第17話 走馬燈



 散弾は狙い違わず鬼へと殺到する。一度目よりも着弾面積が大きくなり、より多くの小弾頭が突き刺さる。その衝撃で鬼は一歩下がるものの、まるで効いた様子は無い。それどころか弾は全て装甲と化した鋼のごとき筋肉に阻まれて流血すらおぼつかない。あの様子では虫に刺された程度の痛みも感じていないだろう。


「ちっ!貫通力に乏しい散弾じゃこんなものか」


 用済みになったショットガンを投げ捨て、戻って来た予備の拳銃を構える。無いよりはマシな火力だが、実の所あの鬼にどこまで対向出来るか甚だ不安が残る。こういう時にリムの奴が居ないのが悔やまれる。それにここにはラインがまだ居る。さらにもう一人アーレンがアーティファクトを使い姿を消して潜伏している可能性もある。状況は不利と思った方が良い。


「やれやれ、あまり暴力は好きじゃないけど、君達がその気なら僕も付き合ってあげよう」


「ハ、ハカセー。あたしはお邪魔みたいだから退散させてもらうわ。今まで雇ってくれてありがとねー」


 返事を待たずラインは俺達と反対側の部屋の奥へと一目散に逃げて行った。商売に熱心でなくて助かった。一応彼女も賞金首だが、現状敵対者が一人減った事は喜ばしい。そして奥に出口があると分かったのも儲けものだ。アッシュも自分の獲物が逃げてもまったく動じず、鬼への警戒を第一として銃を構えた。

 鬼はこちらの銃など目もくれず、ゆっくりと近づいたので発砲する。二人分の計五発の弾丸は全て鬼へと着弾し、二発は頭部へと直撃するが、相手はまるで効いた様子が無い。精々、衝撃で仰け反るだけで血の一滴しか流れないのには絶望すら抱いてしまう。

 対してこちらの無為の抵抗を嘲笑う鬼は右手を振り上げながら突進する。一瞬の間に10mの距離を詰め、杭打ちハンマーと見間違うほどの巨大な拳が振り下ろされた。

 咄嗟に横に飛んで難を逃れ、その拳は元居た場所の壁にめり込み、壁全体に巨大な罅が入り破片は礫として飛び散った。追撃に残り三発を背中に叩き込んでも、薄皮一枚破るのが精いっぱい。そして今度は鬼が銃弾のお返しとばかりにめり込んだ壁からもぎ取った無数の礫をこちらへと投げつける。


「ぐがっ!」


 反射的に顔面と喉を腕でカバーするも、一部は胴体に当たり苦悶の声が漏れた。まずい、顔面をガードしてしまった。視線が切れて鬼を見失ってしまえば、次の攻撃を避けられない。

 死を予感したが連続する銃声と金属塊の落下による破砕音がそれを覆した。


「どうだバケモノめっ!おいミューズ、さっさと離れろっ!!」


 アッシュの言葉にすぐさま反応してその場を離脱した。離れながら鬼を視界に入れると、天井から釣り下がっていた人一人分の重量はありそうなガス灯が頭部を直撃していた。鬼は堪らず膝を着いて、怒りに任せて残骸と化した照明に当たり散らす。

 どうやら銃は効かないと見て質量攻撃に切り替え、その予想は的中した。少なくとも銃よりは効果があったらしい。あいつは不死身の怪物じゃない。銃で撃たれれば血を流し、頭部に鉄塊がぶつかれば痛みで怯む。この世に存在するれっきとした弱い生き物だ。それが分かっただけでも希望が湧いて来る。


「痛い、痛い、痛いっ!よくも虫けらが僕を虚仮にしたなっ!!このままで済むと思うなよ!」


 怒り狂った鬼は壁に張り巡らせた水道管を力づくで引きちぎり、2m超の金属棒を力任せに横薙ぎする。こちらは5mは離れていたが、相手の腕の長さと踏み込み、そして水道管の長さがそれを縮め、暴風となってこちらを薙ぎ払おうとするが、既にこちらは飛び退いて距離を取っており、代わりにデスクの上にある顕微鏡や書籍の多くが破砕するだけに留まる。

 なるほど、奴の身体能力は常人の比する所ではないが、戦いの経験は雀の涙ほども持ち合わせていないのだろう。元が貧弱な研究者では荒事に関わるような事は殆どあるまい。下手をすれば一度も喧嘩の類も経験していない。故に暴力の勝手が分からず、容易く距離感を違える。それはアッシュも気付いたのか若干拍子抜けしたような顔になり、余裕が顕れていた。

 それが鬼の癇に障ったのか、水道管を槍のようにこちらに投擲して、さらに壁に備え付けてある金属製のロッカーを掴んで投げ飛ばしてくるが、管は狙いを大きく外れて頭上を通り過ぎ、ロッカーの方はこちらが左右に避けた為にむなしく反対側の壁に激突しただけだ。

 とは言え、あの膂力は侮りがたく掠っただけでこちらは致命傷である。それにこちらには現状、奴への攻撃手段に欠ける。それをどうにか確保しなければいずれは追い詰められた後に肉片になるか、隣の工場の火災に巻き込まれる可能性もある。今も薬品交じりの刺激臭のする白煙が部屋にまで流れ込んでおり目が痛む。


「銃は装甲みたいな皮膚で防がれる。大質量は怯むがそれだけ。後は眼球か口にでも銃弾か刃物でもぶっ刺すか?おいミューズ、お前は冴えたアイディアあるか?」


「刃物は手元に無い。目に銃弾はお前なら可能性もあるが、狙いが分かっていれば防ぐのは簡単。いっそ隣の工場に閉じ込めて、炎にまいて窒息死させるか?……いや待てよ、もっと効果的な武器があそこにはある」


 未だ暴れ続けている化け物の気を逸らすために壁に備え付けてある消火器をアッシュに撃たせる。金属製の消火器の頭が吹き飛び中身の粉末が部屋中に散乱した。奴は突然の白煙に咄嗟に目を覆ってしまう。唯の条件反射かもしれないが眼球の脆弱性までは克服出来ないと思いたい。


「よしっ、後は工場におびき寄せるぞ!来いっ!」


 視界を覆う白煙に怯んだ鬼を尻目に、急いで元来た工場へと戻る。

 瓦礫だらけの工場跡は相変わらず炎が燃え盛り、明らかに有毒そうな煙が蔓延しているものの、このまま奴に追い詰められるよりは遥かに勝算がある。取り敢えずアッシュには瓦礫の中から使えそうな消火器を集めさせてから通路側へと次々噴射させて煙幕を張り、こちらへ誘導しつつ視界を遮って置く。

 そして切り札となる武器の確保を急ぐ。壁に備え付けてある工具箱の中から大ハンマーを拝借して二階部へと上がり、破損していない複数の貯蔵タンクの排出バルブをハンマーで軽く壊しておく。横付きのバルブを壊すと中身の液体がチョロチョロと漏れて刺激臭が鼻をつく。詳しくは分からないが中身は塩素系の劇薬だろう。タンクにもデカデカと赤字で危険物と注意書きがある。

 準備を整えたのと同時に鬼が煙幕を弾丸もかくやと勢いで突き抜けて行ったが、出入り口に仕掛けておいた即席の罠に足を取られて盛大に瓦礫をまき散らしてうつ伏せに倒れた。それを見逃す事無く、貯蔵タンクのバルブをハンマーで完全に破壊すると、水圧の勢いで劇薬が放物線を描きながら放出し、突っ伏した化物の上へと盛大に降り注いだ。


「ぎゃあああああああああっ!!!!!」


 降り注ぐ劇薬をまともに被った鬼は人であった頃の声とは似ても似つかない金切声を上げて、恥も外聞も無く痛みを訴える。いくら皮膚が弾丸を通さなくても肉は肉でしかない。強アルカリの液体を全身に浴びれば如何に強固な皮膚を有した所で、たんぱく質を容易に分解するアルカリ液には勝てそうもない。しかも皮膚だけに留まらず、さらに眼球のような露出した部位や口内にまで劇薬が入り込み、さらなる激痛が鬼を蝕む。

 苦痛にのた打ち回る化け物だったが、それに同情して手を緩める愚は犯さない。さらに二つ三つとタンクのバルブを破壊して、絶え間無い劇薬の洪水を作り出し、工場内を強アルカリで満たした。勿論アッシュには事前に打ち合わせをしてあるので、とっくに離れた場所に退避していた。

 薬品漬けの工場に鬼の絶叫が響き続けるが、次第にその声も小さくなり萎んでゆく。それでもまだ必死で転がり続けて降り注ぐ薬液を回避しようと足掻く化け物にアッシュが銃弾を何発も叩き込む。既に装甲のような硬い皮膚は無残に剥ぎ取らており、容易く銃弾の侵入を許し、赤い血の華を咲かせると徐々にだが動きが悪くなっている。

 こちらもアッシュに負けじと発砲して数発を命中させ、ついには痙攣するだけの肉塊となった。


「ふー終わったか。一時はどうなるかと思ったが案外簡単だったな。けど、これどうする?一応この死体をギルドまで持ち込まないと賞金は出してもらえないぜ」


「あまり時間も無いし、そこら辺の瓦礫のワイヤーロープを使って縛って運ぶか」


 薬品塗れの身体を直接触れるのは危険だ。幸い薬品用のゴム手袋もそこら中に散乱しており、それを装着してから瓦礫の中からワイヤーロープを引っ張り出した。

 ロープを鬼の首にひっかけて縛る最中、ふと手を止めて痙攣する肉塊を注意深く観察する。鉄のように硬化した皮膚は全て強アルカリによって分解されて完全に筋肉組織が露出して、その筋肉も大部分が壊死していた。さらに銃弾を十発は撃ち込まれて常人ならばとっくにお陀仏の状態であっても、いまだ心臓は鼓動を停止していない。恐ろしいほどの生命力と身体能力を秘めている。もう少しこいつが実戦慣れしているか、こちらの運が悪ければ今頃挽肉にされていたと思うと、今更ながらに身が震える。

 しかし今ここで余計な時間を掛けると工場の崩落に巻き込まれると雑念を取り払い首にロープを掛けた。だが、そこで思わぬ事態に直面する。鬼の右腕が動き出し、俺の首へと迫っている。

 迫りくる掌がゆっくりと近づいてくるのが鮮明に見え、避ける事も弾く事も出来ず、咄嗟に右腕を割り込ませた事以外はただ成すがままに首を捉まれてしまった。


「ゴノムシゲラガアアアアアアアア!!!」


「くそっ!くたばりぞこないの化け物がっ!!」


 両足を縛っていたアッシュが慌てて銃を引き抜いて背中に全弾命中させるも、鬼はまるで怯む事もせずに、逆に左腕を振り回して小うるさい羽虫を払い除けるかのような軽さでアッシュを弾き飛ばした。


「あ、アス―――」


 軽々と通路まで飛ばされたアッシュに声を掛けようとするが、喉を圧迫されて声が出せない。それどころが段々と意識が朦朧としてくる。肺が酸素を欲し脳が血液を求めるが、目の前の鬼は狂ったように絶叫しながらあらん限りの力で俺の首を潰しにかかる。

 拙い、まずい、マズイ。油断していたわけでは無いが、これはすぐさまどうにかしなければ死ぬ。駄目だ、こんな所で死ねない。こんな終わりは認めない!このような力に溺れただけの邪悪に屈するなど受け入れられるはずがない!

 血液が回らず暗くぼやける視界に頼らず、手探りで腰のベルトに差し込んだ拳銃を探し当て、取り落とさないように慎重に引き抜き、親指で撃鉄を下げて人差し指を引き金に添える。

 薄れゆく意識の中でどこに照準を付けるか迷ったが、どうせ相手がこちらを掴んでいるのだから、前にさえ向けていればどこかに当たるだろうとよくよく思い至り、迷うことなく引き金を引いた。

 一発、二発、三発。ゆっくりとだが確実に引き金を引くと、そのたびに鬼の腕を通して着弾の衝撃を感じる。そして痛みに震える鬼の苦悶と嘆き、悲憤、憎悪が伝わって来るかのようで自然と笑みが浮かんでしまう。

 四発、五発と撃ち込めば、明らかに握り潰そうとする腕の力が弱くなる。その期を逃すはずもなく、最後の一発は鬼の手首に直接銃口を押し付け、引き金を引いた。至近距離からのマズルフラッシュは瞼を閉じていてもはっきり分かる。手首を砕き、右手からの支配を脱した俺はその場で天井を見上げ深呼吸する。肺一杯に酸素が満たされる。ただそれだけの事でも全身に活力が湧いた。

 ただ、もっと生きた心地のする時間を味わいたかったが、敵はまだ目の前にいるのでそうも言っていられない。素早く排莢した後、袋から弾薬を取り出す。


「くそっ!後一発か!まあいい」


 どうせ化け物は虫の息だ。後は口内か眼窩にでも直接銃口をねじ込んでからぶち込めば事足りる。素早く、だが確実に弾倉へと最後の弾を装填する。

 しかし、これが拙かった。ほんの一瞬鬼から意識を外す愚を犯し、視線を銃から鬼へと戻すと、そこには左腕を振り上げた怪物の姿があった。


「あっ、しまった」


 自分でも心底間の抜けた言葉を吐いていると分かるぐらいに冷静だからこそ、一秒後の自分の姿が鮮明に想像出来てしまった。鬼もそれが分かっていたので、心底嬉しそうに歯を見せて笑っているのが酷く腹立たしい。

 振り下ろされる巨大な拳がスローモーションで迫っているのを冷静に受け止めつつ脳裏によぎるこれまでの人生の記憶。幼少期に父親に叱られた事、ルースやジズと一緒に遊んだ光景、バウンティハンターだった師達に弟子入りして扱かれた時間、そしてエレナとの至福の行為。その中で最も強く思い出したのは『プリマ・クラッセ』のシチューの味。あの日常の象徴をもう一度味合わずにこんな穴倉で朽ち果てるなど到底受け入れられるはずがない。


「――――ふざけんな」


 血を吐くように魂の奥底から搾り出した唯の一言を叩き潰すかのような絶望の一撃が眼前に迫っていた。


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