第12話 友達

「ここは」

 目を開けると白い天井が見えた。頭がまだぼ~とする。

「あら気が付いた。あなた、馬先生との面談中に貧血で倒れたのよ」

 ベットの横でデスクワークをしていた女性が振り返ってくる。女性は黒髪をストレートに腰くらいまで伸ばしていて、豊満な体に絡み付いている。聖書にでも出てくる聖女のような感じの人で、その顔はどこか優しかった母を思い出させた。声からすると馬との面談時に尋ねてきた伊笛先生だろう。

 貧血か。馬はそういうことにしたのか。まあまあのいい訳だ。

「よく覚えて無くて」

「あなたは転校生の天影さんね。あたしはカウンセラー兼保険医の伊笛というのよろしくね」

 伊笛先生の声は笛の音のように澄んでいて聞いているだけで心が落ち着いてくる。声だけでカウンセラーになれそうな人だ。

「あたしは天影 宵。こちらこそよろしくお願いします」

「あなた貧血で倒れて、そのさいにテーブルに頭をぶつけたようだけど幸いなことに顔に傷はないわ。ちょっと頭を切っただけみたいだから、血もすぐに止まったわ」

「すいません。ご迷惑をおかけしました」

「でも本当にそうなの?」

「えっ」

 伊笛先生はあたしの瞳をじっと覗き込んで問いかけてくる。

「私はどんなことがあってもあなたの味方でいるわよ」

「いえ、貧血で倒れただけです」

 ぽろっとしゃべりそうになった。この人は人の心にすっと入り込んでくる。

「そう。カウンセラーと患者の間には信頼関係が何よりも大事だものね。私は焦らないわ」

「何を言っているのですか」

「私はこれでも結構色々な生徒を見てきているから分かるのよ。でも今言ったみたいに無理はしないわ。だから、これからもときどき遊びに来てね。歓迎するわよ」

「はい」

 その天使のような微笑みにあたしは引き込まれた。

「タクシーを呼ぶわ」

「いえ、一旦教室に帰って荷物を取って自分で帰ります」

「そう。大丈夫?」

「平気です」

 あんな取引をしてしまったあたしに人の好意に甘える資格なんてない。心配そうにこちらを伺う伊笛先生の好意を断ち切るように言い切った。更に何か伊笛先生が言おうとした丁度その時保健室のドアを開けマリ達が入って来た。

「どうしたの?」

 突撃するかの如くこちらに向かってくるマリにあたしは驚き気味に尋ねた。

「どうしたも、保健室に担ぎ込まれたって聞いて心配してきたんじゃない」

「ありがとう。貧血で倒れて、その時ちょっと頭を切ったみたいなの。心配掛けてご免ね」

「大したこと無いならいいの。それより送っていくわ」

「悪いわ」

「友達でしょ遠慮しないで。未緒もいい」

 マリは一緒に来た池に尋ねる。

「  うん」

 池は一瞬の間の後に答える。

「もう強引なのね」

 マリの強引さに苦笑しながらもあたしは嬉しさを感じていた。あたしは弱いな。


 あたしはその後マリ達と帰った。友達と何気ない会話をしながら帰宅する、それがあまりに楽しくて、別れがたく。あたしはついつい適当ないい訳も言わずマリ達を麝侯の館に連れてきてしまった。

「ここがセウの家なんだ」

「そうよ」

「凄い。何かここだけヨーロッパに来た見たいに雰囲気が違うね」

 マリは石造りの家を見て感心したように言う。

 どうしよう? マリ達を麝侯に会わせるわけにはいかない。下手に会わせれば彼女達の人生を狂わしてしまう。

「今日はありがとう。もう大丈夫だから」

 あたしは強引に別れを告げることにした。

「なに言ってるのよ。折角だしちょっと中も見せてよ」

 マリが背中から抱きついてくる。いつもは好ましいマリの人懐っこさが今は憎い。仕方ないマスターに頼るか。

「じゃあ、こっち」

 あたしは麝侯のいる二階の探偵事務所でなく、マスターのいる黄金の黄昏にヨーコ達を案内することにした。

「いらっしゃいませ。んっ! セウさんその怪我はどうしたんですか」

 喫茶店の中に入ったあたしを見てマスターは驚いたのか慌ててカウンターから出てきた。

「ちょっと、倒れちゃって。でも大したこと無いから安心して」

「そうですか。しかしそういう時には連絡して下されれば迎えに行きましたのに」

「そんなたいしたことないから」

 慌てるマスターにこそばゆく感じながら宥めた。

「うわっ、ここ喫茶店だったんだ。こんなところに喫茶店があったなんて始めて知ったわ。未緒知ってた?」

「ううん。私も始めて知った。私も結構この辺の喫茶店にはチェック入れてたんだけどね」

 マリ達は物珍しそうに店内を見ている。

「これはこれは、美しいお嬢さん達だ」

「えっ」

 声の方を向くと今まで気付かなかった麝侯がいた。タイミングが悪いことにちょうどカウンターで珈琲を飲んでいたらしい。

「セウ君。こちらのお嬢さん達に紹介して貰えるかな?」

 麝侯は立ち上がると気取ってこちらに近寄ってくる。覚悟を決めるしかない。

「ああ、はい。この人はあたしがお世話になっている親戚の人で、麝侯 琴羽さん」

「私はセウのクラスメイトの日高 茉莉と言います。よろしくお願いします」

 茉莉は躾がいいのか見ていて惚れ惚れするような綺麗なお辞儀をした。

「こちらこそよろしく日高さん。そちらは」

「わっ私は、池 未緒と言います」

 未緒の方は麝侯に圧倒されているのか、戸惑いつつ挨拶をした。

「よろしく、池さん」

「失礼ですけど、お仕事は何をしているんですか。何か凄く雰囲気があって普通のサラリーマンには見えないのですが~」

「ちょっとマリ失礼でしょ」

 未緒が慌ててマリを窘めるが、マリの方は恐縮するどころかその好奇心で輝かせた瞳を逸らすことはなかった。

「ははっ、いいって。ボクだって普通の会社員に見えると言われるより数倍嬉しいですよ。ボクの職業は探偵ですよ。美しいお嬢さん」

 麝侯は手品師の如くいつの間にか手に持っていた名刺をマリに手渡した。

「探偵なんですか」

「はい。ここの二階で探偵事務所を開いています。何か困ったことがあったら遠慮無く相談に来て下さい。麗しいお嬢様の相談なら喜んで引き受けますよ」

「へえ~。調子いいんだ」

 マリはそう言って麝侯の瞳を覗き込む。

「そう見詰められると照れてしまいます」

「嘘ね。そう言って私を見定めようとあなたの方こそ私を見詰めてる」

「鋭いお嬢さんだ。人物観察は探偵の職業病なので許して下さい。さて、折角のセウ君の友人だ。マスター、珈琲を三つをこちらのお嬢さん達に」

「分かりました」

「席はどこでもいい?」

「いいですよ。何処も空いてます」

 気取ってるけど、この店のオーナーは麝侯、言ってて虚しくならないのかしら? あたしはマリ達の前で妙にカッコつける麝侯になんかむかついた。

「未緒、折角だし貰っていこ」

「でも遅くなるし」

「安心したまえ。セウ君の友人だボクが家まで車で送ってあげますよ」

「ホントですか」

 マリは素直に甘える。

「嘘はつかないよ。それより、これからもセウ君のことよろしく頼むよ」

「はい。セウは私の親友ですもの」

「それは心強い」


 その夜、マホガニーのデスクに座る麝侯の前で直立不動の姿勢のあたしは今日一日の報告をする。

「ほう書類上のことで尋ねられましたか」

 麝侯はここで珈琲を一口飲む。喉が渇いたというよりカッコ付けのようだ。

「はい、でも何とかなりましたから、もう大丈夫だと思います」

 あたしは嘘はつかない、ただ細かい説明をはしょっただけだ。馬のことを黙ったのは契約に従い。伊笛先生のことを黙るのは、麝侯に言うことはなんとなく彼女を汚すような気がしたからだ。

「ちゃんと仕事をしている先生もいるのですね」

 酷い誤解だが、どうでもいいことなので黙っておく。

「それより、お願いがあるのですがいいでしょうか」

「なんだい」

「マリ達には手を出さないで下さい」

「ほう、なんでボクが手を出すと思うんだい」

 麝侯の目がスッと細まる。

「だって、さりげなく家を突き止めたり」

「ああ、送ったことか。純粋な好意をそう受け止められるとは心外だな」

「茶化さないで。あなたが純粋な好意なんてないことくらいもう分かっているんです。あたしには何をしてもいいからあの二人には手を出さないで」

「随分と調子に乗っているね。誰に向かって口を利いていると思っているんだい。これは躾が必要かな」

 麝侯がこちらを見据える。魂まで見透かすような視線、天敵に睨まれたかのように本能が恐怖する。

「したければすればいいわ。でも引けません」

 丁度立っていたこともありあたしは麝侯を力の限り見下ろしてやるが、流石麝侯のあたし程度の眼力涼しげに流してあたしを見上げてくる。

「随分と入れ込んでいるんだね。まあ分からなくもないが、正確にはあの日高君にだろ」

「それは」

「正直になりたまえ」

「はい。あの娘はあたしが失った日の匂いがするんです」

 だからこそ守りたい。あたしのように汚い男達の欲望に汚させたくない。

「なるほどね。けどそんなことボクの知ったことではないですね。君には罰を受けて貰います」

「その罰に耐えたら手を出さないで貰えますか」

「君もしつこいですね。君が何をしようがボクの行動は変わりませんよ」

「変えて見せます」

「それは楽しみですね。ですが今は罰を受けて貰います。言っておきますが断るなら、契約は破棄です」

「分かりました」

 あたしは奮える心を何とか抑えて絞り出すように答えた。悪魔め。

 その夜あたしは麝候から罰を受けた。

 

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