第18話 再会
振り下ろされる死神の鉄槌は未だこの身に触れてさえいなかった。それどころか鬼の左腕は肘先より失われて宙を舞っていた。
「――――??」
理解の及ばない現象に当の鬼もまた困惑し、あるはずの左腕を確かめようとしきりに自らの腕を見ているが、そこにはやはり何も無かった。
「やれやれ、本当は職務とは関係無いから手出しするのは宜しくないが今回は特別サービスだぞ」
突然右側から話しかけられる。声の方向を見ると、そこには棒状の赤い光が滞空していた。さらにその光の周囲を注意深く観察すると、炎と煙を背景に僅かだが蜃気楼のように空間が揺らいで見える。
先程の声にも聞き覚えがある事から一つの回答に思い至る。
「なぜあんたが俺を助けるアーレン」
「それに答えるにはここは騒がしい。そいつを始末した後で答えてやるよ」
確かに炎に包まれつつある中、目の前の鬼を放置している状態でお喋りなどしている余裕は無い。幸い鬼もまたかつての用心棒に左腕を斬り飛ばされた事で思考が停止しており、止めを刺すには絶好の機会。
自らの腕だけを注視する鬼の右目に渾身の力を以って銃口を突き入れた。眼球を力任せに潰す感触は不快ではあるが、今だけはその手ごたえが酷く頼もしい。
「死ね邪悪」
短い別れの言葉にも鬼は何の反応も見せず、ただただ放心したまま眼窩にねじ込まれた銃口から撃ち出された必滅の銃弾を受け入れ、脳を完全に破壊され倒れ伏した。流石に脳を破壊されてはいくら超人的な化物でも死に絶えるのみ。
ピクリとも動かなくなった死体からようやく視線を外し、顔だけを見せたアーレンに礼を言う。
「おう、恩に着ろよ。で、ここはもう限界だ。さっさと逃げるぞ」
アーレンの言葉通り、工場跡はほぼ炎と煙に包まれ一部の岩壁も崩落が始まっている。今さらこんな場所で生き埋めなど御免被るので彼に同意する。しかし幾つか問題があり、相棒は未だ囚われて行方知れず。まだこのアジトの中に残されている可能性がある。それを捨て置くのは俺には出来ない。そう主張すると、アーレンは無言で見覚えのある黒いバックパックを押し付けた。取り上げられた俺の所持品だった。
「久しいな我が主よ。また会えて我は安堵しているぞ」
「俺もだリム。ふがいない主ですまない」
勝手に飛び出て来た唯一無二の道具との再会は感慨深いものだった。
□□□□□□□□□
ほんの一時間程度引き離されていた主との再会も、現状を鑑みれば悠長にはしていられず、互いに一言で済んだ。定位置の腰に我をホルダーごと固定すると落ち着く。
後は我々が賞金首である麻薬組織の長の死体を持ち帰れば一応今回の仕事は完遂するわけだが、主はあえてこの死体をここに置いていく事を選択した。代わりに通路で伸びているアッシュを背負い、アーレンに導かれるままに崩落の始まった工場を後にした。
散乱した研究室を通り過ぎ、その奥の通路の突き当りまで進むと開け放たれた鉄の扉がある。奥からは冷たい風が流れ込んでおり、ここから外へと通じている証拠だった。
外へ出ると山全体が騒がしく、あちらこちらで怒号と蒸気自動車の駆動音が響くのが満天の星空には似つかわしくない。ほぼ全ての麻薬組織構成員が我先にと逃げ出していた。
「やっぱり外は開放感があってすっきりする。で、そっちの気絶してる坊やは大丈夫か。死体じゃないよな?」
「頭を打っただけで心臓は動いているよ。俺の腕のついでに今から治療する。リム、権能再現・
「諒解した、我が主よ」
主の命により記録領域内を検索―――該当例あり。生体修復の権能を起動―――目標設定―――治療を開始する。
主の左腕は外圧によって骨に罅が入っている。まずはこちらを修復する。骨の修復が終わると念の為に主はテーピングして左腕を固定した。これで二~三日安静にしておけば完治するだろう。
さらに気絶しているアッシュを診断――――――幸い脳内と神経に目立った異常は検出されない。殴られて出血した個所と壁にぶつかって出来たコブを治療するだけで済んだ。
「へえ、治療用のアーティファクトか。なかなか良い道具持ってるじゃないか。まっ、俺の《悪戯妖精の羽衣》と《莫耶の宝剣》には劣るがな」
我と自らのアーティファクトを比肩して自慢気なのが少々気になる物の、我の本質を理解していないのは致し方あるまい。寧ろ主ならば不用意な情報漏洩の心配が無いと胸を撫で下ろすであろう。大抵のアーティファクトは単一の権能しか有さず、我のように他の権能を無力化しつつ模範する存在は極めて稀である。この権能を可能な限り秘匿し、必勝の武器としたことで主は多くの犯罪者を狩ってきたのだ。当然、この事実を知る者は極僅かである。
「ならあんた一人であの博士を倒せたんじゃないのか?身を隠す手段と一撃で首を落とせる殺傷力を持ち合わせているなら、わざわざ雇われて麻薬組織に身を寄せている理由は無いはずだが」
治療も終わり、一息ついた主が本日最も不可解な疑問をアーレンにぶつける。我々からすれば彼は明確に敵と言い難いものの、無条件で信の置ける味方として扱うのも躊躇われる手合いだ。そして悔しいが彼は主より数段上の戦闘技能を有している可能性がある。そのような相手が傍にいるのは大変危険である。
主も危うい所を助けてもらったのは感謝している。しかし、味方と言えない以上はどうしても警戒心が先立つのはやむを得なかった。
アーレンもそれを見透かしており、仕事上話せない事が多いが、話せる部分は話してやると前置きをしてから語りだす。
「俺の目的はあの博士の研究成果の奪取と本人の始末の二つだからさ。だからある程度信頼を得て、出来るだけ長い時間傍に居て成果を吸い上げたかった。おっと、誰に雇われたかは教えないぞ。それに何故そんな物が必要なのかは下っ端の俺も知らん。で、ちょうどお前が殴り込みに来てくれたから、見切り付けて混乱を利用させてもらった」
「なら、ついでに俺を始末したほうが秘密が漏れずに好都合だったんじゃないのか?それどころか手を出さずに静観していれば済んだ話だ」
「俺は義に篤い良い男だからな。前途有望な若者が無駄に命を散らすのを黙って見ていられなくなったのさ」
胡散臭い事この上ない。我もこの男の傍で主の危機は見ていたが、客観性を考慮した場合、この男の立場上あそこで手を出す理由は無いに等しい。そもそも義に篤ければもっと前から戦いに介入していてもおかしくなかった。それをしない男が義に篤いなど失笑物の言い分だ。
主もアーレンの心にも無い事を言って煙に巻いている思惑があるのは察しているようだが、実際に助けられた手前、あまり強い否定の言葉を出せないもどかしさを感じて口をへの字に曲げている。これ以上は追及したところではぐらかされて時間の無駄だと悟った主は、改めて礼を言ってこの場を離れようとした。
「おい、ちょっと待て。これを持っていきな」
そう言ってアーレンは主にノートを数冊投げ寄越した。星明りでは書かれている内容が分からないが、かろうじて数字が多く並んでいる事ぐらいは主も把握している。何なのか尋ねると、組織の帳簿と取引相手や雇った構成員の名簿だそうだ。なぜそのような物をこちらに寄越すのか意図が分からない。
「それを警察か賞金稼ぎギルドに持っていけば首ほどじゃないが謝礼ぐらいは貰える。全くの骨折り損じゃお前が可哀想だからな。俺には必要のない物だから遠慮なく持って行けよ」
確かに組織の首領である博士の死体を持ち帰れなかった。護衛の一人のラインは既に逃げ出して足取りは掴めず、目の前のアーレンは捕縛も殺害も困難。今回の報酬は護衛のロッコ一人分の七万アウルムしか支払われない。主にとって金はついででしかないが、無いよりはあったほうが良いのは否定しない。廃棄処分兼口止め料という事だろうが、例え見せかけだとしても相手の善意を踏みにじる行為を主は容認しない。
再度礼を言い、今度こそ山を下りようとした主についでとばかりにアーレンが忠告を投げつける。
「お前の犯罪を許さない矜持は立派だし尊いものだと思うが、時には見せかけだけでもそれを捨てる事も命を繋げる手段だぞ。命は一つしかないんだから大事にしろよ」
「……忠告は受け取るが、俺は俺の生き方を曲げる気は無いからな。アンタぐらい歳食ってたらそう生き方も納得出来るだろうけど、もうちょっと理不尽な世間ってものに突っ張って生きていたいんだよ」
「若いっていいねえ。俺もお前ぐらいの歳にはそうやって傾いていたんだが。あー泣けてくるぜ。まあなんだ、忠告はしたからな」
主の反骨心にかつての在りし日の己を重ねるも、過ぎ去った青春の日々を懐かしむかのように嘆きつつ、いつの間にかアーレンの気配は消えた。
「アンタに言われなくても、長生き出来ない生き方だって分かってるよ」
一応の恩人であるアーレンの居た場所に向かって大きくため息を吐きつつ自嘲気味に呟き、連続した爆発音の響く廃鉱山を降りて行った。
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