第4話 フォビア

 セウが下に降りてマスターにそのことを言うと、マスターはネイビーブルーのスカートスーツを出した。スーツは採寸をしたかのように女になりかける少女のラインにきつくもなく緩くもなく合っていた。セウは引き締まっていく体に最後に紺のネクタイを絞め鏡を見る。そこに映る姿は、もう女給じゃない前線に赴く兵士だった。

「いよいよ始まるのね」

 セウは鏡の自分に言い、地下のガレージに行く。地下では白い流線型の形をしたオープンカーの前に麝侯が待っていた。今の時代の車にはないどこかアナクロな感じのする車は麝侯に似合っていた。

「お待たせしました」

「ふむ。なかなか似合っている。有能そうに見えるじゃないか」

「ありがとうございます」

 あたしは麝侯の有能そうという言葉に引っ掛かりを覚えつつも礼を言った。

「中身はおいおいに期待させて貰うかな」

「ありがとうございます」

 みてろよ。これでも学校では文武両道で通っていたんだから。絶対にあたしを認めさせてやるんだから。顔に出てしまったのか麝侯があたしの顔を見て微笑んだ。

「そんな顔されると期待してしまいそうだよ。さあ、ボクの愛車に乗りたまえ」


 今時一切の電子制御のない完全マニュアル車だが、麝候は渋滞にはまろうとも、鼻歌交じりに運転していく。

「楽しそうですね。これも大正浪漫ですか?」

「勘違いは困るなセウ君。これは男の浪漫だよ」

「そうですか」

 セウは心底どうでも良さそうに答えた。二人、そんなやりとりをしていると麝候はある店の前で車を止めた。店は時代劇にでも出てきそうな外観をした日本家屋で、達筆で「懐憶堂」と看板が出ている。戸を開けて中に入ると、一階部分は土間になっていて、古い壷とか掛け軸が所狭しと乱雑に並べられていた。

 セウがここで何をするのか緊張して辺りを見渡している内に麝侯は奥の方に歩いていってしまった。

「やあ、フォビア今日も綺麗だね」

 そこだけ輝いていた。黒ずむ店内において光り輝く銀髪の女性に麝侯は愛想を振る舞い挨拶をした。めんどくさそうに顔を向ける女性は、純白のドレスから垣間見える肌は透き通るように白く、顔立ちも体付きもメリハリがハッキリしていて、この純和風の店と対極的な西洋系の人だった。

「ありがとう。お前は相変わらす胡散臭さが素敵だよ」

 歳は20代前半だろうか、ハスキーな声をしている。挨拶を聞く限り、麝侯とはそれなりに付き合いがあるらしい。

「酷いなあ~ボクほどの紳士は近年いないと思うんだけどな」

「ああ、お前ほど慇懃無礼が板に付いている男はいないさ。でっ戯れ言はここまでとして後ろにいるお嬢さん、紹介して貰えるのかな?」

「ああ、もちろん。彼女は今度雇った助手でね。挨拶して」

 麝侯は一歩後ろに引いてセウを前に出す。

「はい。天影 セウと言います、これからよろしくお願いします」

 背筋を伸ばしてお辞儀をする。

「私はフォビア、この麝侯とは腐れ縁でね」

「そうなんですか」

「しかし、近頃の女子高校生らしくない礼儀正しいお嬢さんじゃないか。こんないいお嬢さんどこで拾った、麝侯?」

「夏禅第5ビル」

 その名前に胸が軋んだ。

「はっは~ん。この間の騒ぎはお前の仕業だったのか」

「さあ、なんのことやら。ボクは絶望に沈むお嬢さんを紳士らしく救い出しただけさ」

 今のやり取りからフォビアさんが事情に詳しいことが分かる。そしてあたしがそこでどんな扱いを受けていたかも察しが付いているのだろう。次にあたしにどんな目を向けてくる? 大丈夫。この人にどんな目で見られたって、今のあたしには目的がある。心を強く持て。

「よく言う。でっ用件は? まさか新しい助手を自慢しに来た訳じゃあるまい」

 フォビアさんの目に変化はなかった。最初に向けた眼差しのまま。何もないようにカラッと流す。あたしの気にし過ぎで、フォビアさんは意外と何も知らない。いや、そんな訳ない。この人にとって、そんなこと何でもないことなのだろう。

「またまた~惚けて。かねてからの依頼通り飆君を借りに来たんですよ」

「新しい助手がいるじゃないか」

「まだまだ見習いでね、使えないんですよ」

 カチンときた。

「おや、怒ったかいセウ君」

「怒ってません」

 あたしはそっぽを向いた。それにしてもあたしを気にしてないようで、あたしの変化に敏感に気付く。

「やれやれ」

 これ見よがしに溜息を付く麝侯に、あたしは益々怒りが高まる。

「可愛いじゃないか。使ってあげたら」

「またまた嗾ける。それに取り消しなんかしたら、どんな仕返しされるか分かったもんじゃない」

「それほど私は狭量じゃないつもりだけどな。精々キャンセル料を頂くくらいだよ」

「依頼料より高いですよね」

「お前は一体私をなんだと思って入るんだい?」

 フォビアは麝侯を睨み付けるが、麝侯は眼光なぞ柳の枝の如く受け流す。

「それで貸して貰えるの?」

「飆ねえ~別に構わないけどね。ただ丁度暇なんだよね、私じゃ駄目なのかい?」

 フォビアはそこいらの男なら一目でとろけそうな上目遣いで言うが、これまた麝侯は柳の如く実はEDなのではないのかと思うほど軽く流す。

「君が出張るほどの相手じゃない。欲求不満になった君の相手はご免だからね」

「まあ、いいさ。予定通り飆は空けてある。好きに使いな。飆」

「はい」

「きゃっ」

 どこに控えていたのか、フォビアが呼ぶと幽霊の如くすっと後ろから少年が出てきた。

「何を驚いている」

 鋭い眼光を少年は向けてくる。年の頃は16~18でセウと同じ高校生くらい。短めの髪を立てていて引き締まった体と相まって狼を連想させる精悍さがあった。

「ごめんなさい。急に表れたから」

「ふん」

「こらこら飆君、女性に対してその態度は紳士として良くないよ」

「俺はあんたみたいなエセ紳士じゃないんでね」

 飆は麝侯に対して反抗的な態度をしているが、過去に何かあったのだろうか。

「むやみに敵は作らない。それがこの業界で長生きする秘訣だよ」

「慇懃無礼って言葉を知っているか?」

「師弟揃って手厳しい。まあ、それが頼もしくもあるけどね。飆君準備はいいかな」

「いつでも大丈夫だ」

「ならセウ君をつれて外の駐車場で待っていてくれないかな。ボクはフォビアともう少し話をしたら行くよ」

「俺に聞かれたくない話でもするのか?」

「いやいや。セウ君と飆君、若い者同士二人っきりしてあげようという大人の配慮さ」

「よく言うぜ。まあいい、行くぞ」

「偉そうに言わないでよ」

 セウの抗議なんか聞く気もないのか飆は構わず外に出て行く。

「まあまあ、セウ君も大人しく待っていてよ」

「分かりました」

 セウも飆に続いて外に出て行った。

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