階段下の一畳間(短編版)
人は誰しも、落ち着く場所というのを持っている。それは例えば家にあるパソコンの前だったり、二段ベッドの1階だったり、机の下だったりする。
僕にとっての落ち着く場所は、学校にある東階段下のたった一畳ほどの空間だ。
放課後、光の差し込まない薄暗いその空間で過ごしていると、不思議と安心できるのだ。
でも僕がその場所に惹かれるのは、そういう理由だけじゃない。
階段を通りがかる人々の会話が聞こえてくるのだ。
それは恋バナであったり、誰かの陰口であったり、はたまたカップルの甘い会話であったりする。
その人間のちょっとした一場面に、僕は不思議な魅力を感じるのだ。
ある日の放課後。
僕はいつもどおりそこの壁にもたれかかってスマホを弄っていた。
時間も遅くなり校内に残る人はあまりおらず、遠くから吹奏楽部の練習の音が聞こえてくるのみだった。
今日はもう帰るかと、僕がスマホをスリープさせ、ポケットに滑り込ませたそのとき、コツコツと足音が響いてきた。
どうやらその人物は踊り場に留まったようで、しかし、落ち着かないように踊り場を忙しなく歩き回る。
誰かを待っているのだろうか。僕は、もう少しそこにとどまることにした。
ほどなくして、もう一つの足音が響いてきた。
「先輩…来てくれたんですね」
「私は後輩の頼みを断るほど冷酷じゃないよ、
宮武さんと呼ばれた彼女が呼び出したのは、僕の先輩でもある
静野さんのことを知らない人は多分この学校にいないだろう。
彼女は全国模試三位だとか弓道の全国大会優勝だとか、数々の伝説を残していて、僕も何度全校集会で賞状を受け取る姿を見ている。
いわゆるみんなの憧れだ。
「それで、私への大事な用っていうのは何?」
「えっと…その…」
宮武さんは少し言い淀んで、決心したように言った。
「わ…わたしは、静野先輩のことが、す、好きです!」
ほう。
この場所を見つけて1年以上は経ったが、告白は聞いたことがなかった。
「その…わたしは、先輩に憧れて弓道部に入って、それで…えっと、先輩の
数瞬の間が空き、静野さんは答えを返した。
「…ごめんなさい」
ああ、やっぱりな。
告白というものは失敗するリスクが高い。
ましてや、同性となればさらに成功する確率は低くなるだろう。
「そ、そうですよね…こちらこそ、ごめんなさい…こんな、受験を控えてる時期なのに…」
落ち込んだふうに言うと、宮武さんは足音を響かせて走り去っていった。
…さて、静野さんが帰ったら僕も帰ろう。
そう思いながら僕は静野さんが去るのを待った。
静野さんが階段を下りてくる。そして…
「「…あ」」
…よりによって、こっちに来た。
「
「さあ、どうでしょうね。自分が好きかどうかによるんじゃないですか」
僕はそっけなく返した。
「だ、だよね…」
ふたたび、空間は吹奏楽部の練習の音に支配された。
僕と静野さんがいるには、この一畳間はちょっと狭い。
「私はね…ほんとはね、あの子のことが、好きなの」
「そうなんですか」
「うん…弓道部ってね、すごく上下関係が厳しくて…私が入ったときなんかはすごくピリピリしててね…でもね、あの子が入ってから…たった一ヶ月で雰囲気がガラッと変わって…すごい、明るくなったんだ。私、すごく憧れたの。私ができないことを簡単にやってみせたから…それで、いつしかあの子と一緒にいれたら楽しいだろうな、って思うようになったの」
「だったら付き合えばいいんじゃないですか」
僕はやはりそっけなく返した。
僕が興味あるのは人の一場面を観測することであって、人の事情に突っ込むことではない。
「そうなんだけどね…私が受け入れたら、多分あの子も私と同じ大学を目指すでしょ?」
「でしょうね」
「だから、それだとあの子が本当にやりたいことができなくなるんじゃないか、って思っちゃって…」
静野さんは溜息をついた。
「話が終わったなら、帰っていいですか?」
「あっ…そうね、ごめんなさい。帰るのを邪魔しちゃって…」
僕は荷物を持って階段下から出た。
ふと振り返ってみると、静野さんは体育座りで下を向いている。
その様子がどうにもいたたまれなくなって、僕はつい口を開いた。
「…あの」
静野さんが顔を上げる。
「好きな人と同じところを目指すって、そんなに悪いことですかね」
「悪いことではないと思う。ただ…本当にあの子がやりたいことができなくなっちゃうんじゃないかって…そう思うの」
「先輩の目指してる大学ってどこですか?」
「体育大学。大学でも弓道を続けたくて…」
僕は深く溜息をついた。
「だったら、心配することないんじゃないですか。宮武さんって子も、楽しくなった弓道部でずっと続けているんでしょ。目指すとこ、同じじゃないですか」
静野さんは、ハッとした顔になった。
「宮武さんが本当に何やりたいかなんて知りませんけど、憧れの先輩が…好きな人が同じことをやってて、その人がそれを大学でも続けたいって言うんだったら、喜んでついていくんじゃないですか」
「そっか…」
あと一押し。
「行ってあげたらどうですか?宮武さん帰っちゃうかもしれませんよ」
僕がそう言うと、静野さんはさっと立ち上がり、一畳間を飛び出していった。
そして、十歩ほど行ったところで、急にこちらを振り向いて言った。
「ありがとう」
「全くです。人助けなんて趣味じゃないんですよ」
静野さんは僕に笑顔を見せて、また走り出した。
「大ニュースを仕入れてきたぜ。気になるだろ?」
「気にならん」
前の席に座る
「だいたい朝からやかましい」
「そう言うなよ、
「へぇ」
「…なんだよー。もしかして、もう知ってやがったのか?」
「別に」
知るもなにも、僕がそれを後押しした張本人である。
それを正司に伝えたらどうなるか、きっと驚くだろうと思いつつ、僕はこの件を永遠に心のなかに留めておくことに決めた。
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