第9話 探偵
安芸さんが帰った後、喫茶店で仕事をしていると麝侯から再び珈琲を三つ持ってきて欲しいとの連絡を受けた。珈琲を持って事務所入ると一人の青年がいた。少し寄れ気味のグレーのスーツを纏い、顔は角張っていてハンサムというわけではないが、どこか愛嬌があり麝侯のように慇懃無礼じゃない暖かみを感じる。
「セウ君も座りたまえ」
「分かりましたが、こちらの方はどなたですか?」
先程の安芸さんと違い随分と雑というかラフな扱いをしている。客ではなく麝侯の知り合い?
「こいつか、こいつはボクの部下だ」
「巫山戯るなっ! 誰がお前の部下だ。お嬢さん俺は探偵をしている大神 空也といいます」
大神はさっと名刺を差し出してきた。名刺なんてもらうのは初めてだ。
「そう浪漫のない探偵さ」
「よく言うよ。浪漫だけで探偵をやっているお前こそ、本当の探偵にとっていい迷惑だ」
大神は心底うんざりした顔で言った。
「まあじゃれあいはこれくらいにして調査を依頼したい」
「まあ俺はプロだからな。金さえ払えば何でも調査するぜ」
「綺萄学園内で麻薬密売をしている者がいるらしい。その供給源を探って欲しい。んっ? 何かねセウ君」
「依頼人はそんな事言ってないですが」
まだ大神と麝候の関係がよく分からないので安芸の名は伏せておいた。
「確かに断言はしてないが、依頼の時に麻薬も項目にあった。あそこで言った項目全て該当者がいるんだよ。確かにそんな問題だらけの学校じゃ理事長になっても直ぐ失脚だ。いいね。学園に蔓延る悪意の渦。それを颯爽と解決する探偵、物語として申し分なし。更に悪意は人の魂を高める。それが感受性高い思春期の少年少女達の魂にどんな影響を与えるのか、魔術師としても実に興味深い」
麝候は実に嬉しそうな悪い笑顔で言った。それにしても、先程の交渉で費用については特に拘ってなかったのは、こういう理由があったからなんだ。確かにこれでは探偵で生計を立てている者にとっては道楽にしか見えないだろう。それは分かったとして。
「ご自分で捜査はしないのですか?」
学園内の捜査はあたし、外部では大神。なら麝侯は何をするのだろう。
「セウ君は余り探偵小説は読まないようだね」
「そんなことはないですが」
「いいかね。名探偵とは終わらせることが出来る者の事を言うのだよ」
「?」
「証拠集めとかは全部助手や警察に任せて、最後の最後に真相でもでっちあげでもいい、その場を支配し終わらせることが出来ればいいのだよ。それのみが名探偵の仕事なのだよ。地味な捜査など部下に任せておけばいい」
言い切った。歪んだ探偵像を麝侯は言い切った。これははぐらかしでもいい訳でも何でもない、麝侯が心からそう信じている言葉なのだろう。もう呆れ果てて何も言う気がなくなった。
「報酬は?」
呆れ果てたあたしを無視して大神は麝侯に尋ねる。流石、探偵を仕事にしている人は違う、ちゃんと聞く。
「成功報酬100万」
確か安芸さんからの報酬は500万、道楽のクセに意外と経済観念があるんだ。
「おいおい、こっちはヤクザと渡り合うかも知れないんだぜ。安すぎないか」
「よく言う。ヤクザ如き敵じゃないだろ」
「下手すれば奴らの麻薬ルートを一つ潰すかも知れないんだぜ。報復が半端じゃねえよ」
麝侯のあまりに強い毒に麻痺していたけど麻薬ルートを一つ潰すと言うことは、暴力を専門にする組織を敵に回すということだ。彼らは面子を大事にするし何より資金源を潰されたとなれば何が何でもこちらに報復してくる。大神に組織暴力に対抗する力があるのだろうか?
「成功報酬100万 + 危険手当 50万」
「オッケー。引き受けよう」
なのにあたしの危惧など鼻で笑うようにあっさりと取引は決まった。たった50万、暴力団を敵にするリスクが、たった50万!?
「おや、お嬢ちゃんどうしたの、驚いた顔しちゃって」
流石麝侯が頼むだけの探偵ではあるのか大神はあたしの困惑を目敏く見抜く。
「50万は確かに大金ですが、それが暴力団を敵に回すのに釣り合う金額なのですか?」
「そこはそれ、そういう危険を避けていたら商売にならんのさ」
暗に50万では釣り合わないと言っている。
「なら、あなたには暴力団を敵に回しても対抗出来るだけの力があるのですか?」
そう例えば飆君のような、彼なら暴力団を敵に回しても何とかなるかも知れない。
「言っておくけどお嬢ちゃん。暴力に暴力で対抗してもいたちごっこになるだけだぜ。俺が仮にそのぐらい強いとしても、相手も同じくらい強い奴を雇うだけだしな」
「なら」
「だから知恵を使うのさ。奴らと全面的に争わなくても済むように。それが大人のやり方だ」
「どうやってですか」
「それは企業秘密、商売のタネなのさ、お嬢ちゃん。それにまだ精神が未熟な学生に麻薬を売るような奴ら野放しにも出来ないだろ」
「その言い方だと。大人だと売ってもいいようですね」
「ふんっ大人になったら全て自己責任、自ら破滅したい奴は破滅すればいい」
「厳しいんですね」
「それが大人だ」
「でも弱い人だっていますよ」
「弱いのもそいつの責任だ」
カチンと来た。それじゃ騙されたあたしの両親も騙されたのが悪いことになってしまう。
「おっと、俺はお嬢ちゃんと哲学の議論をする気はないぜ。今更生き方は変えられない、変える気もない」
大神はあたしの気配を察して先手を打って封じ込めに出た。
「だが、お嬢ちゃんはこういった大人の生き様を見て大いに参考にするがいい」
それはつまりあたしなら変えられるということか。無理、今更復讐を諦められない、諦める気もない。
「久しぶりの大仕事、腕が鳴るぜ」
「期待していますよ」
麝候がこう言うって事はそれなりに腕はあるんだね。麝候は決して、無駄な期待はしない。
「オッケー。さて、仕事の話はここまでとして、お嬢ちゃん」
「なんですか」
「一つ忠告しておく。この男とは早めに手を切った方が身の為だぞ。まあ何か事情があるのだろうが、そんなのは大丈夫だ。俺が此奴に文句は言わせない。君は一言助けて欲しいと言えばいい。言ったら俺は力になる」
大神はその澄んだ瞳であたしを見詰めてくる。この人、この歳で、裏家業にいながらこんな目をまだしていられるんだ。あたしは奇跡でも見ているような気分になっていた。
「おいおい、本人を前にして随分だね」
「表の世界に帰れ」
麝侯を遮断してあたしに向けられて来る言葉に、この人にはそれだけの力があると感じられる。
あたしは目を閉じてそっと思う。友達がいた表の世界、穏やかな幸せがある世界。あたしだってついこの間まではその世界にいた、いたのに。
誰があたしをその世界から引きずり降ろした?
沸き上がる炎に目を開く。
「ご忠告は感謝しますが、あたしは麝侯に付いていくと決めたのです」
今のあたしの目、きっとこの人と正反対の目をしているんだろうな。
「地獄を行く覚悟を決めた目だな。ならこれ以上は言わないさ」
大神はそれ以上はあたしに何も言わなかった。それは見捨てたのか認めたのか。
「よし、これで大方の方針は決まった。さてセウ君、昼間はあんな事言ったけど、学力は大丈夫? 編入試験で落ちたらそこで話が終わってしまうからね」
麝侯の馬鹿にした口調にムッとした。
「一応前は進学校にいましたので、それなりにはあると思います」
「それは良かった。随分ブランクもあるだろうから、1週間後の編入試験までは女給の仕事は休んで勉強に専念していいよ」
「ご配慮ありがとうございます」
少しきついが三日も専念すれば何とか勘も取り戻せるだろう。
「くれぐれも落ちてボクを失望させないでよね。ではみんな行動開始だ」
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