エピソード22《動きだした世界》


 午前12時30分、蒼空(あおぞら)かなでが梅島のアンテナショップへ到着する前の出来事である。

「なんて事だ! このコースは非常に難易度が高いのは有名なのに」

「あのコースで、上級者以外が完走するとは信じられない」

「あれが上位ランカーとでもいうのか!?」

 周囲で観戦していたギャラリーが口を揃えて言うのは、レースに参加した秋月彩(あきづき・さい)に関する事である。

彼女はビルクライミング、ジャンピングに代表されるテクニックを利用してコースのショートカット、最終的には並いる強豪選手に勝利したのだ。

「ビルクライミングコースは公式設定。あのコース取りに関しては反則ではないが、それを差し引いても運動能力がケタ違いだ」

 他の選手も秋月のコース取りは問題ない一方で、彼女の運動能力は並大抵ではないと語る。

「マスター、あいつは反則だ。チートガジェットを使っている可能性がある!」

 受付のテーブルを叩き、秋月に対してクレームを付ける選手もいる。

しかし、店長と呼ばれた男性は冷静に回答をした――当然と言えば当然だが。

「自分が負けた理由を他の選手に八つ当たりするのは愚の骨頂……」

 店長の言う事も一理ある。薬物検査に関しては運営がレース結果に不審な個所があった場合、ピンポイントで行われている事は公式サイトにも書かれていた。

これは選手の申告等で行われる物ではなく運営の独自判断――と言える物だろう。

仮に他の参加者や選手の申告による判定にした場合、ランキング荒らしよりもランカー勢の方が誤申告の被害を受けると言う可能性もあって、相当な理由がない限りは薬物判定を行わない。

 この薬物判定に関しては、過去にドーピング疑惑をかけられた元アスリートが判定を受けるケースが多いようだ。

今回の件に関しては店長の交渉もあって向こうが譲歩したようだが、これが超有名アイドルファンのランキング荒らしだったら対応が変わってくるのかもしれない。

【アレをチートと言うには苦しくないか?】

【彼女は陸上競技でも名前の知れている選手と言う噂がある】

【陸上? パルクールじゃなく?】

【確かに、パルクールの技術も持っているのは一理あるが、体力的な部分は元陸上選手を思わせるだろう】

【パルクールの日本大会が行われたという話は聞かない。最近になって環境を整えるみたいな計画が噂されている位だ】

【だとすれば、あの技術はどう説明する?】

 つぶやきサイトでも秋月の運動能力関して議論が展開されており、彼女の能力は一種のチートとは違う事は断定された。

この辺りはショップでの反応と違う箇所である。

【パルクールの技術を教える学校はないが、個人でサイトを開設しているユーザーは存在する】

【つまり、それらを見ただけで試してみようと言う事か?】

【それは無謀だろう】

【ネット上の情報だけで、あの技術が誰でも出来るわけがない】

【パルクールの解説を行っているサイトや動画を巡回し、それだけで技術を実践しようという無茶はないだろう。第一、仮にやったとして怪我をする可能性も非常に高い】

【それに、秋月は重要な事を忘れている可能性がある】

【重要な可能性?】

 秋月のパルクールに関する技術、それはサイト等をチェックしただけの物ではないか、という議論に発展しようとした所で、ある人物が『重要な事を忘れている』とつぶやく。

【パルクールは心身を鍛える為の物と言われている。サバイバーの方が、どういった目的を持っているかは不明だが】

【確かに、ネット上でもフリーランニングと区別する傾向、パルクールでの危険行為をアクロバットと認識している事……色々と引っかかる個所は存在する】

【何故、サバイバーはフリーランニング・サバイバーとしなかったのか? 語呂の問題? 従来のパルクール等との差別化? おそらく、もっと違う部分にあるかもしれない】

【サバイバーの運営は『より安全に、よりスタイリッシュに』を合言葉に、あのランニングガジェットを採用し、現在のサバイバーを確立した。それ以外に、見落としている物があるのか?】

 つぶやきに割り込んできたコメントも周囲は気になっていたが、改めて合言葉を聞くと、確かに秋月が見落としている個所が何となくわかってきた。

【危険なパフォーマンス、アクロバットと言う事か。確かに、パルクールプレイヤーがサバイバーに難色を示しているのは、一連のアクロバットにあるという】

【大怪我をしてからでは遅いという事でランニングガジェットが実装され、現在に至る。しかし、パルクールプレイヤーはサバイバーがパルクールとは別物と言う理由も分からない】

【有名アイドルと超有名アイドルは別物というアイドルファンとは違うのか? その構図は――】

 この何気ない一言が、ある人物の目にとまった事で予想外の展開を生み出す事になった。



 午前12時50分、蒼空は別のアンテナショップに立ち寄り、そこでガジェットを受け取る。

このガジェットは前回のレースから学んだ事を詰め込んだ調整バージョンだ。

「選手の要望は極力受け入れるのが、このショップの特徴。しかし、この調整は無謀とも言える調整なのは間違いない」

 ファンタジーのエルフを思わせるような男性店長が蒼空の出した要望に対し、改めて驚く。

スピードをメインにして防御も安定、オールラウンダータイプに近いようなセッティングでもある。

「オールラウンダーのセッティングは初心者プレイヤーやパルクール・サバイバルトーナメントを普通に楽しむ人物向け、ハイスコアを狙うようなランカーには不向きと言っても過言ではない。更に追加のガジェットを装備するなら、話は別になるのだが」

 しかし、蒼空は店長の話を聞き流しながらガジェットの装着を行う。

このガジェットはオート装備タイプではなくマニュアル装備――手作業で装着を行うタイプでもある。

「自分はランカーの様な高みを狙う訳じゃない。だから、この仕様でも問題はない」

 蒼空は繰り返し言うのだが、それでも店長は彼のセッティングに関しては難色を示している。

「そこまで言うならば、止めはしない。しかし、これだけは忠告しておく。夕立を初めとしたランカー勢は、基本的にパワー特化やスピード特化に代表される特化型だ。弱点は自身のテクニックでフォローを行うタイプと言ってもいい」

 蒼空の方もガジェットの装着が完了、その足でそのまま梅島のアンテナショップへと向かう。

「自身を付ける為の装備と言うのならば、別のカスタマイズも薦められたが……」

 彼の手元には別のプレイヤー向けに提案したカスタマイズ案もあったのだが、言えずじまいになってしまった。



 午前12時55分、蒼空が梅島のアンテナショップへ到着、そこで色々な事がありつつも、秋月に遭遇した。

蒼空としては秋月と遭遇するのは偶然であり、狙った物ではない。

「まさか、秋月彩がランニングガジェットを使うとは――」

 観客席の方から一連の話を見ていたのは、超有名アイドルファンの男性である。

彼は違法ガジェットの流通を阻止している勢力が入り込んでいないか偵察をしていた。

偵察に関してはイリーガルの指示等ではなく独自判断なのだが。

『なるほど。予想外の人物がガジェットを使う物だな』

 アイドルファンの隣に姿を見せたのは、何とソロモンだった。

彼は定期的に梅島のアンテナショップを含め、周辺エリアの偵察を行っている。

ここでは強豪ランカーを打ち破るジャイアントキリングが存在するニュースがネット上で目撃され、真相を探る為にやってきたとも言える。

「これはソロモン様……」

『様は不要だ。それに、この場で取引を行うのは非常にまずい。今や違法ガジェットはパルクール・サバイバーだけの問題だけではない。ナイトメアを含めたチート勢やランキング荒らしに使用されている事で、警戒の目は増えつつある』

「ナイトメアはチート勢でも、超有名アイドルには懐疑的と聞きます。彼に手を貸すのは、逆に危険です」

『それでも、彼らが率いるチート勢は商売相手に変わりない。下手に向こうを刺激すれば、壊滅するのはこちら側の恐れもある』

「それは考え過ぎです。超有名アイドルを支持している与党が政権を握り続けている限り、我々の行動は合法として認められます。超有名アイドルファンは何をしても無罪――」

 超有名アイドルファンが、あまりにも過激な発言をした為、ソロモンは周囲に気付かれないように低出力のショックガンで一時的に気絶させる。

数秒経過してファンの方は気づき、その頃には既にガーディアンの護送車で別の場所へと運ばれていた。

何故、このような行動をしたのかは超有名アイドルファンにも分からない。ソロモンとは何者なのか――?

ソロモンが気絶させた人物は、後に超有名アイドルのCDを10万枚単位で大量購入し、オークションへ選挙券を外した状態で安値転売すると言うテンプレを広めた人物として逮捕される。

しかし、こうした転売テンプレは複数例あり、氷山の一角にすぎなかったのである。

起業詐欺と言うのは迷惑メールのテンプレでも知られるが、それに超有名アイドルの名前を載せるだけで大多数の人間を釣る事が出来るとは――超有名アイドルの名前が商売につながると言う証拠なのかもしれない。

『その発想は、超有名アイドルを唯一神とする信仰、それだけではなくコンテンツ戦争の引き金にもなる。その発想だけは思いついてはいけないのだ』

 その後、ソロモンはレースを見定めるまでもなくその場を離れる。

その理由としてギャラリーが若干増えてしまったのと、こちらの顔が割れてしまった可能性がある事が理由の一つである。



 午後1時、20名の選手がパチンコ店前のスタート地点に集まった。

このエリアの道路は一定時間ごとに全面封鎖を行い、その時は自動車等が入ってくる事はない。

単独で巨大なフィールドを使用できる場所もあれば、こうした交通事情を抱えるアンテナショップも存在するのがパルクール・サバイバーの現状である。

もう少し理解してもらえる住民が増えれば、交通規制も減らす事が可能となり、30人同時スタート等のルール変更も可能だろう。

「このレースが、新たなスタートになる」

 蒼空はレースにエントリー後、指定されたスタートラインの前に立つ。

その隣には、銃をメインにしたARガジェットを装着した選手がいたのだが、彼の方から話しかけてくる事はないのでそのまま放置する事にした。

「秋月は参戦しないのか。しかし、蒼空を含めて期待の新人とも言える選手やプレイヤーは多い」

 この様子をスタートライン近くで見ていたのは、阿賀野菜月(あがの・なつき)だった。

しかし、周囲は阿賀野と気づいていない。一部の阿賀野を知るような人間がいないのも、気づかれない理由だろうか。

 パルクール・サバイバーの場合、プレイヤーと呼ぶケースと選手と呼ぶケースが存在するのだが、これらには特に厳格な線引きはされていないようだ。

運営側はガジェット運用のルールで厳しい制約を入れている一方で、こうした二次利用やファン的な部分で調整不足のように見える。

その為、どうやって楽しむべきか分からないというファンが多いのも理由の一つかもしれない。

この辺りは運営側も把握しており、各種調整を行っているのだが……意見の集約は上手く出来ていないのが現状である。

「この辺りはパルクール・サバイバーでは運営以外で大きく行動をしていないのも影響があるのかもしれない……か」

 この後、阿賀野は別の用事を思い出してアンテナショップを後にした。

別の用事と言っても、歩いて数分のゲームセンターへ向かっただけだが――。

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