第7話 罠を張る者張られる者



 麻薬の売人狩りを始めてから既に四日目の深夜。相変わらず成果は芳しくない。既に十数名の売人を尋問しているものの、有効な情報は得られなかった。一応売人からクスリの仕入れ役を聞き出してアジトを訪ねても、一度も接触出来ずに無駄足を踏む始末。さりとてアジトには手掛かりらしい物は何も無く、時間だけが無慈悲にも過ぎ去っていく。しかしながら、そんな状況でも我が主はそれほど焦りを見せていない。故に主は焦らず、じっと獲物が出てくるのを待っている。


「焦って事態が好転するなら喜んで慌てるさ。けどそんな事は有り得ない。なら焦る必要はない」


 我は詳しくは知らぬが、かつての師の教えらしい。主が我を手にしてからまだ一年。その師と行動を共にしなくなってすぐに我と巡り合った為に師がどのような人物であったかは主の口からしか情報が無いが、主の口から語られる師とやらは随分と慕われていたように思える。それをどうこう言うつもりはないが、一度そのご尊顔を覗きたいと思うぐらいには我も興味を抱いていた。

 故に今日も主は腐らずクスリの売人を探してスラム街を徘徊していた。


「――――見つけた」


 どうやら今日一人目の哀れな男が見つかったらしい。物陰から様子をうかがうと、ガス灯の下で主とさほど歳の変わらない青年が同じぐらいの青年と交渉をしている。かなり離れているので声は断片的にしか拾えなかったが、察するに値段交渉をしているようである。十中八九麻薬売買とみていいだろう。


「あの交渉が終わったら仕掛ける。手筈はいつも通りだ」


「諒解した、我が主よ」


 我々ならば短い応答で打ち合わせは事足りる。

 売人と顧客のやり取りが終わり、客が完全に離れたのを見計らった主が新たな顧客を装い一人佇む売人へと近づく。


「新しいクスリがあると聞いたんだが?」


「―――見ない顔だな。スラムの人間じゃないだろ」


「まーな。けど、金さえ出せば余所者でも歓迎してくれるのはどこでも一緒じゃないのか?予算は結構あるんだが」


 初めてみる顔に若干の警戒を示す売人だったが、主が懐から札束を見せると、途端に愛想笑いを浮かべて歓迎の意を示す。大金はいつの時代も安心を買える便利なものである。


「ははは、違いない。金さえあれば何でも揃うのが世の中だよな。いいぜ、どれぐらい欲しいんだスカーフェイス」


 スカーフェイスとは勿論主の事を指すが、本来主の顔には傷など一つも無い。しかし売人に顔を覚えられると後の仕事に支障をきたすので、主は化粧で刃物傷を作って顔を誤魔化していた。前日は髭と眼鏡で雰囲気を誤魔化し、その前は顔半分に火傷痕を作っている。何気に多芸な所がある主であった。

 売人は鞄からクスリを取り出し主へ見せる。何度も売人を締め上げて取り上げたクスリと一致する。値段は一つ二十アウルム、数日前の価格の倍である。ちなみに主は十アウルムあれば『プリマ・クラッセ』でランチが食べられると庶民的な比較をしていた。


「話に聞いてた価格より倍は高いんだが?」


「嫌なら他を当たってくれ。けど、最近は売人が少なくなったから、俺以外の奴を見つけるのは手間が掛かるぜ」


 思うに競争相手の売人が減った事で価格を釣り上げても客は我慢して購入すると足元を見ているという所か。随分と浅ましい性根をしていると思ったが、麻薬の売人などに一端の常識や商業倫理を求める方がどうかしていると考え直す。

 そんな不遜な売人に対して主は悪態を吐くながらも十回分を購入して百アウルム札二枚を差し出した。

 金を受け取ろうと不用心に手を出した売人の手首を握り、空いた拳をみぞおちに叩きこむと、潰れたカエルのような悲鳴を上げて売人は膝を着く。


「な、なにを―――」


 蹲り戸惑いの声をあげる売人を無視して手首を極めながら後ろに回り込んだ主は懐から銃を取り出すと、そのまま後頭部へと銃口を突き付けた。その金属特有の冷たさが売人に強烈な恐怖を抱かせカチカチと歯を鳴らす。


「欲しいのはクスリじゃなくて誰から手に入れたかだ。素直に話してくれたら撃つのは無しにしてやるぞ」


「お、お前が売人狩りか!?し、しらない!俺はリンさんから仕入れただけで、な、何も知らないんだ!!」


「じゃあ、そのリンとやらがどこにいるのか教えろ」


「お前が探してるリンってのは俺の事だぜ。ようやく会えたな売人狩り」


 主の居るガス灯から道を挟んだ反対側の建物の中から出て来た男が、まるで友人に語り掛けるように親し気に話しかけてくる。四日目にしてようやく進展が見込めそうである。

 ガス灯の下に居る主には暗闇に隠れる男の顔は見えないが足は見えているので銃口を向けるのに支障が無い。そして向こうからはこちらの動きは筒抜けであるのに、何ら焦る様子は見えない。それどころか笑い声さえ聞こえてくる。同時に周囲から複数の足音を補足する。数はリーダーを含めて六人。


「囲まれたか」


「その通り。お前が派手に動いてたから手下の一人を使って罠を張らせてもらったぜ。迂闊だったな」


 複数人で囲いを作った事でリンと名乗る男は勝ち誇り、それに追従するように他の男達も品の無い笑い声を上げる。しかし我も主もこの程度の状況は想定済みであり未だ冷静さは保っている。

 さらに主はこちらの不利を認めて銃をホルダーに納めて無抵抗を装う。ただし売人は盾として使うので開放はしないが、反抗する意思を示さなかったのに気を良くしたリンは手下に手を出すなと告げる。


「で、お前は誰に雇われた?素直に喋れば腕と足を一本ずつで勘弁してやるぞ」


「残念ながら自分の仕事は自分で決める自営業者だ」


「ほーう。ならさしずめクスリを作ってる所のボスに掛かった賞金目当てのハンターって所か」


「正確にはそいつと護衛のアーティファクト使いの懸賞金目的だ。実はあんたがその一人じゃないのか?」


 主も本気でそのように思っているわけでは無いが、我の捕食結界は発動に時間が掛かる点を鑑みて確証は欲しい。それ故のさぐり。

 そして相対するリンはそんな高価で便利な物を持っていたら、ケチな売人などやっていないと至極真っ当な答えを返してくれた。当然と言えば当然の返答であろう。

 アーティファクトは古代の遺跡などから偶然発掘される極めて希少な産物である。かつて我が製造された時代においては単なる便利道具でしかなくとも、文明の退行した現在においては劣化品すら作り出せないオーパーツである。そこに値段を付けようものなら、それこそ照明器具や製氷機のような日用品でさえ一個十万アウルムは下らない。戦闘に耐えうる物ならばその五倍でも安いぐらいだ。

 しかしこれで確証は得られた。本来の目的である賞金首ではなかったが、売人のリーダー格ならば他の下っ端よりは情報を持っていると思って良い。ならば後は主の命令を待つだけだった。


「いい加減俺の手下を放しな。さっきも言ったが暴れなきゃ殺しはしねーよ。寧ろ商売敵を大勢再起不能にしてくれたおかげでこの辺りは俺達のシマになった礼ってことで軽く痛めつけて解放してやるよ」


「それはありがたい配慮だが、勝ち誇るにはまだ早い。―――リムっ!権能再現・選択≪サラマンドラの尻尾≫目標は全員の足元だ!!」


 主の命により記録領域内を検索―――該当例あり。火炎操作の権能を起動―――目標設定―――対象生命六体下部へ摂氏六百度の火炎を放射。

 ―――指定座標への到達精度は67%。対象二か所には軌道にズレが発生。残る一ヵ所は目標に到達したが対象は事前に移動。追撃の必要性が認められる。しかしながら二射目の命令は入力されず。現状待機を選択。

 ―――――やはり下級ツールの権能ではこの程度が関の山か。摂氏六百度から二千度の炎を指定座標へ放射するごく単純な性能。鉄を優に溶かす火力は魅力的だが、追尾機能すらない単純放射では生物への威嚇にはなっても精確性に乏しいのが使い難い。だが、後背部からの奇襲ならば包囲を崩すのは容易である。おそらく主ならば何事も使い方次第と評価を下すに違いない。

 あらかじめ我を主より離れた場所に待機させ、背後からの奇襲によって攪乱する。ごくごく単純な策であるが、それ故に的確かつ効率的と言える。

 事実、包囲した六人は突然の発火に右往左往して冷静な対応など取れる様子ではない。三人は炎が直接下半身に燃え移り、転げまわってどうにか火を消そうと必死、さらに二人は炎の軌道がズレて無傷でも至近距離で燃え広がる炎から逃げ回る。最後の一人、リンはとっさの判断で前に飛んで炎を躱すが、正面に拳銃を構えて佇む主に気付いてそのまま動けない。形成は完全に逆転した。


「後ろからアーティファクトがお前達を狙っている。今のは威嚇だが、二度目はそこまで甘くないぞ!逃げるなら今のうちにするんだな」


 突然の発火とアーティファクトという単語で恐怖に駆られたリン以外の五人は一目散にこの場から逃げ出し、残るは地べたに這いつくばるリンと未だ自由を奪われて盾扱いの売人の二人。仲間意識の欠片も無く、我先にと逃げ出す様は実に浅ましい事この上無い。他者を食い物にするクスリの売人など、やはり唾棄すべき人種である。


「お、お前一人じゃなかったのかよ。俺の考えを読んでたのか」


「当然だ。お前ら売人だって阿呆じゃない。わざと罠を張って囲んで棒で叩くぐらいはすると思ってた。で、俺の欲しい物ぐらい罠を張るアンタなら分かるだろ?教えてくれたら今日は見逃してやる」


「ほ、本当だな?本当に見逃してくれるんだな?―――ーひ、疑って悪かったよ!俺はいつも工業区のトリノ紡績工場って所でクスリを受け取ってる!どこで作ってるとか、護衛とかは一切知らねえ!本当だ、誓って嘘は言わねえ!!」


 疑うリンの顔の右側面を弾丸が通過した途端に素直になる。あまり多用すべきではないが暴力は人を素直にする不変の理である。

 精々が売人の纏め役ではこの程度しか情報を持っていなくとも、ここ数日で一番の成果には違いない。多少なりとも進展があった事は喜ばしい。

 ところでこの男は誓ってとは言うが、いったい何に誓っているのだろうか。信心深ければ『トール教』のトール神に誓うのだろうが、どう見てもこのような男が教会に赴き祈りを捧げるようにも、教義を遵守するようにも思えない。口から出まかせにも程があるが、この男を嬲った所で益も無いので早々に立ち去るように、主がもう一発至近弾を喰らわせてから追い散らした。

 そして残る一人は、今なお主が自由を奪い盾としている若い売人唯一人。盾として価値が無くなり彼を自由にする。


「へへへ、あんた強い―――ひい!」


 このまま黙って解放してくれるものと思って気が抜けた売人の額に銃を突きつける。そうそう世の中上手く行くと思っては困るぞ。


「俺は賞金首以外はなるべく無駄な殺しはしないように心掛けている。だが、犯罪者は心底嫌いだ。だから麻薬の売人なんて辞めて堅気の仕事を見つけろ。そう誓えば今回は見逃してやる」


「わ、分かった!これからは真っ当な仕事見つけて汗水垂らして金を稼ぐ!だから銃を向けないでくれ!!」


「俺はお前の顔と言葉を覚えている。いいな、約束だぞ」


 力いっぱい縦に首を振ったのを確認した主は銃を降ろして、行けと短く告げる。売人はすぐさま駆け出し、少し離れた路地で一度こちらを振り返ってから、主の目をじっと見てから今度は一度も振り返らずに闇夜に消えて行った。


「些か甘い対応にも思えますが」


「あれは人殺しが出来るほど度胸は無いチンピラだ。俺と違ってまだやり直しが効く。さて、せっかく保管場所が分かったんだ。早速調べに行くぞ」


 ほんの僅かだが羨望の籠った視線を男が逃げて行った方向へと向けるが、すぐに向き直り残り火に背を向けて反対方向へ主は歩き始めた。感傷に浸る時間を主は好まなかった。


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