第3話 貴い日常
賞金首の死体をギルドに引き渡してから数時間後。主は自宅で眠りに就いていた。
自宅は月五百アウルムの賃貸契約のアパートメントである。シティの中でも治安の良い区画にあるので狭いが若干家賃が高い。危険な賞金稼ぎの高額報酬ならばこのような手狭な部屋を借りずとも、一軒家を借り受けても経済的負担はさほど無いはずだが、物欲に乏しい主は気にせず治安と利便性を優先させていた。
現在我は壁際の本棚に収納されている。アーティファクトとして製造されてはいるが、書籍の形態をしているため、このように本として扱われていると心地良さを覚える。遥かな昔、我を生み出した創造主が何を考えてこのような機能を付与したのか、数千年もの昔に土へと還ってしまっては最早聞き出す事は叶わない。そして明らかに不要と思われる機構を取り付けるのは非合理的と言わざるを得ない。
この時代は我が製造された時代と比較しても、随分と奇妙な文明を築いていると言える。蒸気機関と呼ばれる火と水を動力として全てを動かして利便性を高めているが、相当に非効率である。一部は蒸気を原動力とした電気機関を用いているが、まだまだ普及しているとは言い難い。
かつて人はこの惑星全てを手中に収め、天へと昇り、数多の星へと旅立った。そこで多くの星を開拓して、自らの故郷へと作り変えて絶対者の如く振る舞った。今の人がアーティファクトと呼ぶ遺物もそんな優れた文明の残滓でしかないが、この時代においては比肩する物の無い超常の道具と化している。それらを各地の遺跡より一つでも発掘すれば、数年は遊んで暮らせる額になる。それで我の価値が如何ほどの物となるかも理解していただけるだろう。
そのような途方もない価値を持つ過去の遺産を手にした人類が皆全て善性の人間であるなどとは露程も思っていない。何時の時代も人間は欲深く、不道徳に走る者は後を絶たなかった。それは優れた道具を生み出した高い文明を築いた我の時代でも変わらない。昨夜の卑劣漢のような男もさして珍しくは無かった。実に嘆かわしい事である。
その点、今の主ミューズは善良な人間と言えるだろう。悪を許さぬ義心に篤い青年。本人は否定したが、義士好漢と言うのはかの者の事を指すのではないかと我は思わずにはいられない。単に道徳心と善性に富んだ者ならば幾らでも居るが、それだけではあれほど苛烈に悪を滅ぼす気概は生まれない。所詮道具に過ぎない我には多くを語らぬが、いずれ過去に人格形成に大きく影響を受けた機会があったのではないかと推測している。かの者を主と仰ぎ既に一年。しかしながら我は未だ多くを知らぬ。いずれは今少し彼のより深い根源を観覧する機会が得られる事を密かに期待していた。
物思いに耽っていたがベッドに動きがあったので意識を向けると、主が大きな欠伸をして体を起こしていた。寝癖でくすんだブロンドの髪が逆立ち、まるでハリネズミのようである。
「―――あーよく寝た。リム、今何時だ?」
「おはよう我が主よ。現在は午前十時を過ぎたところだ。目覚めはどうかね、声の調子からそれなりに疲れは取れたように思えるが?」
「寝ていたのは五時間ほどか。調子はまあ良い方だ。ただ、腹が減ったよ」
主が空腹を訴えるのは無理なからぬ事である。戦いを終えて部屋に戻ってから水だけを飲んでそのまま寝入ってしまった。半日近く何も栄養補給をしていなければ身体が食物を欲するのは当然である。しかしながらこの部屋には食べ物の類は殆ど無い。いや、有るには有るが、どちらかと言えば缶詰のような保存食の類ばかりで生鮮食品は何も置いていない。そもそも調理器具など湯を沸かすヤカンと小さな鍋しか置いていないので簡単な料理すら作れない有様である。どうやら主は生来の料理下手なせいで、食事は専ら外食か出来合いの料理を買って部屋で食べる事しかしない。それでも生きていけるのは都市部に住んでおり、金銭的に恵まれているおかげである。
「ではいつもの店に食べに行くかね。それに主の顔を見せねばならぬ者が居るだろう?」
我の提案に主は無言で洗面所に向かう。おやおや、あれは照れているのだろうな。主も年相応の感情を持ち合わせているのは善き事である。
身支度を整えた主と共に街を歩くと、往来の群衆は先を争い主に道を譲っている。しかしながらそれは主に敬服して道を譲っているわけでは無い。彼等は我と我を従える主を恐れて関わり合いになりたくないので避けているに過ぎない。我は今、主の腰のホルスターに収まっていない。主の傍で蝶が羽ばたくようにページを動かし中空に浮き、それを見た民衆がアーティファクトと気付いて恐れをなしていた。まあ、人知を超えた力を持つ我のような道具が自由に動き回っていてはさぞや人間は居心地が悪かろう。生きた心地しないとはこの事だ。毎度の事ながら実の所、主は性格が悪いのではと思わずにはいられない。
民衆を脅かしながらも主はとある店の扉の前に立つ。扉にはクローズの札が掛かっていたが構わず扉を開けて中に入る。十を超えるテーブルに倍以上の椅子が規則的に並んだ、どこにでもある飲食店である。現在は昼のランチの仕込みの為に店員が忙しなく動き回っていたが、誰か入って来たことに気付いて視線を向ける。
「まだ開店前――――って、なんだミューズじゃない。何よ、また朝寝坊して朝食を食べなかったの?」
「おはようジズ。寝坊っていうか寝たのが夜明け前なんだ。これでも早起きしたぐらいさ」
僅かに黒髪のはみ出た三角頭巾の少女が呆れたように主の不摂生な生活を嗜めるがさほど効果の程は見込めない。このような掛け合いはいつもの事であり、他の店員も相手が主と分かると、微笑を浮かべて成り行きを見守っている。
彼女はジズ。主とは幼少期からの付き合いのある、いわゆる幼馴染と言える間柄の女性である。そしてこの飲食店『プリマ・クラッセ』の店主の娘として毎日丹精込めて主の食事を作っていた。
「まったく、お天道様と共に起きないと目が腐るわよ。リムもご主人様の自堕落な生活に小言に一つぐらい言ってあげなさい」
「残念ですが我が主は自堕落な生活とは無縁です。そのような言葉は碌に働きもせずに惰眠と食を貪る者にこそ相応しいと申し上げさせていただきます」
我の言葉に、口の減らない本ね、と笑いながら主に着席を促す様は、不思議と他者に好感を抱かせる。明朗快活とは彼女の事を指すと以前主が評していたが、まさしくその通りである。
我の『リム』という名は彼女が付けた愛称である。本来の名である『グリモワールの王』では長すぎて呼びにくいとの事で、勝手に命名されてしまったが、主を含めて全員がいつしかその名で呼ぶようになった。そういう意味では彼女が我の第二の創造主と言えるかもしれない。
席に着いた主に注文を促すと、主は「いつもの」と一言だけで済ませる。双方相手が何を話すか分かっていながら、無駄な質問を繰り返すこの光景を幾度となく傍で見ているが正直な所、必要無い気がする。だが、無駄を楽しむのも人間と特権ではなかろうか、と最近は学習した。
しばらく無言で待っているとジズが湯気の立つトレイを抱えて来た。それを主の前に置いて対面の席に着く。
「他の方は忙しそうにしていますが仕事は良いのですかジズ?」
「今日のシチューの出来を聞きたいから良いわよ。さあ、アンタの好きな特製タンシチューよ。お替りもあるから好きなだけ食べて」
湯気の立つ褐色のシチューを前に主は目を輝かせる。何時間も煮込んで溶けかかった根菜と牛の舌肉に特製のソースの香りが混ざり合って空になった胃を刺激し唾液を多量に分泌する。慌てずスプーンで舌肉を手繰り寄せるとトロトロになった肉は簡単にほぐれてしまう。長時間丁寧に煮込んだ証拠である。それを一口、また一口と味わうと、感嘆の声が上がる。
「美味い。相変わらずここのシチューは良い味をしてる。これを食べてるとホッとするよ」
「当然でしょ!父さんの料理はシティで一番なんだから。―――で、昨日も仕事だったの?」
舌休めに付け合わせのサラダを食べていた主の手が止まる。毎回仕事の話になると主は態度が余所余所しくなる。それに向かいに座るジズと視線が合わせ辛くなるなので眼があちこちに泳いでいた。これでは悪戯が発覚して親に叱られてるのを避ける幼子とさして変わらない。この時ばかりは我が主ながら情けなさを覚えてしまう。
「何度も言ってるけど、アンタに荒事なんて似合わないわよ。あたしは仕事を止めろなんて言わないけど、ストレス溜まる仕事を続けてたら辛いだけよ」
「俺の事は俺が一番知ってるよ。辛いのも確かだ。けど、今更辞めるわけにはいかないし、誰かがやらないと犠牲になる人が増えていく。それはジズだって分かってるじゃないか」
この言葉以降二人は黙り込み、咀嚼音と開店前の準備に追われる店員の声だけが場を支配していた。
結局主がシチューの皿を空にするまでは二人とも黙ったままだったが、ジズがシチューのお替りをどうするか尋ねたので、美味しいからもう一杯と素直に告げると、嬉しそうに新しいシチューを用意してくれた。
二杯目のシチューを食べながらジズがこれからの予定を尋ねたので、とりあえず今日は休むと伝えた。
「それに銃の整備もしないといけないから、ルースの所に顔を出すよ」
ルースと言うのは主の幼馴染でありジズの兄でもある。彼には銃の整備を任せており、定期的に工房に顔を出していた。彼女は主の言葉に残念そうな顔を見せるがそれはほんの一瞬であり、主は意識をパンに向けていたので気付いていない。この所為で店員達から朴念仁扱いされているのを主はまったく気付いていなかった。
腹を満たした主は代金を置いて、また夜に来ると告げて店を出た。ジズはそんな主に向かって小さく「馬鹿」と罵倒して、いつまでも背中を見送った。それに気付かぬ主の鈍感さにはさしもの我も些かの呆れを感じていた。
幼馴染のジズの所で腹を満たした主はそのままの足で馴染みの銃工房を訪ねた。看板には躍動感溢れた銃痕穴開き人形が描かれている。銃工房『ダンシング・ドール』のマスコットである。正直、店主の美的センスを疑わねばならない。
中は所狭しと多種多様な銃器が鎮座し、客人を歓迎していた。ショーケースにはリボルバー拳銃が、壁際の棚には長柄のライフル銃やショットガンが鎖付きで立て掛けられている。
「おや、誰かと思ったらミューズかい。いらっしゃい、今日は銃の整備に来たのかい?」
主に声を掛けたのはこの店の女主人ワーナーである。主の狐色に近い色の濃い金髪とは少々異なり、色素の薄いアッシュブロンドの髪を後ろで束ねた齢50の女性は温かな笑みを向けて歓迎した。職人は基本的に男性社会だが、彼女は幼い頃よりガンスミスを目指して自らの工房を持つまでに至った出来人である。少々銃に対して偏執的な拘りを見せる部分が時折顔を出す事もあるが、おおよそ信頼出来る人格者ではあった。
主は彼女に挨拶し返して、その通りだと答える。銃を購入したのもこの工房であり、定期的に整備を頼んでいるのもここ。常連客と言って良かった。
「ルース!アンタの客だよ。相手してやりな」
「あいよー!お待たせしま――――ってなんだよ、ミューズじゃねえか。愛想笑いが無駄になったぜ」
「おい、俺は客でもあるんだぞ。人を見て態度変えるなよ。せっかく見習い上がりに仕事を持ってきてやったんだから感謝しろよ」
「るせー。お前にそんなお情け掛けられるほど俺は落ちぶれちゃいねーよ。こう見えても固定客が何人も付いてる売れっ子なんだぜ」
ワーナーに呼ばれて奥からにこやかに出て来た黒髪の青年は、主の顔を見るなりしかめっ面で悪態をついた。
彼はルース。この銃工房でガンスミスを務める主の幼馴染であり、ジズの兄でもある。そして飯屋『プリマ・クラッセ』の跡取りであったにもかかわらず、料理人になるのが嫌で勘当同然に技師の門を潜った反骨者だった。しかし主とは継続して悪友と呼べる間柄を維持し続けており、事あるたびに罵り合っていても不思議と険悪な中にはなっていない。仲が良いのならばもう少し友人らしくすればいいのだが、主も主でへそ曲がりの性根をしているので、このように互いに罵倒し合っている。人とは本当によく分からない生き物である。
「ったく、口の減らねー客だぜ。まあいいや、状態を見たいからさっさと銃を出しな」
罵り合いに飽きたのか、さっさと仕事を済ませたかったルースは主から銃を受け取ると、先程とは別人のように鋭い目つきで丹念に拳銃を調べている。視線だけでなく指で各所に触れて部品の耐久に問題が無いか、作動不良が起きないか丹念に調べ上げた。
「相変わらず丁寧に扱ってるのは褒めてやるが、少しシリンダーにガタが来てるな。けど今回は整備だけで済むから、明日の昼までには仕上げておいてやるよ。次回は要交換だぞ」
荒い扱いをしていれば遠慮なく駄目出ししてやれたのに、と面白くなさそうに銃を預かる。つまるところ物の扱いが上手いと褒められたようなものであり、心なしか嬉しそうな主は余計な茶々を入れたくなったようだ。
「本職にそう言ってもらえるとは、俺も技師の才能があるのかな?」
「チョーシに乗ってんじゃねーよ馬鹿!お前はお前のやりたい事やってろ。―――バウンティハンター、まだ続けたいんだろ?」
「…まあ、な。お前が料理人の道を選ばなかったみたいに、俺だって自分の意思で犯罪者を狩る事を選んだ。それの決意は変わってない」
「ふん。じゃあ大事な道具は俺がきっちり仕上げておいてやるから明日の昼に顔出せよ」
ルースは用は済んだとばかりに主を追い払って奥へと引っ込んでしまった。馴染み客に対しての態度ではないが、ここに銃を預けると毎回あのような態度なので、店主のワーナーの方が申し訳なさそうに後で叱りつけておくと謝罪するが、主はさして気に留めていない。
明日また来ると言い残し、主は店を出ていった。
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