第15話 役に立たぬ牢獄



 ――――――狭い部屋だ。連れて来られた懲罰房の第一印象は、そんなありきたりな言葉で事足りる。岩肌の露出したいびつな正方形の空間に両手を伸ばせばちょうど両端に指先が触れた。そこに木箱を二つ並べて上に粗末な布が掛けられている。おそらくは寝台のつもりで備え付けられた物だろう。後は地面に置かれたバケツが一つ。多分用を足すためのトイレのつもりだろう。過去に使われたのか酷く臭う。天井の中央部には鉄格子がはめ込まれており、僅かだが風の流れがある。察するに外気を取り入れる通風孔として使われている穴だろう。最後に、部屋と通路を隔てる格子付きの鉄製の頑丈な扉が現在の俺の立場を象徴していた。


「おっと忘れていた。暗いだろうからこいつを渡しておく」


 そう言って渡されたのは使い古したランタン一つ。照明としてはこれで十分な品である。渡してくれた褐色の男に礼を述べる。ただし返事は扉の施錠だった。これで俺は晴れて虜囚となった。しかし男は立ち去る事無く、扉の前でこちらを窺う。


「お前も物好きな奴だな。こんなクソみたいな部屋にわざわざ入りたがるなんて。あの時二つ返事でこっちに来てれば良かっただろうに」


 褐色の男、不可視のアーティファクト使いアーレンは無遠慮に先程の研究室での選択を皮肉る。確かにあの状況では博士の提案を受け入れて≪天使の指先≫に組するのが最適解だろう。それをしないのは傍から見れば愚かな選択に違いない。


「合理的な選択だとは俺も思っていない。要は矜持の問題だ。あんたこそそんな便利なアーティファクト持ってるのに、どうしてわざわざ麻薬組織の用心棒なんてやってる?それを使えばもっと稼ぎの良い仕事があるんじゃないのか?」


 人間の視覚はおろかリムの探知すら騙せる道具なら、それこそ銀行から根こそぎ金を盗むことも大富豪の家から絢爛豪華な金銀財宝を山のように盗み出せる。正直使い方を間違えているとしか思えない。そこを指摘するとアーレンは色々有るとだけ言葉を濁してしまう。代わりに何故即答を躊躇ったのか、どのような矜持を抱いているのかを尋ねた。


「大したこだわりじゃない。ミイラ取りがミイラに、犯罪者を狩るハンターが同業者から狙われるような真似はしない。それだけだ」


「ほう、犯罪者一歩手前の賞金稼ぎが言うじゃないか。その分だと殺しはまだ未経験か?」


「そうでもないさ。少し前には賞金首の放火魔を殺している。むやみやたらに殺しはしないが、銃の引き金を引くのに躊躇ったりはしない」


 実の所、殺しの経験のある賞金稼ぎはそこまで多くない。殺してしまえばその分懸賞金は減額されるので出来る限り生きたまま捕らえてギルドに引き渡す事の方が多かった。だから腕の良いハンター程殺しの経験は少ない。アーレンもそれを踏まえて俺がまだ殺しをしていないと勘違いしていた。

 それを踏まえた上でアーレンは若干含みを持たせた笑いをこちらへと向けて来た。


「けど殺しは殺し、悪行だろ?殺しは躊躇わないのに麻薬売買は嫌がる線引きが分からんな。幾ら法を遵守してお前が賞金首だけを殺したところで、世間様の評価は人殺しのままだろうよ」


 それはそうだ。人殺しが正当化される事などない、正当化される時代もない。どこかで非難されるし、悪と断じられる行いだ。法律も宗教による戒律でも、殺人は第一の罪業と真っ先に禁止される悪事である。罰則の軽重はこの際置いておくが、宗教儀式や自己防衛のような特異な状況下を除いて褒め称えられるような事は未だかつて無い。あくまでハンターとして行動して免責扱いによって罰則を国や行政に肩代わりしているというだけで、俺が悪行を重ねているという事を誰よりも俺自身が知っている。

 悪行を以って悪を滅する。多分に矛盾した行為であり、いずれは矛盾によって破滅するのは分かり切っている。だから俺は自身に大儀や正義があると微塵も思っておらず、金で雇われた単なる処刑人でしかないと理解していた。


「他人にどう思われようが知った事じゃない。俺は俺の心の赴くままに生きている。言ってみれば賞金稼ぎも単なる自己満足だよ。麻薬売買じゃ俺の心は満たされないから、今こうして命を取るか矜持を取るかで揺れている」


「もっと小器用に生きれれば面倒だって少ないのにな」


 感心しているのか馬鹿にしてるのか判断に困る。多分、馬鹿六に対して感心四ぐらいか。以前ジズやルース、エレナさんに同じような独白をして似たような、それどころか完全に偏屈狂と馬鹿扱いされたのに比べればある程度理解していると言えなくもない。

 そこでふと、扉越しに立つ男に奇妙な感覚を覚える。この男は俺に感心、あるいは共感を示している。ただの金だけで雇われたようなゴロツキならば矜持で動く人間の精神など理解しようがないが、アーレンは幾らかの理解を示した。これはどういう事だろうか。この男が何を望んで麻薬組織の用心棒に身をやつしているのか。金以外、それも形の無い何か、さしずめ矜持や誇り、そうした値の付けられない思想や哲学と言って良いこだわりが透けて見えた。

 この男は―――アーレンは犯罪者とは何かが決定的に違う。


「なあアンタ、ここには誰かの命令で入り込んでるんじゃないのか?例えば警察とか軍とか。証拠も無いし、上手く言葉に出来ないが、責任感が他の奴とは違う」


「――――何の事だか。俺は単なるケチな用心棒さ。じゃあ、時間になったら迎えに来るから、それまで精々矜持を捨てる覚悟を決めとけよ」


 そうそう素顔は晒してくれないか。だが、彼が何か隠しているのは掴めた。そして金で動いているわけでもなく、あのイカレた博士に恩義を感じているわけでもない。どちらかといえば仕事だから仕方なく麻薬組織に身を置いている。そんな場違いさに嫌気を抱いているのだろう。後はアーレンが明確に敵に回らなければ最良ではあるが、それはとても都合のよい願望でしかない。希望的楽観は失敗の元だ。

 今は時が来るまで余計な体力の消耗を抑えて待つ。それで十分だった。



     □□□□□□□□□



 ――――懲罰房に押し込められておよそ三十分。時限爆弾の時計が壊れていなければあと十分で起爆する。

 房の外は随分と慌ただしい。当然と言えば当然か。俺がここに侵入した事は周知の事実。そして警察が動き出していると分かれば、夜逃げをする算段を付けるのは道理だ。下っ端連中も最後の特別ボーナスを餌にせっせと引っ越しの作業に追われている。そんな中で突然爆発が起きれば、ここはかつてない大混乱となる。その隙を突いてこんな狭苦しい部屋など抜け出して、有無を言わさずあの気狂いを殺してしまえばいい。

 膝を曲げなければ仰向けになれない狭い寝台もどきから天井の通風孔の蓋を眺めていると、突然何かが落ちて来た。


「痛てええっ!畜生しくじったぜ!えっとここ―――――おいなんでお前がここにいるんだよ!」


「それは俺のセリフだ、アッシュ。せめて部屋に入るならノックぐらいしてからにしろ」


 蓋ごと落ちて来たのは顔見知り。ランタンの光に照らされた顔には蜘蛛の巣がこべり付いており酷い有様だ。この分では慌ただしい中を避けて通風孔から侵入して、たまたまここに行き着いたのだろう。取り敢えずこの馬鹿を寝台の扉側の壁に張り付かせておいた。これなら死角になって見つかる事は無い。


「ここって牢屋だよな。ってことは、お前ドジって連中に捕まったな。だせえなあ、おい。お前だって偉そうな事言って、大した事ねーの」


「失態を犯したのは事実だが、お前ほど無策じゃない。ちゃんとここに来る前に仕込みは済ませておいたから、あとは時間待ちだ」


 工場内に仕掛けておいた爆弾の事を伝え、アーティファクト使いの護衛がまだ二人いる事、さらにここから出た後には組織の首魁の博士を殺すつもりだと告げると、アッシュもまた自分で捕らえると言い出す。


「お前は後二人いる護衛のアーティファクト使いの方が良いんじゃないのか?そっちを倒すなり捕らえて、そいつらからアーティファクトを奪えば、晴れてお前もアーティファクト使いだ」


「うぐっ!そ、それは惹かれる提案だけど、お前の方は丸腰で大丈夫かよ?」


「相手はひょろひょろの学者だし、途中でここの奴等からライフルの一丁でも奪えばいいさ。最悪、転がってる金槌の一本でもあれば事足りる」


「何だよ、そこは行き当たりばったりじゃねーか。ならこれ返すよ。いつまでも借りっぱなしじゃ気分が悪い」


 そう言ってアッシュが差し出したのは小ぶりの拳銃とじゃらりと金属音のした小袋。見覚えのあるそれ、元は俺の物だ。手渡された銃を手早く確認して、背中のベルトに差し込む。

 起爆五分前になり、そろそろ脱出の準備に取り掛かる。左右の靴底のかかと部分を外して切り札を取り出す。一つは管状の紙、もう一つにはマッチと細い紐だ。


「それってもしかして火薬か?」


「当たり。ダイナマイトと火種を靴底に隠しておいた。これで脱出出来る」


 感心したようにアッシュが口笛を鳴らす。常に最悪の事態を想像して備えるのは何も賞金稼ぎに限った事ではないし、無策無謀で敵地に突貫するほど俺は馬鹿じゃない。

 時計が無いので誤差数分を考慮して準備だけは整えておく。ドアノブに管を巻き付けて、先端部分に導火線を差し込む。

 数分後、部屋の外で爆発音が響き、そこかしこで悲鳴と逃げ惑う声が上がった。待ちわびた瞬間、マッチを壁にこすりつけて火を灯す。それを導火線へと近づけ、立ち上る硝煙の臭いに心躍らせた。

 ダイナマイトはその期待に見事応えてくれた。二度目、しかし一度目とは比べ物にならないような小さな爆発音だったが、小さいなりに威力は申し分なく、ドアノブを派手に吹き飛ばした。

 こうなれば鉄製の扉など重たいだけの板切れにしか過ぎず、蹴りつければ簡単に開いた。後は首を刈るだけだった。


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