第5話 信じ続ける者、祈り続ける者
目覚ましより早く起きてしまった私は、あの嫌いな音が鳴る前に時計を止めた。
いつものように窓から陽の光が入ってくる。
あの日からグレイの事が頭から離れなかった。何十年ぶりに出会えたこと、それだけじゃなく彼がウェアウルフだったこと。フェイトシアの計画について話していた。どうして彼はフェイトシアの情報を知っているの? フェイトシアは人狼達のチームだと統率者のヴァンダリカは言っていた。グレイが人狼なら彼はフェイトシアの一員なのだろうか。
ずっと私の心から離れなかったグレイが、人狼。
考え事にふけていると、建物内にアラーム音が鳴る。こんな朝から出撃命令は珍しい。
『狼狂した人狼討伐。ターゲットは6年前から狼狂していたα。第9部隊隊長は第4部隊に、第2部隊は第7部隊と合同で任務を遂行するように』
私はそれを聞いて部屋を飛び出た。
6年前から狼狂していた人狼。
もしかしたら彼らの――。
私は急いでゲートへと向かうと、既に到着していたニコライ隊長と双子達に合流した。アナウンス通り、第9部隊隊長が副隊長として合流していた。ベテランを新人の多い部隊に投入するということは、今回の任務は今までのものより遥かに危険だということ。
緊張した面持ちのアンドレイとミレーナの背中を優しく押しながら、私は車に乗り込んだ。
彼らの桃色の可愛らしい瞳が鋭い光を纏っていく。
「アンドレイ、ミレーナ。大丈夫?」
重苦しい空気が走る車内で私は2人に声を掛ける。緊張や不安、恐怖が混じった感情は私にも伝わってきた。
「大丈夫だよ」
「ようやくこの時が来たの」
「きっと、パパだ」
私は2人に励ましの声を掛けようとしたが、ぐっと飲み込んだ。彼らの父親は6年前に失踪して以来、音信不通だった。狼狂している今回のターゲットとは違うかもしれないけど、嫌な予感がする。もし今回の人狼が彼らの父親だったら。狼狂した人狼は殺すしか止める方法が無い。それはつまり彼らが実の父を殺さなければならないということ。私なんかに彼らの決意に言葉を掛けることは出来ないし、する権利もないと感じた。
彼らが背負っているものを私は見守るしかないのだ。
現場に到着すると第1から第5部隊まで到着していた。
「ここからは小隊に分かれて行動する。合同部隊の第2・7部隊は村の警護、第3部隊は負傷者の治療、残りの部隊は追跡にあたれ」
第1部隊長の指示に全員の了解が重なった。
現場となった村は酷い有様だった。人狼にやられてしまったらしい負傷した住民や、壁がはがれた家、抉られた地面。それらは軌跡のように森へと続いている。
「万が一、村に人狼が流れてこないように、通信しながら追跡を行おう。ミレーナは第2・7部隊と一緒に村の警護に当たりながら私達と通信してくれ」
「了解」
ニコライ隊長はミレーナを残し、私とアンドレイ、合流した副隊長と共にターゲットの追跡へと向かう。
村に残るミレーナにアンドレイは目配せをすると、それに応えるようにミレーナは強く頷いた。
「酷い有様だな。相当暴れているらしい……」
森へと入っていくとそこは村以上に酷かった。折られた木々に倒されているものもある。踏み倒された草花はターゲットの足跡を残していた。あちらこちらに血痕が飛び散り、それが人のものなのか人狼のものなのかは分からない。
追いかけていくと川に出た。川を挟んで向こう側にいったのか、それともここにまだ居るのか。痕跡は途絶えていた。
「お姉ちゃん、これ見て……」
アンドレイがしゃがんで地面を指差した。彼の言う先を見てみると、点々と血の跡が川に沿うように続いていた。どうやら川は渡らずに上流の方へと向かっているらしい。
「隊長!」
私はニコライ隊長に知らせた。しかし、
「おかしいな……私の方でも同じような血痕を見つけたんだ。しかもそれは下流に向かっている」
どうやら目印は二手に分かれているらしい。私達は何かあればすぐに知らせると告げ、上流の方へ走り出した。
上流の方へと向かうと静寂が包み込んだ。聞こえるのは吹き抜ける風と揺れる葉の音だけ。
耳を澄ませてみると、そんな自然の音に紛れて荒い息遣いが聞こえてくる。私達じゃない声に身構えた。
赤銅色の荒れた体毛に覆われた巨大な狼がいた。
目は血走り、桃色の瞳には濁って何も映さない。ただ荒い息遣いを繰り返し、次の獲物を狙う。
「パパ……」
アンドレイが震える声で呟いた。私はぎゅっと目を瞑った。
神がいるなら、どうしてこんなに純粋なアンドレイ達に残酷な仕打ちをするのだろう。今まで必死に行方を探していた実父との再会がこんな形で実現するなんて。
この世界は残酷だ。
彼の父は息子の声など届いていないようで空を仰ぎ、遠吠えをする。臨戦態勢だ。
「ニコライ隊長! 上流でターゲットと接触、増援をお願いします!」
アンドレイは下流へと向かったニコライ隊長に通信を行いながら、狼の攻撃を避ける。
「パパ、パパ! 僕が分からないの!?」
必死に訴えるアンドレイの美しい声は、人狼の唸り声に掻き消される。
私はアンドレイと狼の間に割り込み、肩を持って地面に投げ倒す。巨体が地面を転がるもすぐさま立ち上がり、土を蹴散らしながらこちらへと目掛けてくる。
増援にやってきたニコライ隊長ペアと、第5部隊が攻撃を仕掛けた。ニコライ隊長のナイフも、他の隊員の武器も狂った彼には通用しない。体に突き刺さり、ドクドクと血が流れていても気にも留めず、痛みさえ感じないようだった。
第5部隊の隊員達は接近戦に持ち込もうとするも、圧倒的なパワーの差に太刀打ち出来なかった。
投げられ、腕を食いちぎられ、爪が貫通していた。他の部隊が到着する前にこのままでは壊滅状態になる。
アンドレイが鞭で動きを封じようとするも千切られ、そのまま突進されてしまう。突き飛ばされた勢いで木に直撃してしまった。狼は衝撃で動けないアンドレイに近付き、前足で彼の頭をわしづかむ。
私と隊長が駆け寄ろうとすると、アンドレイは吐血しながら叫んだ。
「僕はいいから2人とも逃げて!」
「そんなこと出来る訳ないでしょう!!」
アンドレイを見捨てるなんてこと、出来るわけない。
狼狂したアンドレイの父は前足で掴んだアンドレイに噛みつこうと口を大きく開けた。鋭い犬歯からよだれがたらりと落ちる。
まずい。アンドレイが危ない。
私はどうするべきか必死に考えようとしたがうまく頭が回らない。焦燥感に駆られる。私は力いっぱい叫んだ。
「やめなさい!!」
すると、ぴたりと狼の動きが止まった。今だ。
ニコライ隊長とアイコンタクトを交わし、私と隊長で左右から攻撃を繰り出す。避けきれず攻撃を受けながら狼は距離を取る。
もしかして理性が戻ってきた?
しかし、彼は執拗にアンドレイの元へ行くと足に噛みついた。そしてそのまま後退していく。川に引きずり込もうとしているのだろうか。
「アンドレイを離しなさい。彼は貴方の息子よ」
戻れ、戻れ。私は必死に祈りながら言葉を紡いだ。
一瞬、桃色の瞳にアンドレイが浮かび上がった気がした。
「私がちゃんと護る。だから投降して」
狼は咥えていたアンドレイの足を放した。彼の細くて白い足は牙がめり込んだ痕と、そこから流れる鮮血で汚れている。私はゆっくりと動かないアンドレイの元へ近づき、肩に手を回して狼から引き離した。狼は何をするわけでもなく、ただじっと様子を見ているだけだった。
「大丈夫だからね、私がついてる」
意識が朦朧としているアンドレイにそう声を掛けると、私はそっとニコライ隊長の元へ運んだ。耳をすませ、人狼の動きに注意する。
良かった、落ち着いたと思ったその時だった。
「ぐぁああっ!!」
狼の後ろから近づき、捕獲しようとしていた副隊長が噛まれていた。腹部に噛みつかれた副隊長の体は、狼の牙によって骨が砕かれ、血がとめどなく溢れていた。狼は副隊長を投げ捨てる。ぐちゃりと嫌な音を立てて地面に落ちた。背骨が折れているのだろう、副隊長は真っ二つに折られていた。
真っ赤な血が地面を描く。むせかえるような鉄の臭いと獣の臭いに嫌でもこれが夢ではないことを突きつけられる。
一瞬でもアンドレイを映してくれたと思った瞳は、もう濁りきっていた。増援にきた隊員達も次々と刃の犠牲になっていく。
「やめて……」
お願い、それ以上誰も傷付けないで。貴方も傷付くことになる。
やめて。
狼は言葉通り狂ったように殺戮をしていく。森に血と悲鳴が生みだされている。
「やめなさいっ!!」
私は喉が焼けるくらいに全身の力を込めて叫んだ。
頭が割れるように痛い。まるで脳を握りつぶされているかのような痛みが走る。
狼を見ると動きが止まっていた。もしかして、と思い私は命令した。
「動かないで」
すると、狼は私の言葉通り動かなかった。さっきまで言葉なんて届かなかったのに。
私は震える手でレッグホルスターから回転式拳銃を取りだす。今まで起こしたことのない撃鉄を起こし、私はグリップを握りしめるとトリガーに指を置いた。汗ばんだ手が小刻みに震える。装弾されているのは実弾。今から私は――。
目を閉じ言い聞かせる。頭の痛みが鼓動と共に加速していく。私は引き金を弾いた。
乾いた音が数十発響く。火薬の臭いがつん、と鼻を刺激する。狼は私の2丁の拳銃の銃弾を体に浴び、ゆっくりと地へと倒れていく。瞳はアンドレイの方をじっと見つめていた。
私は力がもぎとられたかのように座り込んだ。
頭痛が酷くなる。くしゃりと髪を掻きむしると視界の端に入っていたのは、いつもの見慣れた金色ではなく銀色だった。
髪の色が変わっている。思考さえ邪魔するくらいの酷い頭痛と、先程の狼の行動。そして、ヴァンダリカの言葉が再生される。
『女王が覚醒するには狼達との接触が必要……未来の女王陛下、俺様と遊ぼうぜ!』
『またいつか会おうぜ、女王陛下サマよぉ』
マデリン副部長の本を思い出す。ウェアウルフの群れには女王と呼ばれる統率者がいること。
燃え上がるような赤眼。
ヴァンダリカの言葉や現状から考えて私は恐らく……。
「女王…………」
ニコライ隊長は私と狼狂が対峙している間に負傷者の手当てを行っていて、幸いにもこの異変にまだ気付いていない。アンドレイは気を失っており、誰も私の変化に目を向けていなかった。
私がウェアウルフの血を引いていたのか、とか女王の私がRRHに居ない方が良いんじゃないかとか様々な考えが巡っていると、ふいに大勢の足音が聞こえてきた。きっと治療チームだろう。とにかく今はバレない方が良い。私は気絶したアンドレイを楽な姿勢に変えると、森の奥へと消えていった。
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