第29話 怪士

 夜、紅茶を用意して事務所に行くと既に大神が来ていた。

「仕事ですよセウ君」

「仕事?」

「ええ、大神君が今夜ナナシの取引があることを突き止めました」

「本当ですか!」

「そんなに驚くなよ。俺だってやる時はやるよ」

 大神さんのことを甘く見ていた。学園にいる利点から得られた情報でリードしていると思っていたら、あっという間にそんなアドバンテージ覆された。

 流石あの麝侯が認めているだけのことはある。

「今夜その現場に行きますよ。もちろんセウ君も一緒に来て貰いますよ」

「おいおい、勘弁してくれよ」

「何がです?」

「お前の面倒を見るだけでも厄介なのに、そのお嬢ちゃんまでくるなんて冗談じゃ無いぜ。

 どうしたんだ安楽椅子探偵がお前のモットーだろうに」

 大神は心底迷惑そうで嫌そうである。

「何、たまには部下の働き具合を直に見ようと思っただけですよ。それとも何ですかボクに見られるとまずいことでもあるんですか」

「足手纏いだ」

 大神は即答できっぱりと言い切った。

「それも料金のうちです」

「上乗せ請求してやる。それにしてもお嬢ちゃんまでは勘弁してくれ」

「セウ君のことは気にしなくていいです」

「おいおい」

「セウ君に何があってもあなたが責任を取る必要はないとって言っているのです。

 よってこれ以上の議論はなしです。道徳とか正義感とか持ち出すなんて青臭いことはしませんよね」

 麝候は本気で言っている。例えここであたしが終わることになっても、魂を覚醒させるためにあたしに試練を与えていくだろう。

「ちっ、分かったよ」

 大神は渋々応じた。

 どうやら、あたし自身が現場に行けることになったようだ。飆と鉢合わせてしまうかも知れない、後でこっそりと連絡をしておかないと。

「話は変わりますが、大神さん池さんは見つかりました?」

「まだだ」

「そうですか」

「普通の家出とかなら一日もあれば見付けられるんだがな~」

 いよいよもって池さんは葦内に監禁されている可能性が高くなった。

 今日の現場で葦内がいたとして、この二人を前にして出し抜くなんて出来るんだろうか? 

 いや、するしかない。この二人くらい出し抜けなくて復讐なんて果たせるわけがない。あたしの頭の中は策を巡らせる猛烈な汗が流れ出した。

「どうかしましたか、セウ君」

「えっ」

「麻薬の取引現場に行くってんだ。緊張するなって方が無理だろ」

「それもそうですね」

 台詞とは裏腹、麝侯が一瞬あたしを見据えたような気がした。

 落ち着け、ここで取り乱したら終わりだ。


 月明かりの元で見上げる外装が剥がれ落ちた鉄筋3階建てのビルは破滅への道標に見える。今夜ここでナナシの取引が行われるらしい。

「どうします?」

「特に見張りとかはいないらしいが、あんまり目立つのも良くないだろ。俺達は裏口から回り込もう」

「そうしますか」

 ビルの裏から非常階段を使って2階に入った。このビルは元はまるまる中華料理の店で2階はパーティー用のホールになっている。

 目立たないように壁伝いに取引が行われる予定のホールに近付いていく。ホールには入らず既にドアがなくなっている入口から中を覗くと取引時間よりは少し早いが埃と瓦礫が積もったホールの中には既に数人の若者が集まっていた。

 飆はあの中にいるのだろうか?

 窓からの月明かりしか光源のないホールの中では顔の判別は困難で分からなかった。

「ボク達はこのままここに隠れて様子を見ていましょう」

 息を潜めて待つこと数分、どっしりとした足音と車輪が回る音が響いて来た。場の空気が一気に引き締まり緊張が高まる。布の掛かったサービスワゴンを押しつつ足音の主があたし達が潜めているのと反対側から部屋に入ってきた。

「もう集まっているようだな」

 少し声がくもっているが重みを感じさせる声。部屋の前側に立ったシルエットは成人男性のがっしりとした体格だった。

 大神がどうするとアイコンタクトを麝侯に送ると、麝侯は手でまだ待てと合図する。

「ではこれが今回の出荷分だ」

 男はサービスワゴンに掛けられた布を取ると小分けにされた山積みの袋が表れた。

「おおっ」

「すげえ」

 集まっていた若者達の歓喜の声が挙がる。此奴等一人一人が葦内のようなクズなのか。この場で皆殺しにしてやりたい。

「そこまでだ」

 歓喜の声を押し潰すドスのが聞いた声が部屋の中に響いた。

「なっなんだ~」

「なんだよおい」

 集まった顧客達が混乱する中、パッとライトが照らされ売人の姿が浮かび上がった。

「何のコスプレだコラッ」

 浮かび上がった売人の姿。顔が明かされるかと思ったが、売人は能で使われる怪士の面を被り、服装は量販店で売っていそうなグレー系のスーツだった。

 これなら仮面を脱いで雑踏に紛れ込まれればもう見付けるのが困難になる。対して声を荒立てた男達は一目でどんな仕事をしているのか分かる恰好をしているヤクザ達だった。

 なるほど、大神が情報を得たようにヤクザ達もこの情報を得て乗り込んできた訳か。

 まあこれだけ素人っぽい連中が集まるんなら情報漏れは当然起こるだろう。

「俺達のシマ荒らして無事で済むと思ってないよな~」

 傍に近寄ったヤクザの一人が脅しの積もりか銃を売人に突き付けた。

「お前等もそこを動くなよ」

「ひっ」

 別のヤクザは集まった連中の方に銃を向けた。逃げようとしていた顧客達は恐怖で縮こまってしまった。

 ヤクザ達は供給源だけでなく販売ルートすら強奪するつもりなんだ。

「愚かな。離れていてこそ、その武器を持つお前達に勝ち目があるのに」

「あっ?」

 ゴキッという鈍い音と共に銃を突き付けていたヤクザの首はくるっと一回転してしまった。

 売人の男は手を無造作に軽く払っただけのように見えたのに、なんて力なんだ。

「この野郎!」

 ベチャ、叫んだ別のヤクザは跳躍した売人にゴキブリのように踏み潰された。

 怪士だっ。

 売人は怪士の面を被っている人間なんかじゃない、その人間離れした膂力、人を虫のように殺せる精神、中身から怪士なんだ。

「ちきしょうっちきしょうっ」

 涙を浮かべながらも怪士に立ち向かう生き残ったヤクザ達、化け物に立ち向かう姿はある意味勇者なのかも知れない。

 だが現実はRPGの様にいかない。もののの数秒後、ヤクザ達は全て残骸と成り果てていた。

 集まっていた顧客達もあまりの凄惨な光景に腰を抜かして床にへたり込んで震えていた。

「法も無法も力があればこそ。お前達には力がなかったな」

 怪士は靴の底にこびり付いた血を床に擦り付けながら言う。

「さて、暫く様子を見ようと思っていたがこうなっては面倒だ。そこに隠れている奴も出てこい」

「ばれてましたか」

 麝侯はあたしにはそのまま隠れていろと手で合図しつつ大神と一緒にホールに入っていく。

「お前達は何者だ? ここに転がるゴミ共とは違うようだが」

「お褒めの言葉ありがとうございます。どうです紹介も兼ねて近くの店で友好でも深めませんか?」

「惚けたことを言う奴だ」

 いいや麝侯は本気だ。怪士がそうするかと言えば、それこそ長年の友のように親しげに酒を酌み交わすはず。

「いえいえ本気ですよ。同じ神の楔を断ち切り魂元を求める魔術師同志、話は弾むと思いますが?」

 ここで麻薬を許さない正義の心を見せるとは思わなかったけど、麻薬を売り捌く悪であろうと、なんの躊躇いもなく手を握れるのね。

 善も悪もなく、あるのは魂への探求のみ。

 これなら片手であたしの両親を破滅させて、片手であたしを救うなんて余興のようにやるだろう。

 これで、また少し麝候への疑惑が深まった。

「ふむ、一興ではある」

「なら」

「だが貴様は信用出来ない」

 あんな仮面を被っておいて怪士は至極真っ当なことを言う。

「こりゃ痛いところを突かれたな」

 大神は嬉しそうに麝侯に言う。そう言えばこの人は何で麝侯に従っているんだろう?

 まともそうな人に見えたのに、実は悪なのか、お金には逆らえないのか、割り切れる大人なのか。

「失敬な。さて怪士さん、それならどうします?」

「障害となるものは消すのみ」

「しょうがないですね」

「そうだな」

 二人同時に銃を抜き躊躇わずに撃つ。まるで映画を見ているかのような早業だった。

 だが、

「躊躇わずに銃を抜くとはお前に魔道士としての誇りはないのか?」

 怪士は野獣のような素早さで銃弾を躱していた。

「あなたこそ何か誤解してませんか? 魔道とは神の束縛から逃れ真の自由を目指すための術であり法。決して戦うためだけ下賤の術ではないのですよ」

「確かに一理ある。だが私の魔道とは人を越えること、人を越えられなくて神になど挑めないだろ」

「つまりこんな人が使う無粋なものには頼らないと」

「そういうことだ」

「なるほど。それもまた一理ありますな。どちらが正しいかは生き残ってから検証しますか」

 麝侯と大神はひたすら撃ちまくる。先程と違い一撃必殺の狙い撃ちでなく。兎に角弾数を稼ごうとする十字砲火、避ける隙間を無くすほどの面の攻撃で圧倒する気だ。

 この狙いは当たった。流石の怪士も躱しきれず、一発二発は銃弾を喰らっている。喰らってはいるのだが、やはり相手も魔術師、銃弾を喰らってなお前進をしてくる。

「おっおいやばくないか」

「肉体強化系の魔術師でここまで人間を辞めているとは予想外でした。それにしてもここまで魔を極める魂とはどんななんでしょうかね」

 危機に瀕して麝候はどこか愉悦に顔を染めていた。

「もちろん。神に匹敵する魂だよ」

 眼前まで迫った怪士の掌底が麝侯、大神を吹っ飛ばした。

「ふっ同じ魔術師と聞いて期待したが、これでは先程のヤクザと大差ないではないか、ん!」

 埃を払っていた怪士と壁の陰に隠れて様子を見ていたあたしと目が合ってしまった。

「おっおまえは」

 怪士はあたしの顔を見て戸惑いを見せる。

 やはり綺萄学園の関係者なのか?

「丁度いい。ついでだ」

 怪士があたしを捕まえようと手を伸ばした時声が響く。

「やめろっ」

「んっ」

 怪士が向く先には若者の一人が立ち上がっていた。

「そいつに手を出すな」

「くっく私に意見をするというのか。大人しくしていれば無事クスリを持って帰れるというのに」

「俺をこんな腐った連中と一緒にするな。

 俺の名は、飆。この名前刻み込め」

 差し込む月光を跳ね返すほどに気迫が鋭く満ちて屹然と瓢がいた。

 どうやら飆はナナシを買いに来た者達に混じって様子を見ていたようだ。そのままにしていればやり過ごせたというのに。

「なんで名乗りなんてあげるのよ。逃げなさいよ」

 分かる。飆も強いけど、目の前のこいつは格が違う。

「お前は俺が守ると誓った。今度こそ守ってみせる」

「青臭いことを言っているようでは魔は極められないぞ、若き魔術師」

 怪士は飆が魔術師であることを既に見抜いてる。これでは油断を突いた不意打ちも出来ない。

「魔など極める気はない。俺が為すべきことは正義」

「正義! それがお前の魔なのか?」

「俺は風、風は流れ始めて風となる。疾風」

 視界から消えた。次のシーンでは飆の蹴りを怪士は受け止めていた。

「!」

「何を驚く。少々早いだけの攻撃がなんだというのだ」

 足を掴みそのまま飆を壁に投げつける。

「まだまだ」

 壁に激突する寸前飆は体を回転させて足を使って衝撃を吸収、逆に空手の三角飛びの要領で直ぐさま怪士に反撃する。

 格闘技をよく知らないあたしでも惚れ惚れするような無駄のない攻撃、なのに、

「そんな」

 飆の繰り出す高速の攻撃が悉く躱されていく。

「無駄だ」

 怪士は蠅でも払うように飆を振り払った。

「ぐはっ」

 床に叩き付けられ、潰された虫の如く手足を脊髄反応のみでピクピクさせている。

「この粋の良さ。たまには粗野もいいかもしれんな」

 怪士は抱え上げた飆の首筋にいきなり食らいついた。肉が裂け血が溢れる。その溢れる血を啜りつつ怪士は更に牙を首筋に食い込ませていく。

「あがが」

 飆は白目を剥いて苦悶の声を発している。

 このままでは、首が食い千切られる。何とかしないとっ。そんなあたしの焦りを嘲笑うかの如く声が響いた。

「シン」

 黄金のニードルが怪士の胸を貫いた。

 僅かに溢れる黄金の文字。

「残念。この程度の解放でしかなかったですか」

「食事の邪魔をするか」

 怪士の視線の先に立つ麝侯、怪士は麝侯が生きていることに少なからず驚いている。

 あたしもあんなにあっさり死ぬとは思ってなかったけど、飆でさえ致命傷を追う攻撃を受けて見た目ぴんぴんとしている。

 悪いけど飆とでは麝候は格が違う。

「あなたの原罪は喰ですか」

 麝候はスーツの埃を払い、靴の埃を払い、髪型を整える。

「そうだ。人間はその他の生物の全てを喰らいその頂点に立っている。喰うとは相手より上位になるために必要なことなのだ」

 怪士は飆をそっと地面に置く。それは人を気遣うでなく食材を大事にするという行為。

「なるほど。つまり人を食するあなたは人より上だと言いたいわけですか」

「その通り。私は人を喰らい人を越え神に挑む」

 怪士はゆっくりと麝侯との間合いを詰めていく。

『止まれ』

「なっなに」

 間合いを詰めていた怪士の足が鈍った。

「こっこれは?」

「僅かとはいえあなたの魂を垣間見させてもらいましたからね」

 麝侯に魂を写し取られた者は、麝侯の言霊の支配下に入る。でも今回は狐塚の時と違って不完全なのか怪士は多少鈍くなっても体を動かせるようだ。

 でもどうして? 怪士が飆を心ゆくまで咀嚼した後にシンを打ち込めば、こんな不完全じゃない支配が出来たのに。

 まさか、飆が死なないギリギリを見切った故とでもいうの、あの悪魔が?

「やっかいだな。やはり魔術師相手には油断は禁物だったか。

 いや、最初に感じたとおり貴様が油断ならんのだな。ならば今回は引かせて貰おう」

「人を越えると豪語するあなたが人を前にして逃げるのですか?」

「ふっ。安い挑発だな。もちろん貴様は喰らう。だが、それは入念に準備をした上でだ。

 私は人のように油断も慢心もしない。だからといって臆病になってチャンスを逃したりもしない」

 躊躇いなく身を翻し逃走しようとした怪士はあたしに向かって来る。それを麝候はどうすることも出来ない、自分で何とかするしかないのに。

 怪士の獲物を狩る野生の目に射竦められた瞬間、乱暴に髪を掴み上げられていた。

「ぐっ」

「行きがけの駄賃だ」

 無防備にさらけ出してしまった細い喉元をぐっと絞められあたしは意識を失った。



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