くさい。そのうち自然に誰かと入れ替わってやろう。

 翔は落ち着いた歌声で淡々と歌う。キーは変えていない。彼はオクターブを落として無理をせず徹底的に音程を取るのだ。機械採点ではこの四人の中でぶっちぎりである。ただ時間が勿体ないということでこの面子の時には採点機能をオンにすることは滅多にないが。

 翔が歌っている間も洋輔と克己はまだ話し合っている。声のトーンは若干落としているが、この調子だとまだ落ち着くのには時間がかかるだろう。

 仕方ないと小さく鼻をフンと鳴らして、手元のタッチパネルでポチポチと曲を入力してから間奏を待って立ち上がる。

「俺、ちょっとトイレ。ついでに飲み物取ってくるけど誰かいる?」

 手短に伝えると「コーラ」「なっちゃん」「ポタージュ」と三者三様の返事。頷きながら氷が溶けてすっかり薄まったココアを飲み干す。そしてお盆の上にコップを重ねて間奏が終わる前に急いでモニターの前を通り抜けて部屋から出た。


(しかし飽きないなあ、あいつらも)

 グラス置き場にお盆ごと置いてからトイレに向かった俺は周囲の部屋部屋から漏れる歌声に耳を傾けながらぼんやりと思う。

 この手のカラオケ論争はいつものことだ。

 曲を入れるのは自由か、順番か。

 洋楽、メタル、ラップ、アニソン、ボカロは有りか無しか。

 過剰なアレンジはどうか。

 二回以上同じ曲を入れるのはどうか。

 人の番でハモるのはどうか。


 最終的な結論が大抵「各々の勝手にしろ」になるのがお決まりだが、まあカラオケ好きのグループとしてはよくある話なのではないだろうか。

 用を足し終えて手を洗い、ごしごしとズボンで拭いながら早足で来た道を返す。時間的にはまだもう少しだけ余裕があるはずだが、次の番手だしあまりゆっくりする訳にもいかない。

 とりあえずこの論争もそろそろ終わらせなければならないだろう。


「この頑固者の原典主義者が! 気持ちよく歌えれば何でもいいだろうが!」

「はっ! せこせこ調節するオナニー野郎が! 男らしくオリジナルで一本勝負しろや!」

「きみーとであーいせかーいはー」

「……うわぁ」

 飲み物注いで戻ってきたら何だこの地獄絵図。例の二人は冗談交じりなのだろうがヒートアップしてるし翔は一切気にせず歌っているし。メンタル強すぎるだろこいつ。

 ため息をついて盆ごと机に置いてから身を屈めて席に戻る。奥の手を打っておいてよかった。

「ほら、飲み物取ってきたからいい加減落ち着けって。うるさいから」

 知らず知らずの内に冗談が本気になってきていたのだろう。我に返ったらしい洋輔と克己は少しだけ気まずそうに席に座りなおす。

 そして歌い終わった翔が次の曲の表示を見て「あ」と口を声を漏らした。どうやら気付いたらしい。

 俺はすぅ、と息を深く吸って頭の中でスイッチを切り替える。ガチリと脳の中でギアが切り替わるのが分かる。

「――よっしゃ、じゃあそろそろ本気出していこうか……行くぞお前らぁあーーーーー!!!」

「おっ!」「よっしゃ来たか!!」

 遅れて二人も察したのだろう。顔を輝かせて「しょうがねぇなあ」なんて言いながらマイクを手に立ち上がっている。やる気は満々のようだ。

 画面に表示されたのは「リンダリンダ/THE BLUE HEARTS」の文字。古臭いなどという奴は分かっていない、魂の曲だ。

 そして俺は歌いだす。

「ドーブーネーーズミー……みたいにぃ……!うーつーくぅーしくぅーなりぃーー……たいぃ……!」

 まずは最初の出だしから、ゆっくりと、ゆっくりとエンジンを温めるかのように。魂を絞り出すかのように。弓で言えば引き絞っていく段階。この後全てを解き放つ瞬間の為に力を溜め込む。

「しゃーしんー……にはぁ、うつらないぃ……うーつぅーくしさぁ……があーるぅかーらぁー……」

 俺が息を吸い込むのと同時に同士達も息を吸い込む。この瞬間、俺たちの心は一つになっている。さぁ始めよう。

 そして俺は声帯が引き裂かれんばかりに叫びだす。四匹の阿呆が吠え猛る。この3分だけは全ての理性を投げ捨てる。それが知らず知らずに生まれた俺たちのルールだった。




「あ゛ー……死ぬ……」「げほっ……」「はぁー……はぁー……」

 死屍累々となった部屋の中、俺はふと思ったことをぽつりとマイク越しに呟く。

『……こういう曲はキー変したくないかな』

「うん」「わかる」「それな」

 それが今日の結論となった。

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