第6話 拾い物は警察に届けよう
骨折というものは大抵の生物には耐え難い激痛である。手足ならば痛みだけでなく稼働に支障が出てくる、肋骨のような内臓に近い部分なら場合によっては折れた骨が内臓に突き刺さって最悪の場合死に至る。頭部や頸部であれば、さらに死亡の確率は上昇する。さらに完治に最低でも一か月はかかるとなれば、どれほど忌避すべき傷害かは自ずと理解出来るだろう。
ちょうど我が主の足元で悶絶している男の苦悶の表情を見れば、同じ痛みを味わいたくはないと誰もが口を揃えて主張する事間違いない。
「思ったより根性があるが、それは使い所を間違ってるぞ。いい加減俺の質問に正直に答えてもらいたいんだが」
「だ…だから知らないって言ってるだろうがっ……同じ事を何度言わせるんだ。お、俺はアニキからクスリを回してもらって売ってるだけだ。どこで作ってるかもボスが誰なのかも全然知らない」
星明りしかない廃屋の床に腕を縄で縛られて転がされている男は脂汗を流しながら必死で主に懇願するも、満足のいく答えではないのが不満気な主は小さく溜息を吐いて、男の脚を力強く踏みつける。当然男は激痛で目を見開いて絶叫するが、主は一向に気にする様子は無い。男の右脚は膝から本来曲がらない方向へと曲がっていた。これではたとえ完治したところで障害が残って一生杖が手放せない生活を送る羽目になるだろう。しかし主にとって麻薬の売人は犯罪者でしかないので、さして気にする様子は無かった。
「じゃあ、そのアニキとやらはどんな奴でどこに住んでいるのか教えてくれる?今度はそいつに聞いてみるから」
「だ、だれが教えるかクソヤロウ!たとえ殺されたって言わねえよ!おら、さっさと殺しやがれ!」
「嫌に決まってんだろうが。何で簡単に殺さないといけないだよ。もう少し嬲ってから殺してやるから、もう少し付き合ってもらうぞ」
そう言って主は砕けた膝をさらに数度踏み砕いて完全に破壊してしまった。踏まれるたびに売人の男は絶叫するが、余程そのアニキとやらに義理立てしているのか、泡を吹いて失神しても最後まで口を割らなかったため、主もこれ以上は時間の無駄だと悟り、男を外のゴミ山に放り込んで廃屋を後にした。勿論生きている。ゴミ山には既に先客が二人おり、これで都合三人の男が転がされている事になる。全員、今日の主の仕事の成果であったが、労力の割に得られた物は随分と少なかった。
「やれやれ、彼等は碌な情報を知らなかったようだな。これではまったくの徒労ではないのかね我が主よ?」
「元からそこまで期待してないさ。精々が薬の運び屋か集金屋が分かれば良いと思ってやってるだけだ」
主は我の苦言など意に介さないが、実の所全く以てその通りである。主は彼等のような末端構成員の持つ情報には何の期待もしていない。良い所纏め役が分かれば御の字と思っている。今回の仕事は奴等の商売を邪魔して用心棒のお出ましを願うだけで、何もアジトに乗り込む必要はない。第一の狙いはアーティファクト持ちの用心棒、それ以外は現状後回しでも構わなかった。
「無理をせずに命を大事にするのはエレナ殿との約定があるからかね?まあ、情を交わした女性に弱いのは男の普遍的価値観ではあるだろうから、我は何も言うまいよ」
「煩いぞリム!」
おやおや、怒らせてしまったらしい。主はこの手の色恋沙汰の話をされるのを嫌がるのを忘れていた。これは失態だ。
とはいえ我はアーティファクトの権能を編纂する為だけに生み出されたただの道具である故に、主に捨てられては存在意義を失う。あるいはまた金属の箱に厳重に封印されては堪らぬ。しばし大人しくするしかあるまい。
結局、次の一人で今夜の情報収集は一旦打ち切り、我らはスラム街から引き揚げた。収穫は売人から巻き上げた新薬の実物と、彼等の纏め役が複数人いる事ぐらい。空振りよりは遥かにマシであろうが、満足のいく成果とは言い難かった。
その翌日の深夜もスラムで売人相手に尋問兼業務妨害に精を出していた我々だったが、尋問の成果は芳しくない。一応それなりの示威行為になるのと麻薬は確保したが、それだけではさほど価値は無い。そして薬の方の処分に困っている。軽々しくゴミとして出すわけにもいかず、さりとて使うわけでも誰かに譲る事も出来ない。ギルドに持ち込んでも処分に困るだけであり、こちらで保管しても邪魔なだけである。
仕方なく、別口からの情報収集も兼ねて主はとある組織に処分を頼むことにして、シティの行政区へと足を運んだ。
建物は煉瓦造りの重厚な三階建て。正門には数名の屈強な男が門衛をしている。彼等は全員腰に拳銃を装備し、肩には長柄の散弾銃かライフル銃を担いでいた。明らかに見る者を威嚇する武装ではあったが、賞金稼ぎギルドと違って胡散臭さや粗暴さは感じさせず、むしろ社交的で人の良さそうな笑顔を周囲の市民たちに向けており、主にも気さくに声を掛けている。
さらに駐車場には何台もの最新式蒸気自動車――――そのどれもが重厚な鉄板を全身に張り付けた明らかに銃砲火器による戦闘を意識した武骨な風貌――――が出番を待ちわびるかのように鎮座している。
我々の潜った正面入り口の上には威風堂々たる≪アッサム警察署≫の名が掲げられていた。
「麻薬を手に入れたんですが、使い道に困ったのでそちらで処分してください」
署の受付に座っていた若い警官相手への第一声がこれである。それを聞いた警官はぎょっとしたが、主の顔と我を見て身元が分かり、落ち着きを取り戻して麻薬の入った袋を受け取った。
「それと刑事課のボロンゴさんが居たら面会したいのですが」
「ああ、あの人なら署に居るよ。今、呼ぼう」
内線電話を使って呼び出し、しばらく待っていると件の警官が奥から姿を見せた。
歳の頃は三十を過ぎた無精ヒゲを生やした偉丈夫。見るからに暑苦しそうな風体で、ともすれば他者に虎のような印象を与える野性味のある男が主の顔を見ると、喜色から一転あからさまにしかめっ面を作った。
「おいっジョージ、誰が俺のファンがプレゼント持って会いに来てくれたって!?それも若くて可愛い子だからって急いで来たのに喜び損じゃねーか!どう見てもミューズは可愛くないし、俺のファンじゃねーだろうが!!」
「えー、ミューズ君は貴方のファンじゃないですか。それに彼は結構可愛い顔立ちしてますよ。ほら、俺嘘ついてませんって」
受付の警官のジョージが悪びれもせずにケタケタと笑いを漏らすのを見てボロンゴ刑事は青筋を立てるが、署内で人の目がある手前、暴力に訴える訳にはいかず歯ぎしりだけに留まった。
ついでに我が主も可愛い顔と言われて若干嫌そうな顔をしている。世間一般から見て主はそれほど童顔でもなければ女性的な顔つきでもないが、受付のジョージから見れば
可愛いと思われているらしい。そろそろ成人扱いを受ける年齢の男性への評価に可愛いは不適切であるから、主が気を悪くするのは妥当である。むしろジョージの嗜好に偏りがあるのではないかと我は密かに分析していた。
ジョージ相手では埒が明かないと判断したボロンゴはさっさと用を済ませようと主の方に話を向ける。
「―――で、ミューズ坊やは今日は何しに来たんだ?ハンター辞めてウチに就職したいのなら大歓迎だぞ」
「毎度言ってるけど俺は警官にはなりませんよ。ちょっと天使の落とし物を刑事さんに渡しに来ただけです」
天使の単語が耳に入ったボロンゴは眉を動かす。当然と言えば当然だが、この都市で最も麻薬組織を捜査しているのは他ならぬ警察機構である。≪天使≫の単語からそれを導き出すのは容易に違いない。
「詳しい話を聞きたいのと、お前も俺に聞きたい事があるだろ?ちょうどメシの時間も近い、奢ってやるからついて来い」
刑事に連れてこられたのは警察署にほど近いステーキ屋だった。現在は正午前という事もあってそれなりに混雑しているものの、いくつか空いている席はあった。現在我は主のホルダーに収まっている。このような腰を落ち着ける場所では周囲の影響を鑑みて、遺憾ながら存在を隠さねばならなかった。常連となっている『プリマ・クラッセ』は例外である。
「ここのマウンテンステーキは安くて旨い。お前はまだ若いから遠慮せずに沢山食っとけよ」
ボロンゴの言葉通り、運ばれてきたステーキはどれも適当に切り分けた肉を山積みした豪快な盛り付けをしている。一つの肉そのものは小さいが、ざっと五十も肉片が積まれれば相当にボリュームがある。
盛り付けは雑にもほどがあるが、いざ食べてみると主も旨いと肉を突き刺したフォークを休まず口に運び続ける。曰く、玉ねぎのスライスと共にハーブで寝かせているので肉臭さは皆無、そして玉ねぎの甘さが良いアクセントになっているそうだ。ボロンゴもその評価に満足して自身も負けじと肉を頬張っていた。
「――んで、お前の標的は≪天使の指先≫か?」
「―――モグモグ。その中のアーティファクト使いの用心棒ですよ。ただ、どれだけ末端に聞いても有力な情報が出てこないんです」
「ふん、だから俺の所に来たってわけか。けどよー、ちょっと拾い物を届けたぐらいじゃあ大事な情報を教える訳にはいかないぜ」
肉ばかりでは舌が飽きるとばかりに付け合わせのサラダを喰らいつつ主を笑う。ただしこれは主も予想していた台詞だったので全く動じずにパンを頬張り水で流し込む。
これが新聞記者のエレナであれば金を積むか情によって話してくれるであろうが、同席するのが熱血刑事では望み薄である。我はボロンゴ刑事を深く知らないが主からの評価は随分と高く、犯罪者やその身内からの賄賂の類は一切受け取らず、休暇もほとんど散歩と称して街を巡回して犯罪を見逃さずに職務に励む。時折それが行き過ぎて譴責を受ける事も多く、始末書を量産する羽目になるほどに悪を許さない熱血漢だと評していた。そして今回のように気に入った若手に食事を奢り、親睦を深めつつ情報収集をして、いざとなったら小間使いとして利用する抜け目の無さも持ち合わせていると聞く。そんな敏腕刑事が事あるごとに主を警官に鞍替えさせようとしているのは、主の力量と資質を正しく評価しているのであろうが、本人が迷惑に感じているのだから自重してもらいたいものである。
「と言うより、警察でもまだ十分な情報を得ていないのでは?ギルドでも首謀者の詳細が分かっていませんし勿論アジトも分かっていない。精々、用心棒にアーティファクト使いがいるのと麻薬の成分分析ぐらいしか進んでいないでしょう?」
「さてねえ。部外者にそれを漏らす訳にはいかないんでな。ただ、俺から言わせれば幾ら下っ端を伸したところで本拠地から護衛が出てくる可能性は低いぞ。下っ端は金欲しさにあせくせ働くだろうがな」
「商売の妨げになる邪魔者を排除するのが商人では?」
「お前の言う商人は顧客を大事にするものだ。けどあいつらのばら撒く薬は気持ちよくなれる薬じゃない。あれは致死の劇薬だ。なぜそんな毒を麻薬と称して撒くかは、それこそボスを捕まえなきゃ分からん。俺がギリギリ言えるのはここまでだ」
主も軽い煽りを混ぜて本音を引き出そうとしたようだが軽く受け流されてしまった。このあたりは積み上げた年齢に分があるとみえる。しかし不明瞭ながら情報を得られたのは一つの成果でもある。それと同時に麻薬組織が営利目的ではない集団という不可解な情報が主を悩ませた。
そして我が思うに、警察組織が情報を得ていても、おいそれと動けない何かが麻薬組織にはあるのではないか。シティの行政府がしがらみの薄い賞金稼ぎギルドに依頼しなければならない表沙汰に出来ない事情を抱えていると思えてならなかった。
組織のアジトと護衛の情報も空振りだったため、これ以上は探りを入れる気が無くなった主は黙々と肉を食べ続けて、若干苦しそうにしながらもステーキを完食して食後のコーヒーを楽しんでいる。同様にボロンゴも全て平らげたが、こちらはまだまだ胃に余裕を見せて煙草を吹かしていた。やはり体格が違えば食べる量も相応に差が出てくる。勿論主が小柄と言うわけでは無いが世間から巨漢に分類される相手では分が悪い。
さらに混み合ってきた店内を見渡し、あまり長居するのも店側に悪いと思った二人は頃合いを見計らって席を立つ。そして店を出た所で忠告を受ける。
「ミューズ、今回のお前の仕事は相当な難物だから、途中で投げ出したところで俺は恥とは思わん。だから危ういと感じたら意地を張らずに躊躇わずに手を引け。分かったな」
「―――貴方がそこまで言うのなら覚えておきます。けど、悪をこのままのさばらせておくのは不愉快ですから、ギリギリまでやってみますよ」
紫煙を盛大にまき散らしてかぶりを振る仕草を見ればボロンゴが主の事をどう思っているかは大よそ察しが付く。そしてそれ以上は何も言わずに警察署へと帰って行った。
主も心配してもらえるのはありがたいと口にしているが、自らに課した職務、あるいは誓約と言うべき想いは生半可な事では覆せない。それは彼等も我も知っていた。
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