第5話 蛇の道は蛇
アッサムシティは百万人を超える大都市である。となればより効率的に都市を運用するために商業や行政などは一纏めにして区画を分けた方が無駄は少ない。もちろん居住区や工業区なども分けられており、賞金稼ぎギルドは行政区の外れにある。
麻薬組織の護衛排除という仕事を受け、ギルドを後にした我々はアッサムシティの商業区へと足を運んでいる。当然ここに麻薬組織の本拠地があるわけではなく、主と知己のある人物から情報を得るためだった。
商業区の中心にそびえ立つ、ひときわ古い五階建てのビルに足を踏み入れ受付に要件を伝え、しばしの間待っていると、目的の人物がエレベーターから降りて来た。
「やっほーミューズちゃん。会いに来てくれてお姉さん嬉しいっ!今日はどんな厄介事が知りたいの?あ、もしかしてデートのお誘いとか?でもでも、お姉さんまだお仕事があるから、残念だけどまた今度にしてね」
小柄な体躯を精一杯大きく見せるように両手を広げて栗色の髪を揺らし、歓迎の姿勢を示す様には哀愁を禁じ得ない。そして主に意味ありげな視線を向けているが、子供のような身体つきとそれに準ずるような振る舞いだったので、主以外の周囲の面々からは居た堪れない視線を向けられている。実は彼女はこれでも22歳である。ブラウスとスラックスを身に着けているが、どうにも十代半ばの女学生が背伸びをして着ているようでチグハグな印象を受ける。どう見ても主の方が年上に見えるだろう。
「こんにちはエレナさん。俺も貴女の事は美人だと思ってるけど今日は違うよ。それでだけど要件はいつもの通り情報の売ってください」
「もー。こういう時は嘘でもデートしてくださいって言わないと女の子は悲しいんだからね。いつも思うけどミューズちゃんはぶっきらぼうすぎるのよ」
相も変わらずこの女性は騒がしい。新聞記者のエレナ――――アッサムシティで最も古く、それなりに権威ある新聞社アッサムジャーナル一の敏腕美人記者とは本人の談ではあるが、あくまでも自称であって他者の評価と同じではないのが酷く滑稽に思えてくる。尤も美人なのは事実だが、敏腕と言うには腕前が二枚は足りないと見てよいだろう。しかしながら主の数少ない情報源であるため、それなりに重用しているのは事実。ちなみに勝手に憤るのは半分以上演技であり、相手を怒らせるなり呆れさせるなりして自らの腹の内を読ませないように振る舞っているだけである。同時にこちらのペースを崩して主導権を明け渡さないようにとの意味合いも含まれている。主もそれを分かっているので話半分で聞き流しつつ、同じ階の喫茶店で商談をしたいと彼女を招いた。
二人ともコーヒーを頼み、待っている間は軽い雑談に興じている。主はお喋りを楽しむ性格ではないが、向こうは反対に大のお喋り好きである。
「それでね、貴方の記事すっごく評判が良いのよ。この前の『放火魔ミッキー』の記事も他の新聞社に先んじて載せたから、私も編集長に褒められちゃったの。さっすが、悪の犯罪者を許さぬ『クライムハンター』のミューズちゃんよね」
「『皆殺しのミューズ』よりは聞こえは良い二つ名だよ。やっぱりエレナさんはセンスが良い」
「わーい、ミューズちゃんに褒められちゃった。だからお姉さん、ミューズちゃんの事大好きだよ」
子供のようにはしゃぐエレナを見て主も笑みを見せる。半分は演技なのだが、もう半分は本心でもあるのを知っているからこそ主も笑っていられる。
そして注文したコーヒーが運ばれてきたので雑談を切り上げて本題へと移る。
「それで、今日は何が知りたいの。この前の『放火魔』みたいなアーティファクト使いの賞金首?お姉さんの情報は役に立ったでしょ」
「勿論こうしてまた会いに来るぐらいには役に立ったよ。それで今回は個人じゃなくて、スラム街に最近出て来た麻薬とそれを捌く組織の事を知りたい」
苦いコーヒーをさも美味そうに飲むエレナの動きが止まり、視線だけは主へと突き刺す。明らかに危険な仕事だと彼女なりに気付いている。
エレナは新聞記者としてはまだまだである。だからこそ手柄を立てるために好んで危険の中に飛び込む。主と知己を得たのもそんな危険の真っただ中で命を失いかけた時だった。以来、このように情報を集めては主へと渡してくれる。もちろんその都度対価は払うし、彼女の記事に幾ばくかの協力はしていた。
「私は貴方に命を助けてもらったから色々と協力するし、良い関係を続けていきたいと思ってる。だからこそ言わせてね。
自殺願望者に協力なんかしないから。それも私より年下でお気に入りの子なら、なおさらよ」
先ほどのおちゃらけた振る舞いはどこにいったのやら。声は数オクターブ低くなり、目は鋭さを増して、奥の瞳には明らかに冷気が宿る。我のような人ではない物でも分かる程度に怒りを露わにしていた。この反応はやむを得まい。彼女にとって命の恩人であり、善きビジネスパートナーでもあり、色々と縁を結んだ相手が死地へと赴くのを喜ぶはずが無い。
「だからここに教えてもらいに来た。俺一人に手に負えない件案だと分かれば手を引くよ。けど、出来るなら仕事はやり遂げたいとも思ってる」
「―――分かった、ミューズちゃんは一度言い出したらきかない子なのはお姉さんも知ってるわ。出来る限り詳しく教えてあげる」
やれやれと首を横に振って理解を示す。より正確に言うならば、理解と言うよりは言っても聞かない子供を相手にする諦めの境地も半分程度は含まれているに違いない。外見は主より年下に見えても、内面はずっと成熟しているのは女性の特権なのかもしれない。
エレナがまず切り出したのは麻薬組織の名前だった。犯罪組織にしては大層な≪天使の指先≫なる、非常にセンスに溢れた詩的な名を持っていた。大陸全土に広まる『トール教』の聖職者が聞いたら激怒する事必至である。そして彼等の取り扱う商品もまたネーミングセンスに溢れており≪天使の導き≫と呼ばれているのだとか。この組織の長は随分とロマンチストなのだろうが、主にとってはそれが犯罪組織というだけで唾棄に値する。
「それって使い続けてたら本当に天使の世話になるからそんな名前なのかな?」
「案外そうかもしれないわね。スラムにはその薬を使ってた中毒者がゴロゴロ死体になってるみたいよ。私は死体も薬も現物を見た事無いけど、死体を処分した人の話では頭が破裂してたりお腹が中から裂けてるのも結構あったみたい」
―――――妙な話である。麻薬に限らず商売と言うものは顧客が居なければ取引が成り立たない。特に定期的に取引してくれる相手を大事にして長く売買してくれる相手を囲い込むのが常套手段である。しかしそのように顧客を殺してしまい、あまつさえ悪評を得てしまっては折角の買い手が逃げてしまうではないか。麻薬と言うものはあくまで嗜好品であり娯楽の類。使用者の命を奪うような商品など誰も欲しがりはしないだろう。にも拘らず商売が成り立っているのは理解が及ばない。
主もそれをエレナに指摘すると少々口籠る。ふむ、彼女が言葉を濁すとなると、おそらく噂よりマシ程度の確証ぐらいしか無い情報という事だろう。
あまり不確かな情報は余計な先入観が入ってしまって真実から遠ざかると主は考えているので、なるべくなら耳に入れないようにしている。それはそれなりに深い付き合いのエレナも知っているので判断しにくいと見える。だが、それでは彼女も気分がすっきりしない。抱え込むぐらいならば、思い切って話すべきではないだろうか。故に我が少々手を貸してやらねばなるまい。
「あー主よ。一応聞くだけ聞いておいてはどうだろうか?信じるか信じないかは主の自由だが、敏腕記者を自称するエレナ殿が単なる噂を主に話す事は無いのは重々承知のはず。ならば最終的な判断は主が行うべきだと差し出がましいが忠言させてもらいたい」
「―――エレナさん、話してもらえる?」
「あ、うん。えっと、ただの噂でしかないんだけど、その薬の常用者の何人かがある日突然、何もない所から火を出したり、石や土を降らせたりしたんだって。けどそんなことアーティファクトでもないと無理な話だし、その常用者もすぐに頭が破裂して死んだみたいだから、勘違いとか大げさに話を広めて小遣いを稼ごうってだけだと思う。ゴメンねミューズちゃん、こんな話聞いても意味無いよね」
確かに彼女が言いよどむのも無理はない。そんな現象は何かしらのタネが無ければ出来ないだろうし、よしんば本当にアーティファクトを用いて引き起こしたとしても、そんな麻薬常用者が希少かつ高価な道具を手にしているとは思えない。ほぼガセネタとして一笑に付すのは当然と言えよう。しかしながら、そんな信用ならない話に彼女が引っ掛かりを覚えて主に話すか迷う行為そのものが、主には違和感を抱かずにはいられないのであろう。
我にはまるで理解し得ない感覚は言うなれば『勘』という物であり、生物が生来保有する、積み重なった経験から導き出される無意識化での分析によるものだと結論付けられている。こうした説明しようのない勘はそうそう馬鹿にすべきものではないのだが、現状では必要な情報とは言えない為、主も気に留める程度には覚えておくとだけエレナに伝えた。
さらに麻薬組織のアジトを尋ねるものの、流石にそこまでは知らないと申し訳なさそうに言われてしまう。だが、売人の縄張りぐらいは知っているらしい。
「薬の売人なんかは大抵夜にスラム街で取引してるみたいね。そこから売ってるのを締め上げれば聞き出せるかもしれないわよ。そこは私と同じように地道に調べるしかないかな。こんなところだけど役に立てた?」
「そうだね色々助かった、教えてくれてありがとう。報酬は三百アウルムぐらいで良い?」
新聞記者という職業は時に金をばら撒いて情報を得る事もあり、それこそ一月分の給料を必要経費で全て使い果たす事もあるらしく、このように個人に情報を渡して補填する事も公然の秘密として認められていた。そのため『放火魔』の賞金の四万アウルムに比べれば随分と安いように思えるが、彼女にとっては貴重な収入でもあった。命を賭けて大金を得るバウンティハンターと、自分の稼ぎをばら撒いてでも手柄を欲する新聞記者。どちらも堅実とは言い難い職業故の相互扶助による協力関係と言えよう。
エレナも主の提示した額に不満は感じておらず、二つ返事で了承して取引は無事に終わった。
コーヒーも飲み終えて新聞社から引き上げようとした折、去り際に心配したエレナから呼び止められる。
「私はミューズちゃんに大きなこと言える立場じゃないけど、賞金稼ぎが命懸けの仕事でも無理だけはしちゃダメだからね。貴方の死亡記事なんか書きたくないから、無理しないってお姉さんと約束して」
「勿論俺は死ぬつもりなんか無いよ。これからも犯罪者を狩り続けるからには命は大事にする。それにエレナさんと一緒にまたコーヒー飲みたいし、ごはんも一緒に食べよう。約束する」
その言葉を聞いてもエレナの顔は曇ったままである。なぜなら主は彼女の顔を見て約束していない。言葉通り極力命を落とさないように立ち回る気でいるが、それでも命のやり取りに絶対はない。それが分かっているからこそ二人ともこの約束がどれほど効果を発揮するか理解している。ほんの些細な失敗が全てを奪い去り、残された者へ悲しみを運んで行くのを誰よりも当人達が知っていた。
いささか後ろ髪引かれる思いであったが、当座の情報を得た主とそれに付き従う我は商業区を後にし、再び闇夜の戦場へと舞い戻る。休息の後、目指すは巨大都市アッサムシティの暗部、落伍者の吹き溜まり、犯罪者の巣窟、スラム街だった。
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