排他選択的心身障害症候群リメイク版

 注:この小説は「#風呂短編」1~3話「排他選択的心身障害症候群」のリメイク版です。文芸部の部誌に載せてもらおうとしたところ表現が引っかかり掲載拒否を喰らったためこちらへ公開します。


 俺の彼女である茜は厄介な体質を抱えている。

 それが発現したのはついこの前だった。付き合い始めてから初のお泊り。

 それは楽しい時間などではなく、目の前で苦しむ茜を一晩中さすり続けた、地獄のような時間だった。少なくとも茜にとっては。

 それから毎晩、茜は夜中に苦しむようになった。

 俺にできることは茜を抱きしめてさすることくらいだった。

 病院に行っても全部正常で、至って健康体だと言われた。

 日に日に茜はやつれていき、その解決策を見つけられないまま過ごすのはとても辛かった。

 それから割とすぐに、茜は解決策を自分で見つけた。

 きっとその時は茜もそれが相対的に嬉しかったんだろう、笑顔で俺に話しかけてきた。

 俺も解決策があると聞いて嬉しさに飛び上がった記憶がある。それだけに、その中身を聞いたときの俺はさぞかし複雑な気持ちをしていただろう。


「体を傷つけると苦しくないんだ!」


 そう言って笑顔で生々しい腕の傷を見せつけてきた茜に、俺はどんな顔をすればよかっただろうか。その答えは、数ヶ月経った今でもわからない。

 だが、実際多少の体の痛みと地獄のような心の苦しみどちらを取るかと言えば俺だって前者を取るだろう。

 結局茜は最善策を取ったに過ぎない。人間は多少の傷で死ぬほど柔ではないのだから、それでよかったのだ。

 俺はそうやって自分を納得させたが、それでももっと良い策がないかと考えることをやめられなかった。

 最終的には、医者さえ匙を投げたという事実で無理やり心を抑え込んだ。



 茜が救急車で運ばれたという話を聞いたのは昨日だった。

 俺は深夜にもかかわらず家を飛び出し、病院へ向かった。

 幸い茜の命に別状はなく、俺が到着して数時間後、茜は普通に目を覚ましたそうだ。

 そんな報せを聞いて、俺は昼過ぎに仮眠室から茜の病室へ向かった。


「来てくれたんだね、ありがとう」


「当たり前だろ…自傷するなとは言えないけど、本当に気をつけてくれよ?それで、どこをやっちゃったんだ?」

「ここだよ」


 茜は服の上から腹と胸の中間あたりを指差した。


「…痛そうだな…」

「あの苦しみに比べたら、全然」


 茜は澄ました顔でそう言ったが、その表情の裏には苦しみのようなものが見え隠れしていた。


「…なんだけどね」


 茜が続けて言ったのは、彼女にとっては致命的とも言えることだった。


「ナイフが持てないの…自分を傷つけられないの」


 これは今朝試してみてわかったことだそうだが、ナイフを持つと体の震えが止まらないそうだ。

 茜にとってはこれが致命的になる。

 体を傷つけられなければ、心のほうが苦しむ。

 茜はそれを想像したのか、体を縮めた。

 もう既に苦しそうな茜を見て、俺は思わず言ってしまった。


「…俺が代わりにやろうか?」



 夜。深夜ではなく、夕食が終わって少しした頃だ。

 茜が苦しむ時間帯まではあと2時間程度といったところか。

 俺は茜の病室を訪れた。


「ナイフはそこにあるから」


 茜は棚を指差す。たしかにそこにナイフはあった。

 俺はそれを手に取り、茜のベッドへ向かった。


「お願い」


 茜は服を捲り上げ、白い腹を俺に見せた。

 そこには既に痛々しいたくさんの傷跡があった。

 目を逸らしたくなる気持ちを抑えて、俺はナイフを手に取った。


「…やるぞ」

「うん…お願い」


 これから来るであろう傷の痛みに耐えようと、茜は目を瞑った。

 その表情がまた痛々しい。

 俺はそっとナイフの先を茜の腹に食い込ませた。

 痛みに耐える茜の声が聞こえないふりをしながら、俺はナイフを動かし、茜の白い肌に一本の赤い線を刻んでいく。

 そうして、だいたい他の傷跡と同じくらいの長さの傷ができたところでそっとナイフを離した。


「…終わったよ」


 俺は未だ痛みに耐える茜に、努めて優しく声をかける。

 茜の目から一筋の涙がこぼれ落ちるのと同時に、腹の傷から血が一滴滴った。

 俺は丁寧に血を拭き取り包帯を巻いた。


「ありがとう」


 茜はそう言ったあと、独り言のように呟いた。


「これじゃあ明日はお腹は無理だね…腕かな」


 今の状況を受け入れているような茜の言葉に、少しの苛立ちを感じた。

 茜はそんな俺の気持ちを悟ったのか、


「私は大丈夫だよ、心が痛むよりずっと楽だから」


 と慰めるように言った。

 本来は俺が慰めるべきなのに。

 そう考えると今度は自分に苛立ちを募らせることしかできない。


「…おやすみ」


 俺は考えるのをやめようとして、そう呟いて病室をあとにした。



 茜は数日で無事退院したが、結局ナイフどころか他の刃物さえ自分を傷つけようとすると持てないようだったので、茜の自傷行為の代わりは俺がやることになった。そういうわけで、俺と茜の同棲生活は始まったのだった。



 いつしか手慣れたのか、俺はその行為に罪悪感を感じなくなり、逆に傷だらけの茜の体が美しいとさえ感じるようになってきた。

 そしてそれは短時間で茜に苦痛を与えることなく行える作業になっていた。


「すごい、本当に痛くないね」


 茜がそう言ってくれる度、達成感を感じる。

 いつしかそれは二人の習慣になっていき、罪悪感さえも消えていった。


 ある日のこと。


「ん?どうした?」

「いやー、なんか食欲がないみたいでね」


 茜は朝ごはんを少し残していた。

 量はいつもと変わらないはずだが。


「大丈夫か?」

「いや、まあ体は大丈夫。元気だよ」


 茜はそう言って笑った。

 その後も一応動きはしっかりしている。

 俺は茜に声をかけた。



 選択肢

「よし、じゃあ一緒に大学行くか」→分岐Aへ

「いや、やっぱ今日は休め」→分岐Bへ



 分岐A

「よし、じゃあ一緒に大学行くか」

「うん」


 そして茜と大学へ行った。



 昼になり、俺と茜は並んでコンビニ弁当を貪っていた。

 すると友人が声をかけてきた。


「おっ、お二人さん今日も熱いねーヒューヒュー」

「古っ」


 茜のその素の返しに彼はダメージを受けたらしく、とぼとぼと去っていった。

 それから会話は途切れてしまった。

 何を話そうか悩んでいると、茜が話しかけてきた。


「ねえ、今夜もよろしくね」


 それだけ周りの人が聞くと、なんだか誤解されそうだった。

 もちろんそんな意味はない。



 夜、いつも通りに事を済ませた。

 それで、明日の準備をして寝る。

 いつも通りの、はずだった。



 それはなぜだったのだろう。

 いや、今考えれば答えは明白だ。

 俺は気づくべきだった、茜が痛みに対して耐性をつけていたことに。

 俺は気づかなかった、無意識につける傷が深くなっていたことに。



「いたい…いたいよ…」


 茜の声は、心が苦しめられている声ではない。

 俺は部屋の明かりをつけた。


「なっ…おい!」


 茜の数多の傷が開き、ひどい出血をしていたのだ。

 パジャマは赤く染まり、表情は辛く歪み。


「…ひどい熱だ」


 俺は救急車を呼んだ。



『ねえ…いたいよ…たすけて…』


 茜の声が暗い空間に木霊する。


『待ってろ…今、助けてやる…』


 俺は必死で手を伸ばす。

 この暗い空間のどこにいるかもわからない茜に向かって。

 次の瞬間、光が差し込み―



『茜は、大学で迷っていた私を助けてくれました…』


 親友代表の女の子の、泣きながらの『別れのスピーチ』。

 周りの席からもすすり泣く声が聞こえてくる。

 俺はその席の真ん中に座って前を眺めていた。

 前には長い箱があり、その上には箱と、黒い枠に入った茜の眩しい笑顔が―



「うわあっ!!!!」


 俺は飛び起きた。

 デジタル時計が午前3時を指し示している。


「またこの夢か…許してくれ…許してくれ…」


 俺は『助けられなかった』茜に必死で許しを請う。



「敗血症性ショックです」


 医者が淡々と言ったのは覚えているが、それ以外は何も覚えていない。

 横で目を閉じている茜が妙に清々した顔に見えたというのは覚えている。

 もしかしたらこれで良かったのかもしれない。

 一時はそう思おうと努めたが、無理だった。

 結局、どうやったって事実は変わらない。



 俺が茜を殺したという事実だ。


 -end-




 分岐B


「いや、やっぱ今日は休め」

「なんで?」

「仮にも体調不良だろ。だったら休んだほうがいい」

「でも…」

「いいから休めって。俺だってこれくらいの体調不良で学校を休んだことがあるからいいんだって」

「うーん…」

「まったく、いっそ熱でもあってくれたほうがいいんだが…」


 俺はそう言って茜の額を触った。


「…って、マジで熱あるじゃねえか」

「えっ、本当?」

「測ってみろ」


 俺は体温計を渡した。


「…37.4℃…でも微熱だし…」

「いいから休めっての、お前は真面目すぎるんだ」


 その後、茜を無理やりベッドに寝かしつけようとして一悶着あり、大学着いたときには一限が終わっていた。



 昼時。俺が一人でコンビニ弁当をかきこんでいると、友人が声をかけてきた。


「おっす。あれ、今日は一人?茜さんは?」

「熱出してたからベッドに縛り付けてやった」

「…物理的にじゃないよな?」

「比喩だ」


 その後も他愛ない話を続けていると、友人がふと言った。


「そういえば俺んちが病院だって話はしたっけ?」

「前してたなそういえば」

「ちょっと前、妙な患者が運び込まれてきてさあ…」

「そういう話って部外者にしていいもんなの?」

「いや、正直本当に妙だったからな、素人の意見を聞きたい」

「…一体どんなんだ?」

「女性だったんだが、なんか、夜10時になると悶え苦しんで、午前2時くらいに治まるっていう症状」

「…!?」

「それが続いたある日、その患者が自分をめちゃくちゃ引っ掻いてな。そしたら苦しみが治まったんだ。」

「!!!」

「それから、その人をある程度傷つけたら苦しみが収まるってわかったから毎晩丁寧にナイフで傷をつけていたそうだ」


 間違いない、これは茜と同じ症状だ。


「…結局、その人はどうなったんだ?」

「結論から言えば、助かったよ」


 友人は言う。


「どうやってだ?」

「端的に言えば、恋人を作った」

「…はぁ?」


 俺は思わず呆けた声を出してしまった。

 茜にとって俺は恋人ではないということか?

 そんな俺に構わず友人は続けた。


「彼のほうも入院してる患者でな。互いに長い入院だったしなぁ。結局院内で正式にお付き合いを始めてさ。当時は皆お祝いムードだった」

「それで?」

「で、ついにキスまで行ったんだよ。公開プロポーズでな。院はそれはもうとにかく盛り上がった。それから何日かあと、本当に不幸だが、ナイフが全部出払っていて、しかも代わりの器具がないときがあった。患者に『ごめん今日はナイフないから苦しくなったら自分で引っ掻いて』なんて言うのと同じだからな、実際。でも結局苦しみは来なかった」

「なっ?」

「なんとそのキスの日から彼女が悶え苦しむことはなくなった。男の方も元々回復してたから無事二人揃って退院していったよ」

「そうか…ありがとう」

「ん?何がだ?」


 多分友人がこっちを見たときには、俺はもうそこにはいなかったと思う。



 午後を丸々休んで、俺は茜の待つ家に駆けた。


「ただいま!」

「な、なに?どうしたの!?大学は?」

「そんなことより!お前を救えるかもしれないんだ!方法を聞いたんだ!」

「え!?ど!?どういうこと!?」


 あかねは こんらんしている!

 それを気にせず、俺は続けた。


「茜、キスしよう」

「え、え、えぇぇぇぇぇぇぇ!?」


 茜は叫んだ。



「そういうことだったなら、はやく言ってくれればよかったのに」

「すまん、慌てていた…」


 俺はひたすら茜にペコペコしていた。


「…ねえ、透」


 そんなことをしていると、ふいに茜が俺の名前を呼んだ。


「どうした」

「その話、本当なの?」

「…いや、わからない」


 俺は正直に答える。


「一例しか、それも聞いたばっかだし。正直正しいかと言われればわからない」

「…でも賭けてみる価値はある、そういうことだね?」

「そういうことだ。だから…」

「でも、」


 茜は俺の言葉を遮って続けた。


「キス、初めてだから…優しくしてほしい」

「…すまん、義務感でのキスはやめるべきだったな。確かに、言う通りだ」


 俺はベッドで寝ている茜に顔を近づける。

 茜がそっと目を閉じた。


「とお、る…」


 そうして、俺たちは、初めてのキスを交わした。



「今日はナイフはなしでいいね?何かあったときのために一晩中ここにいるから」

「ごめんね、迷惑かけて…」

「これくらい、いいってことよ」


 俺は茜の枕元にいた。

 10時を過ぎても彼女が苦しむ様子はない。

 そうして一晩中寄り添い続けた。

 これは本当に成功したかもしれないと、俺は思った。



「もうほとんど傷がないね」

「きれいに治ってよかったよ」


 一人で付き添うのも限界があったので、結局友人の病院に入院した茜。

 当初は『2例目の患者か!?』とピリピリしていたが、その後症状が出ることはなかったため、だんだん院内の空気はもとに戻っていった。

 そして数週間後、彼女は体中の傷を治してあっさり退院した。


「なんつーか、あのまま続けてたらなんか取り返しの付かないことになった気がする」


 俺は言う。茜は返す。


「もうそんなもしもの話はしなくていいんだよね」

「ああ、そうだな。さて、友人に感謝を捧げなければ」

「この件はまさにその友人様々だからねぇ」

「本当だ。…じゃ、茜」


 俺は茜の手を握った。


「一緒に大学行くか」

「―うん!」


 茜は明るい声と眩しい笑顔で応えた。


 -True end-

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