第20話 逆襲と紳士
同日の深夜、葦内はあろうことか喫茶黄金の黄昏の前にいた。
「へへっ、俺は小者じゃない。俺を馬鹿にしたことを後悔させてやる」
葦内はガソリンが詰まったポリタンクを片手に入り口に迫っていく。だが、その前に一人の男が立ち塞がった。
「そんな物を持って何をするつもりですか?」
穏やかに近所のおじいさんに天気がいいですねとでも言うように声を掛ける。
「なんだてめえっ」
「これは失礼。初対面の方に名乗らないとは紳士として礼儀に反しました。ボクの名は麝侯。しがない魔術師です」
麝侯は王侯貴族にでもするように姿勢美しく一礼をする。
「魔術師? いい年したオッサンが中二病かよ」
「色々と失礼な方ですね。まあ無知な若者の暴言と思って受け流しておきますか」
この場に限って言えばいい年した男が魔術師などと言えば葦内で無くても笑われて当然ではある。
「言ってくれるじゃねえか。でっ何?オッサン天影の関係者?」
「ええ、セウ君の主ですよ」
「主?するってとなにか毎晩あの肉体を弄んでいたりするのか」
卑猥な表情を浮かべて言う葦内。
「そんなことしてませんよ。尤も別のものは弄んでいるかもしませんが」
「おいおいおいおい、こりゃ俺もビックリの変態さんか。なんかお前を殺すと却って彼奴が喜んだりしそうなんだが」
葦内は嬉しそうに腹を抱えて笑っている。
セウの美しい少女の肉体で無く穢されてなお気高く嚇灼に燃える魂を弄んでいる麝候は葦内と次元が違う変態である。
「まあ、否定は出来ませんが。ボクがいなくなると彼女が困るのは確かでしょうね。こんな変態でも一応保護者ですから」
麝候はこれでもセウとの契約に基づきセウを庇護している。セウは知らなくても麝候は契約には忠実で自分の欲望にも忠実。日夜悪党を惹き付ける花セウを奪いに来る者達を人知れず処理している。
「まあ色々な事情がなければお前なんかの世話になってないな。なるほど。まあいいや、取り敢えずお前を殺して、予定通り家も焼いちまおう」
葦内はポリタンクを置くとバタフライナイフを取り出した。
「うむ、君の魂は悪意に満ちている。人の善意とは人が弱く社会生活をしなければならない上で発達したもの。人が虎の如く強ければいらない感情だ。裏返れば独りで生きていけるほど強ければいらないもの。ひたすら人の不幸を願う君は、善意を捨てきりそこまでの境地に至れる強者なのか。それとも社会がまどろみで衰退しないように設置された刺激剤なのか。どちらなのだろうね」
「何を言ってるんだよ」
「なに人が全て善人になった時、人という生物は衰退していくという話さ。人類を救うために悪役として生まれたのかもしれない君の原罪とは『愛』なのかもしれない。
いやいや是非とも原罪に目覚めた姿を見てみたいが、残念。如何に将来うまく実りそうな果実でも、ボクを狙った以上、間引くしかない」
麝侯の目が笑顔のまま猛禽類のようになる。葦内もそれなりの修羅場は潜っている。麝侯の豹変した気配に気付いていた。気付いていて気付いていないフリをする。
「病院に行った方がいいんじゃないのかオッサン。何なら俺が今すぐ送ってやるぜ。
尤も病院の霊安室だがな」
葦内はナイフを腰に構えてまっすぐ麝侯に突っ込んでいく。セウに対する嫌がらせとかそんなことはもうどうでもいい、ただ単純に目の前の脅威を取り除くため。セウの時もそうだが、葦内は己の危機に対しての反応は早い。
シンプルな突撃、それだけに間違いなく最速で麝侯に到達する。対して麝侯はただ立っている、逃げようともカウンターを取ろうともしていない。ただ、手を前に翳す。
「死ねえええええ、えええええっえ?」
葦内が足をもつれさせ地面に倒れ込んだ。
「はりゃ? なんだこりゃ。体が思うように動かない。ななぜ?」
「おやおや、意外ですね。こういう姑息な手段は君の方が得意だと思ってましたよ」
落ち着けば辺りには甘い香りが漂っている。そしてその香りの元は麝侯の翳した掌にある。
「迂闊に風下に立ったのが命取りでしたね」
「お前、毒なんか使うのか?」
「ええ、変態さんですからね。手段を選びませんよ。
紳士と言って下されば、こんな手は使わなかったかも知れませんが。まあ、あなたの希望に答えてあげたのですよ。これもまた紳士の優しさでしょうかね」
嘘だ。葦内がどう言おうが麝侯は何だかんだで使っていただろう。彼もまた闘いに美学を見出さない悪魔なのだから。
「くっくそ、俺をどうするつもりだ?」
葦内は恐怖で見上げ、麝侯は愉悦に見下す。
「そうですね。殺してしまってもいいのですが、大切な命軽々に粗末にするものではありません。折角の巡り会い大事にしないとね」
麝候はニッコリと笑う。
「なっなにをするつもりだよ」
「本来、ボクは天然物が好きなのですが。まあ、それでは人類の発展はありませんので、実験に付き合って貰いましょう。なにうまくいけばあなたに課せられた神の楔から解放され、真の人と成れますよ」
「やめろ、やめろーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ」
葦内が恐怖に叫ぶが、麝侯の声は無情に響く。
「シン」
麝候の葦内を差す指が黄金に輝いた。
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