第14話 天秤には命と矜持




 ―――――――後ろを取られた。迂闊、醜態、愚昧、ありとあらゆる卑下の言葉を以ってしても、この失態は著しようがない。無論、軽率な言葉で主を窮地に追いやった我自身への事である。


「後ろを向くな。両手も頭の後ろで組んで動かすなよ。仲間に助けを求めるのも無しだ」


 男の声だ。何も無い空間から男の声が発せられ、さらに中空には拳銃が浮いている。しかしながらこれは幻ではない。疑いようのない現実であった。

 命令に従わなければ命は無い。男の言葉に偽りがないと判断した主は、言われた通り両手を頭の後ろで組み、無抵抗を主張した。


「素直な事は良い事だ。おーいラインっ!お客さんが居るからちょっと扉を開けてくれ!」


「誰よ、お客さんって―――――――ほんと誰?」


 全身黒づくめの迷彩服を纏った主の姿を見たラインが目を丸くして問う。彼女に取り合わず、後ろの男は主に部屋に入れと銃で背中を小突く。言われるままに部屋へ歩かされると、ここで初めて白衣の男が我々に目を向けた。


「招かれざる客人という所かな?初めまして、ようこそ≪天使の指先≫に。出来れば自己紹介をしてくれると助かるのだけど」


 予想より温和な対応に我は少々驚く。この手の犯罪組織の人間は大抵敵対者には暴力的かつ粗野な接し方しかしない。しかし白衣の男は随分と理知的に挨拶をしていた。

 主も無言で殴打か蹴りの一撃でも貰うと思って身構えていたが、そうならず意外そうな顔をした。


「ミューズだ。アッサムシティで賞金稼ぎをやっている。ここには、まあ分かっていると思うが賞金首目当てで来た」


「はてそのような人間がいるのか?ライン、アーレン、知っているかね?」


「ハカセー、まさか素で言ってないわよね?一応私達麻薬売買してるんだから指名手配ぐらいされるわよ」


「ははは、もちろん知っていたよ。今のは場を和ます僕なりのジョークというヤツさ」


 その割には笑えない。とは言えこの博士とやらの性根はある程度把握出来た。それと後ろで陣取っている男がアーレンという名だと分かった。


「じゃあ今度は俺から質問だ。どうやって仲間と連絡を取っていた?おっととぼけるのは無しだ。お前がラインのまな板をこき下ろしてエレナとかいう人の身体を褒めちぎっていたのはちゃんと聞いているぞ」


「おい根暗っ!誰が生きてて申し訳ないぐらいの断崖絶壁だって!!あんなものはなー、単なる贅肉の塊でしかないんだよ!!なんだよロマンが詰まってるって!!そんなもんねーよ!男ってのは何でそんな余計な肉に夢を見るんだよっ!!」


 地団駄を踏んで心底悔しがる三十過ぎの女というのは実に見苦しい。そしてそれだけ激しい動きをしても微動だにしない胸部はまさしく断崖絶壁である。さらに気分転換と称して手に持っていたラム酒の瓶をグビグビと呷る様は本当に女性なのか理解に苦しむ。

 そのまま茶番で先ほどの質問を流してくれないかと期待したものの、そうそう上手く事は運ばず再度同じ質問が告げられる。仕方なく主は本当の事を話す。


「ほう、書籍型のアーティファクトか。ちょっと見せてもらうよ」


 白衣の男は我を主から引き離してしまう。そして遠慮なしにベタベタと触って、あまつさえ我のナカを覗こうと錠前をこじ開けようとした。これほど不愉快な感覚は未だかつて味わった事が無い。


「やめたまえ。貴方のその行為はまるで婦女子を裸体にして欲望の赴くままに舐め回し、撫で回し、股を力づくで開いて秘部をこじ開けようとする行為に等しい。それとも貴方は強姦魔と罵られる事に特別な愉悦を感じる性倒錯者なのかね?」


「へー本当に喋るんだこのアーティファクト。しかも凄い弁が立つわね。私や根暗の物とはずいぶん違う」


 やはり後ろの男が不可視かつ我の探知に引っかからないのもアーティファクトの権能のおかげか。そして嘆きの壁女も何かしら所持しているのか。ギルドと運び屋の情報にあった二人の内の一人はこちらのラインの事だったか。まさか三人目のアーティファクト使いが居るとは予想だにしなかった。それも隠密に特化した権能持ちとは迂闊の極み。今さら後悔したところで遅き事だった。

 囲まれた主に次々と質問が飛ぶ。我の権能、シティの動き、仲間の有無、エレナの容姿。最後のは比較された絶壁女の個人的な興味だが、その都度回答せざるを得ない。せめてもの抵抗として嘘は語らず、全ての情報を渡さない事だけだ。特に時限爆弾を仕掛けたのと、我が他のアーティファクトの権能を再現出来るのは知られてはならない。


「なるほどなるほど。では一方的に尋ね続けるのも申し訳ない。ミューズ君も我々に質問してくれて構わないよ」


「なら遠慮なく聞かせてもらいたい。≪天使の導き≫とはなんだ?ただの既存の麻薬じゃないのは分かっている。それとそんなものを流通させるあんたら≪天使の指先≫の目的だ。下っ端はともかく博士自身が営利目的でやっていないのもおおよそ分かっている」


 麻薬組織に限らず、商売とは顧客と長く取引するのが普遍的な原則である。大量に服用して中毒死に至る事もままあるが、それも長い期間依存に依存を重ねての結末だ。間違っても服用しただけで人体を破壊するような麻薬は無いし、悪評が立てば誰も買おうとは思わない。それでは営利団体としては問題外である。にもかかわらず何故このような組織を維持しているのか、それが分からない。

 主の疑問にラインとアーレンは同意し、白衣の男もよくぞ聞いてくれたと満面の笑みを浮かべて上機嫌に話し始めた。


「それにはまず僕の来歴を話しておかなければならない。僕はね、元はトマ帝国の国立研究所の研究員だったんだ。そこで主に軍事目的の薬品の研究に明け暮れていた。その薬は人間の身体に眠っている様々な潜在能力を引き出す素晴らしい薬なのさ。かつて人は生身で何の道具も用いず火を生み出し、岩を浮かせ、雨を呼び寄せていたと古い文献にはある。大半はお伽話の魔法使いでしかないけれど、僕は長い事研究所で様々な人間を観察し続けて、それが全ての人間の中に眠る現在の科学では解明出来ない超能力だと知った。そしてそれこそが現在の人によって歪められた偽りの神とは違う、本物の神へと至る手段なのだと確信したんだ」


「おい、それじゃあ今シティのスラムで流通している麻薬は―――」


「察しの通りさ。あれは僕が開発した“天におわす神に至る”人の超能を顕現させる薬の試作品≪天使の導き≫なのさ。とは言え、まだまだ試作品の域を出ない出来損ないだけどね。けど、それでもそれなりに使い道はあった。多幸感を付与して麻薬として流通させて、資金を稼ぎつつ多方面でデータを集める。その為にこの≪天使の指先≫という組織を立ち上げた」


 ―――――――なんと愚かな男なのか。我は眼前の知識欲に踊らされる男に侮蔑を禁じ得ない。我は神の存在を信じる事も無ければ否定するつもりもないが、人が神へと到達するなど不可能だと知っている。かつて我が製造された今より遥か昔の時代より、人はより上を目指してありとあらゆる知識を欲した。その中でも人は自らの内に潜む特異な遺伝子に着目していた。超能力者、異能力者、突然変異体など様々な名で呼ばれた人々の遺伝子サンプルを解析して、その原因となる因子の特定に多大な労力と時間を掛けていた。その成果の一つ、副産物として生まれたのが現在の人がアーティファクトと呼ぶ道具である。数多あるアーティファクトのごく一部には人類の遺伝情報を解析して、それを人為的に再現した物もある。

 勿論その過程で凄惨な人体実験が無かったとは言わない。人類の発展という名の免罪符を用いて同族に多くの犠牲を強いて来た人類であったが、それでも人が神になる事は決してなかった。また神に触れる事さえなかったと我には記録されている。どれほど自身を調べ上げても、奥に潜む特異遺伝子を顕現させようとも人は人のまま。それをこの男は理解していない。


「その薬を服用した人間は頭や内臓を破裂させて死んだと聞いている」


「何でだろうね?僕が研究所に居た時も同じ失敗が多かったんだ。ネズミとか犬とか使っても人のデータは取れないから、色々頑張って人を集めて実験を繰り返したけど、結局国の偉い人は成果に対して損失の方が大きいからなんて冷たい事言って研究費用を削ってしまってね。それで自分で研究を続けてたら国元から指名手配までされて、仕方が無いから隣のハス共和国まで来る羽目になった。おかげで僕は随分苦労したよ。科学の研究はそんなにすぐに成果が出ないのに、本当にせっかちな人達だよ」


 君のそう思うでしょ?白衣の男は主に理解を求めるが、とてもではないが主の顔は同意しているようには見えない。ただただ不快な汚物か害虫を見るかのように醒め切っていた。そもそもが何故薬の副作用で人体が破壊されるのか、その原因さえ特定せずに試作品をばら撒いて徒に人を殺すなどと非効率極まりない。さらには研究者として最低限度の常識すら持ち合わせない未熟者が偉そうに神を語るなど、愚劣と称するのもおこがましい害悪である。主もまた我と同じ結論に至り、この男は必ずこの場で殺しておかねばさらなる犠牲を生み出し続けると冷徹な算段を巡らせているに違いない。

 しかしながら現在主は虜囚として自由を奪われている。この状況を打開せぬ事にはままならぬ。何か手は無いものか。


「ところでミューズ君は金目当てで僕達の首を狙ってきたんだろう。なら私に雇われる気は無いかな?ちょうど一人護衛役が空いてるし」


「ちょっとハカセー!?言ってること無茶苦茶よ!命狙ってきた奴を雇うなんて研究のし過ぎで頭おかしくなったの!?」


「心外だなー。この僕の頭にケチ付ける気かい?ちゃんと理由があって提案してるんだよ。考えてもみなよ、賞金稼ぎなんてみんな頭が良くないけどお金が欲しいから命懸けでやるんだよ。だったら僕が代わりに雇ってあげてお金をたくさん払ってあげれば良いのさ。少なくとも賞金稼ぎをやるよりは護衛の方が楽にお金稼げるでしょ?ラインちゃんだって酒代が欲しくて雇われているんだし」


 降って湧いた話に主を含めて博士以外の面子が困惑するが、それを馬鹿にしたように彼は整然と理を説く。確かに賞金稼ぎの多くは身一つで一獲千金を狙う無頼者が担う事が極めて多い。学があるわけでも、生まれついて財産を所有しているわけでもない。かと言って真面目に働いて財を成す事もせず、同じ暴力を担う軍隊の規律ある生活にも馴染めない落伍者スレスレ。精々が犯罪者より幾らかマシのゴロツキ程度だと世間からは見なされている。主のように確固たる思想を抱いて活動する者など皆無である。

 故にこの男は主が金で転がると信じて疑わない。隣で騒いでいたラインもまた酒の事を挙げられると、反対の声は次第に小さくなっていく。後ろにいるアーレンの表情はうかがい知れないが、博士の提案にこれ以上反対する気は無いように見える。


「それにミューズ君は待ってる人が居るんだよね?今ここで死んだらその人にもう会えないよ。なら迷う必要は無いんじゃないのかな?僕としても自立型アーティファクトなんて珍しい物を見せてくれて、使い方の分かってる人をむざむざ殺すのは惜しいと思うんだ。お互い悪い取引ではないよね」


 ニコニコと他者の精神を逆撫でするような口調と笑みを主に向けて契約を勧める博士に対し、能面のように感情の無い面構えで相対する主。この機を逃せば主は確実に命を落とす。しかし、契約を受け入れれば主にとって最も大事な誓約を自ら踏み躙る結果になる。命を取るか誇りを取るか。究極の選択を今迫られていた。


「―――――出来れば一時間ほど考える時間をくれ。これでも生まれてこの方、犯罪を犯すような事はしなかった。その生き方を捨てるにはそれなりに気持ちを整理する時間が欲しい。それまでは牢にでも放り込んでおいてくれ」


「ふーん、ここにきて迷うほど余裕があるとはね。面白いなあ。いいよ、望み通りちょっとだけ待ってあげよう」


 どうやら最悪の結末は避けられたようだ。とは言えこれはあくまで問題の先延ばしにしかならない。未だ主の命は彼等の手の中に納まっている。そして当然の対策として主からは所持品が全て剥ぎ取られた。我も腰の拳銃もホルダーごと、背負ったバックパック、ナイフもだ。これで主は丸腰となり、研究室から連れて行かれた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る