For her

 ある晴れた日の事だ。

 夏真っ盛りで、まさにアスファルトを太陽が焼くなんて表現が正しい日で、俺は熱の反射を直に受けながら家路を急いでいたわけだが、ふと近くのビルを眺めたら、見てしまった。

 屋上に、人影があった。多分女性だ、そう思った。

 明らかに柵の外に出てたものだから、びっくりした。

 通行人が足を止めて彼女の方を見ていて、みんなスマホを向けてるわけで。俺はわざわざカメラ向けてる場合じゃないだろ!って言うほど善人でもなかったもんだから、まあでもスマホを向けはしなかった。警察の人がこんな暑い中、一生懸命に説得しようとしてメガホン持って叫んでたけど彼女は一言も喋ってなかったもんだから、あたりに響いた音割れしそうな警察官の声が虚空に吸い込まれるような、そんな何もかもが無駄になってるような空気みたいなのが妙に心地よく感じられた。

 俺はそれからなんとなく彼女の表情を覗いたんだが、髪の毛が邪魔でよく見えなかったんだ。でもデジャヴを感じたのは確かだ。

 ふと、暑い空気を流すように、静かな風が吹いた。観衆を嗜めるような、少し冷たい風だった。それがきっかけだったのかな。彼女の体が揺らいで、重力に従った自由落下運動を始めたのは。髪がなびいて、ようやく俺は彼女の顔が真夏の日差しに照らされるのを見られた。

 俺の、幼馴染だった。

 大切な、幼馴染だった。

 それに気づいた次の瞬間に、硬いものと柔らかいものを打ち付けたような音が響いて、叫び声があがって、俺が必死で人混みを掻き分けて見たものが、…服と血を纏った肉塊だった。俺は頭が弾け飛ぶような思いで、何も考えられなくなって、気づいたら、ここにいた。



「これで良いんだろ!?アイツは…アイツは助かるんだろ!?」

「うーん…全然ダメですね。私が指定したのは一人称の文学的文章ですが、うん、語彙力はありましたね。これを加算していくと全体プラス百五十点。でも最初の「ある晴れた日の事だ」なんて文全体の時間軸と合ってませんし、文学的じゃなくてただの自分の感想になってるところもありますし。マイナス百二十点、合計三十点。落第ですね」

「おい、話が違うだろ!?俺が聞いたのはたしかに『私に一人称の文学的文章で詳細を語ってくれれば彼女を救って差し上げましょう』だぞ!?」

「必ず救う、とは言ってはいないじゃないですか。これ以上私に何か言ったところで無駄ですよ。せいぜい彼女を弔ってさしあげなさい」

「巫山戯るなァーっ!」


 哀れな少年は断末魔を残して神の前から消え去った。



 行き場のない感情を宿して、少年は日差しに焼かれる肉塊と対峙していた。感情はいつしか怒りと悲しみに集約され、行き場のなかった感情はいつしか神に向いていた。




「痛いか?痛いだろうなあ」

 神は、かつて神と呼ばれた人間の女のようにも見えるソレは、悠久の時の中で初めて感覚するものに悶えていた。

「なぜ…貴様が…」

 ソレの濁った双眸は男を捉えた。

「わからねえか?まあ人の気持ちをいともたやすく踏み躙るお前にはわからねえか。一度抱いた希望を潰される痛みなんざ」

「知ったことか…!貴様が文を用意できなかったのが原因だろう!?」

「うるせえよ、黙れ。最大限苦しんで死ね。アイツに何もしてやれなかった俺のせめてものケジメのために、死ね」

 男は剣を幾度となく突き立てた。



 全てが終わった後、男はその空間の空が光るのを感じた。

「…ああ、久しぶりだな。こっちは終わったよ」

「わかってる。勝手だった、ごめん」

「ありがとうな。じゃ、迎えに来てくれよ」

 空の光が消えた。

 男は神の骸から剣を引き抜き、自分の首に当てた。

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