第3話 女王
あれから私はずっと悩んでいた。人狼が生物兵器だったこと。私達は生物兵器として生みだされた彼らを狩る側の人間。
本当にこれで良いのだろうか? 誰も幸せになんかなっていない。きっとあるはず、皆が幸せになる方法が、どこかに――。
「お姉ちゃん! どうしたの?」
「考え事しているの?」
ふいに背中に温かみを感じて振り返ると、アンドレイとミレーナが抱きついていた。
「おはよう、2人とも」
「おはよう、ブランお姉ちゃん悩み事?」
「ううん、何でもない」
純真無垢を体現したようなこの双子には、重い話はしにくい。何より人狼のことを言えばきっとショックを受けるだろう。
「あらぁ~、ちょうどいい所にいたわねぇ。そこの3人組、あたしを手伝って頂戴?」
アンドレイ達の追及を受けている所に、オリーブ色の波打つ長髪を腰辺りまで揺らして、切れ長のグリーンの瞳に片眼鏡をした女性がやって来た。自らの体付きを強調するようなトップスの上に白衣を着ている。
マデリン・キンバリー。女性初の副部長を務め研究室長も兼任している。そして、人狼研究のエキスパート。
「了解です」
これはチャンスかもしれない。あの本を書いたのはマデリン副部長で、成り行きとはいえ滅多に会えない本人と過ごす時間がやって来た。色々聞いてみたいことがある。
「やって欲しい事は書類整理と提出をお願いしたいの」
マデリン副部長についていくと研究室にやって来た。書類だらけで机にはいくつもの山が作られている。これは雪崩れてしまうと恐ろしい事になるだろうな……。
意外にも手伝いといえども中々に忙しく、あっちこっちに書類を提出したと思えば、書類整理に走り、廃棄分の書類の塊を処理場に持っていくなど副部長と2人きりになる時間は暫く訪れなかった。
これで最後の分よ、と提出分の書類をアンドレイ達が持って行ってくれた後、ようやくマデリン副部長と2人きりになれた。
「何か聞きたそうね?」
話を切り出すタイミングを探していると、彼女の方から話しかけてくれた。
「あ、あの……ウェアウルフについて研究されているんですよね」
「そうよ。ハンターとして現役だった頃からずっと」
「そうだったんですか……。私もハンターをする上でウェアウルフについて詳しく知りたいって思っていて」
「聞きたい事があるのね。ウェアウルフは本当に興味が尽きない対象よ。彼らが人間と違うのは――」
その時だった。
『緊急出撃命令です。連続失踪事件の犯人が逃走中とのこと。第2から第4部隊、出撃準備を』
こんな時に緊急出撃命令とは。かなりの重要性事件らしい。私はマデリン副部長に一礼すると、戻ってきたアンドレイ達とゲートへ向かった。
**
「人狼の男と人間の男と違うのは、夜がとても丁寧ってこととかね」
あの子が聞きたがっているのはそんなんじゃないわね、と独りになった研究室でマデリンは呟いた。
**
「今回は連続失踪事件の犯人の拠点が発見されたとの通報だ。連続失踪事件について3人は知っているかな?」
「はい、不特定の男女数人が失踪している事件ですよね。2年程前から定期的に失踪しています」
「犯人は複数人、今回の拠点を中心に活動しているとの情報。もしかしたら誘拐された人々がいるかもしれないが、今回は警備隊と共同戦線だ。我々のすべきことは人狼の捕獲だということを念頭に」
「……了解」
車を降りると他の隊に加えて警備隊もいた。合流すると、既に目星をつけていたらしい拠点まで案内してもらい、突破に秀でた第1部隊が突撃したのを合図に私達も後に続いていく。
中には何人かの人狼がいて、その奥にも部屋があった。他の隊員達に任せ、私達は奥の部屋へと向かう。
扉を蹴破るとそこには失踪事件の被害者らしき人物が数人、横たわっていた。ここに捕えられている間、殴られていたのだろう。彼らの顔には痣や出血の痕があり、怯えた目でこちらを見ていた。かなり人数が多い。
「これは警備隊だけじゃ厳しいな……ブランシェット、先に奥を見てくれ」
「了解です」
被害者を警備隊とニコライ隊長、アンドレイ達に任せると、私はさらに奥へと進んだ。
ひときわ広い空間に、玉座のように置かれた椅子。王の間とでも言いたげなその部屋に、人狼らしき男性が立っていた。艶やかな黒髪を片側だけ三つ編みにして垂らし、澄んでいる黒い瞳には虚ろで唇から犬歯がのぞいている。その容貌はまるで絵画から出てきた天使のように神々しい美しさを放っていた。しかし、彼の瞳には昏く、悪魔的な雰囲気も感じられた。
「貴方が連続失踪事件の黒幕?」
ゆっくりと話しかける。
「……」
彼は口角を上げながら首を横に振った。
「やっぱりお前だな、小娘。人間の血が入っているとはいえ、陛下の血が濃い」
「何を……言っているの?」
「女王が覚醒するには狼達との接触が必要……未来の女王陛下、俺様と遊ぼうぜ!」
「だから、何を言っているの!?」
全く話が通じない。彼の話している事が全く理解出来ない。女王?
彼は一瞬で間合いを詰めてきた。まずい。そう感じるとともに同時にリボルバーを取ろうとする。
「おせぇよ」
2丁の拳銃は既に彼の手元に渡っていた。
「所詮はまだ人間だ、な!」
呆気にとられてしまっていると、足が右の脇腹を抉った。地面に叩きつけられる前に受け身を取ったものの、脇腹が鈍い痛みを持っている。あっという間の事だった。気を抜いちゃだめだ。彼は強い。
彼は拳銃を使うつもりはないらしく、手で弄んでいるだけだった。痛めつけるのに武器は要らないとでも言いたげだ。
私は手をつき立ち上がると、彼を見る。漆黒の瞳はまるで鏡のように、彼の見る世界を映し出す。しかし、どれも空虚でどこか寂しげだった。何か物足りなさそうな、何かを待っているかのような――。
地面を蹴ると瞬時に私との間合いを詰めてきた。彼が人狼だとしたら完全形態状態にならず、ここまでのスピードとパワーを誇るのは、相当手練れで厄介な相手なのだろう。
長い足が目の前まで迫る。咄嗟に顔を守るため腕を持ってくるも、やはり衝撃は大きかった。同じように私はまた地面を転がって倒れた。
「かはっ……!」
腹部を倒れた拍子に痛めたらしい。空気が逃げるように口から出る。横腹に拳銃が投げつけられる。
「もう終わりかよ、小娘?」
強い。私じゃ歯が立たない。負けるかもしれない。圧倒的な実力の差に私は歯ぎしりをする。ここで私が捕えなかったら、失踪事件の被害者は増えるばかり。不当な扱いを受ける人狼も守りたいけど、人間だって守りたい。どちらの種族も守る為にはこんな様じゃ叶えらない……。
彼の足が私の頭を踏む。地面にめり込んでいるかと思う程、頭蓋骨がきしむ。
「お姉ちゃん!」
遠のきそうな意識の中で特徴的な声が響く。
「ブランお姉ちゃんから離れて!」
ミレーナの鞭が私の上に立つ彼に襲い掛かるも容易にかわされてしまう。
「アンドレイ、ミレーナ、ブランシェットの治療を。……そして今の君はヴァン、かな?」
彼が離れた隙にアンドレイとミレーナが駆けつけてくれた。ニコライ隊長は先ほどの彼と睨み合いを続けながら、お互いぴくりとも動かない。ヴァン、と呼ばれた彼は不敵に笑うと大きく頷いた。
「ご名答。ヴァンダリカだ」
ヴァンダリカと名乗る漆黒の瞳と髪をした青年は、ひらりと私達から離れるとショーマンのように大きく両手を広げた。
「別れの挨拶に名乗ってやるよ。俺様はヴァンダリカ、別の名をフェイトシア。1人で2人、2人で1人のウェアウルフ達のチーム“フェイトシア”のリーダー。またいつか会おうぜ、女王陛下サマよぉ」
ヴァンダリカは椅子をひっくり返すと地下へと続く穴へと逃げて行った。
「……ご迷惑をおかけし、申し訳ございません」
私はアンドレイ達に支えられながらニコライ隊長の元へ歩み寄った。
私の失態のせいで犯人を逃してしまった。それもウェアウルフ達のチームリーダーと名乗っていた人物を。
必ず捕えなければならなかった。捕えるべき存在だったのに。彼を野放しにしてしまえば、人間にも人狼にもどういう被害が及ぶか分からない。何故か、彼が絶対に何かを起こすと本能が訴えていた。
ニコライ隊長はいつもの顔でゆっくりと私の様子を観察すると、頭を撫でた。
「ヴァンと1人で交戦出来るだけ物凄く成長したということだよ。まだ配属されて間もないのに誇れることだ」
「ありがとうございます……」
「さて、肋骨と上腕骨が骨折しているかもしれないな。急いで医務室へ向かおう」
総本部に戻る道中、体を走る痛みに耐えながら思い返していた。彼は私のことを“女王”と呼んだ。
私は……人間だよね?
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