Nice Geek

 取り壊される、取り壊されると言われて、6年は経った。

 たしか、うちの担任はそう言っていた。

 閉鎖はたしか8年も前だったかな…と、たった一年ほど前に入学してきた俺は脳内で呟いた。

 部活も終わり、人がいなくなったところで、俺はそっと出口とは反対の方向に歩を進めた。

 1分も歩けばすぐにたどり着く、申し訳程度に立入禁止のロープが張られた、木造のボロい建物。

 歴史の長いうちの学校に残る、旧校舎だ。

 別に誰が死んだとかではなく、人が増えたり老朽化したりして使われなくなり、放置されたその建物に、今更目を向ける人などいなかった。

 七不思議のナすら聞いたことがない。


「マジで、あるんだな…」


 夕焼けに照らされたその校舎の前に立った俺は、思わず口に出してしまった。

 そもそも存在感がなさすぎるのだ。

 校内で話題にしている人はいないし、学校のパンフレットにも『旧校舎閉鎖』と書かれているのみだったのだから。

 感慨に浸りながら左腕の古傷を撫でていると、


「あれ?かわっち?」


 突然、後ろから声がかけられた。

 まさか人がいるとは思いもしなかったのでびっくりして振り返る。


「旧校舎に入ろうとしてたの?ダメだぞー?」

「…見なかったことにしてくれねぇかな、天宮あまみや

「んー、どうしよっかな?」


 彼女――天宮 有乃ありのはいたずらな笑みを浮かべた。


「まぁ、お前がどうしてもダメっつーなら入らねえよ」

「えー?川っちが旧校舎の説明してくれるんなら一緒に行こうって言おうとしてたんだけど」

「説明?」

「そ。気になってたんだよね、旧校舎。だけど全然噂も情報もないし、それで今日なんとなく来たら川っちがいたってわけ。川っちほどの情報屋なら旧校舎のことくらいなんでも知ってるでしょ?」

「…期待されてるとこ悪いが、パンフに書いてある以上の情報はないぞ。旧校舎の前すらほとんど来たことがない。入ったことは一回もない」

「なぁんだ…」

「ってわけで今からこっそり入ろうと思ってたわけだが…どうする?」

「うーん…」

「天宮みたいな優等生が旧校舎入って反省文書かされてるのも面白そうだけど、嫌ならやめるぞ」

「でも川っちも知らないほどの場所なんでしょ?やっぱり行きたい!」

「最初は『ダメだぞ』って言ってたのにな」

「うるさい川っち。今からでも先生に言いつけに行くよ」

「そりゃ天宮も同罪だろ…まあいいや、いくぞ」

「いぇっさ、川岸かわぎし隊長!」

「あまり大きい声出すなよ。バレるぞ」


 そう言いつつ入り口の引き戸に手をかけるが、開かない。

 どうやら立て付けが相当悪いらしい。

 俺たちは出鼻を挫かれた気分になりながら、窓枠を乗り越えて旧校舎に足を踏み入れた。


「部屋の配置は…東西に廊下が伸びてて、東から順に1-1、1-2…」


 スマホのメモアプリに箇条書きで記していく。


「熱心だねー…」

「昔っからこういう作業は大好きでなぁ」


 好奇心だけは旺盛な子供だったから情報屋の真似をしていたら、いつしか本当に情報屋と呼ばれるようになってしまった。


「所詮子供のお遊びの延長でしかないけどな…こういうスキルは将来に活かしづらいから、天宮みたいな優等生が羨ましいよ」

「そう?勉強ばっかしててもつまんないよ?やっぱ勉強と遊びはほどほどにバランスを取らないとね」

「それができてるところが羨ましいんだって」


 とりとめもない話をしながら歩いていくと、廊下の端に来てしまった。


「ここは…PC室?」

「へぇー、古いね。たしかここが閉鎖されたのって2006年だったよね?」

「よく覚えてるな」

「んーとね、これはカンニングなんだな」


 天宮はニヤリと口角を上げて、鞄から学校のパンフレットを取り出した。


「いいのか?優等生がそんなことしちゃって」

「別にいいもん。それに、あんまり優等生って言われるの好きじゃないんだよね」

「初耳だな」

「そりゃ今初めて言ったもん。だから川っちも優等生優等生って言うのちょっと減らしてくれたらなーって」

「嫌がってたならもうちょい早く言ってくれ、そうすれば言わないようにしたから」


 俺はPC室の扉に手をかけながら言った。


「あと、俺も川っちって呼び名はあんま好きじゃないから、できれば減らしてくれ。最初に呼んだやつが俺の嫌いなやつでな」

「初耳だなぁ」

「そりゃ今初めて言ったからな」


 同じようなやり取りをまた繰り返して、2人で顔を見合わせて少し笑った。


「わかった。川岸隊長」

「それはそれでどうなんだ」

「ふふっ。冗談だよ、たくくん」

「そう呼ばれると、びっくりするな…嫌じゃないが」


 そして扉を開け、PC室に入る。

 埃っぽい空気が舞った。


「おー、年季が入ってるねー」

「そりゃ放置され続けてるからな…って、パソコンまで放置されてるのか、これは意外だな」


 そこには、古そうなパソコンが数台放置されていた。


「川っち…じゃなかった拓くん、パソコンとかには詳しいの?」

「まぁ多少は?でもこんな古いのはさすがに触ったことないな」


 パソコンの表面をそっと撫でると、埃の下から型番が現れた。

 すぐさまスマホに打ち込んで検索する。


「1998年発売だってさ」

「そりゃ古いわけだ…端子も今見るようなやつじゃないなぁ」

「やっぱりパソコンって大きかったんだねー。今じゃこんなに小さいのにさ」


 天宮が俺の手元のスマホを指して言う。

 確かに、この15年でコンピュータは大きく進化した。

 自分が生まれた頃のパソコンが確か家にあったが、あれはまだ動くだろうか。

 そんなことを考えながら、俺は天宮の言葉を否定する。


「いや、ぶっちゃけこういうデスクトップパソコン自体の大きさはあんまり変わってないぞ」

「そうなの?」

「性能は上がって小さいのが出たりはしてるし、あっちの校舎にあるPC室のやつは確かに小さいけど、だいたいはこんぐらいの大きさだぞ。小さくなったなーってわかるようなのは…おっ、あった」


 そこにあったのは、ノートパソコンだった。

 学校のPC室にノートパソコンを置いている例はあまり聞いたことがない。それにノートパソコンの黎明期は2000年前後だったはずだから、この学校は案外先進的と言うか、チャレンジングだったのかもしれない。


「うわぁー、分厚いね…」


 天宮はスカートのポケットからスマホを取り出し、厚みを比べていた。

 こうやって興味深そうにしてくれると、説明する側としても楽しい。


「ノートパソコンも何台かあるんだね」

「結構珍しいな。PC室にノート置くってあんまり聞いたことない」

「もしかしたら、こういうのに詳しい人…なんていうか、オタクな人たち?が集まる部屋だったのかもね」

「かもな」


 部屋を見回すと、当時のオタク達があーだこーだ言いつつプログラムを組んで動かして…とやってたのが見えるようだ。実際に組んでたかどうかは知らないが。

 オタクの一端として、その輪に加わりたかったという気持ちが少し生まれた。彼らは今、コンピュータが進化したこの世界を生きているのだろう。なんとも、オタクに優しい時代になったものだ。


「こっちにも何かあるね、これは…電子工作のやつ?」

「ん?」


 声のしたほうを向くと、天宮が半田ごてを持って興味深そうに眺めていた。

 無意識に、右手が古傷を撫でた。


「たしか、半田ごてだっけ?こっちは…抵抗かな?基板とかも残ってるね、すごいなぁ…」

「なんで持っていかなかったんだろうな」


 近くには行かず、離れたところから声をかける。

 …やっぱり、俺はまだ近づきたくはないようだ。


「…どうしたの?」


 挙動不審だったか、天宮が俺に心配するような調子で声をかけてきた。


「まぁ、昔いろいろあったんだ」

「へぇ」


 そう言うと天宮は、とててて、と可愛らしい足音を立ててこちらに駆け寄ってきた。


「それは、その傷に関係あること?」

「…気づいてたか」

「前からね」

「マジかよ」


 俺は右手を離し、その傷跡を晒した。


「…痛くないの?」

「跡だけだよ。完治してる」

「ふーん…」


 天宮はわざとらしく言うと、不意に俺の左手を手に取り、傷を包み込んだ。

 柔らかで温かな感触が伝わってくる。

 突然の行動に俺が戸惑いを隠せないでいると、彼女は口を開いた。


「なんというか、そういう…トラウマ?とかがあるなら、相談してくれていいからね?あんまり抱え込まれても…ほら、困るし?」

「あ、ありがとう…でも、なんというかくだらないことだぞ?」

「こんな跡が残るような傷で…くだらないないわけでしょ」


 天宮はちょっと怒ったように言った。


「…さっき、嫌いなやつが呼んだから川っちって呼ばれるのは嫌だって言っただろ?中学のとき、俺にやたら絡んでくる奴がそいつだったんだ。テストで負けたんだかなんだかって言ってたけど、やたらとな…で、技術の授業のとき、ちょうど電子工作のときだったんだけど…ちょっかい出してきたとき、ちょうど俺刃物使ってたんだよ。んでまぁ、手元狂って手首にザクッと」

「……」

「天宮が気にする必要はねぇよ。昔の話だし、後遺症なんかもない」

「それでも…」


 天宮は俺の傷に目を落とした。

 オレンジ色の光の中で、沈黙が場を支配する。

 それはなんだか、気持ちのいいもののような気がした。


「…なんつーか、ありがとな。こうやって心配してもらったのは久しぶりだ」

「いいんだよ、拓くん」


 柔らかい声音が耳に染み込んだ。


「…暗くなり始めたね」


 窓の外の赤みが、強まっていた。


「帰るか。情報も手に入ったしな」

「そうだね」


 俺は入ってきたPC室の扉をそっと開けた。

 舞い上がった埃が夕焼けに照らされていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る