第26話 女童


小萩もその気配を感じたのか、今では様子を窺って身を固くしている。

明け方、あれだけほの暗かったのが、嘘のように明るい。


これでは御簾を上げれば、すぐに入れ替わりを悟られてしまうだろう。


——が、牛車が停まった後、

ありがたいことに、アヤメはこちらを覗こうとしなかった。



「私は取り次ぎの準備のため、ここを離れます。使いの者が来るまでなかにいて下さい」



慌ただしくそう告げた後、

アヤメは本当に離れたようだった。


窓を覗くと、

どこかの屋敷のなかのようだった。



築地塀に隔てられてはいるが、大通りの喧騒が聞こえてくる。

今更になって、大胆なことをしている実感が湧いてくるのだから不思議だった。


小萩の方も同じ気持ちらしく、不安のためか顔を青くしている。


意気込んではいても、朔より年下の少女に過ぎないのだ。


付き合わせてしまったことを少しだけ悔いていると、

簾の外から高い声がした。



「おひいさまは、いらっしゃいますか」



聞きなれない、澄んだ声音だった。

小萩は、朔を窺うように一瞬目配せした。


朔は頷いた。

こういう時は、侍女が答えるべきところなのだろう。

朔は、一拍置いた後に言った。



「あなたは誰ですか」


「この屋敷に仕える女童めのわらわです。おひいさまをお連れするように言われましたので」



朔はもう一度小萩の方を見ると、ほんの少しだけ、簾を引き上げた。


そこにいるのは、薄紅色のあこめを着た少女ひとりだった。



朔を姫君の侍女だと見て取ったのか、朔を認めると、女童は安堵したようだった。



「狭い曹司ぞうしですが、どうぞおいでください」


「アヤメ……狩衣を着た従者は、どこへ行ったのですか」


その問いかけに、

女童は心持ち首を傾げた。


多分何も知らされていないのだろう。

だが、今ここにアヤメの姿がないことは幸いだった。

朔は、奥にいる小萩に耳打ちした。



「アヤメはいないみたい。立つことはできそう?」



ずっと座っていたせいで、朔も足がすっかり痺れていたのだ。

小萩は、慣れないうちきを体に重く感じているだろう。

でも今は姫君なのだから、動作は寧ろ遅い方がよかった。



朔が踏み台を使って下に降りると、裾を引きずりながら、なんとか小萩も降りることができた。



「どうぞ、こちらへ」



女童に先導されるまま渡殿をつたっていくと、

ほどなく庭に面した部屋に通された。


大炊君の屋敷ほど広くないが、隅には屏風が置かれ、風通しよく御簾は巻き上げられている。



大炊君の屋敷はどこか閉塞感があったのに比べ、この曹司は、狭くても外を見渡せる清々しさがあった。



「ここはどなたのお屋敷なのですか」



アヤメに何も聞かされていないため、勝手の分からない朔は女童に尋ねた。




「昔、宮仕えをされていた方のお屋敷です。その方はおひいさまに会いたがっています。長旅でお疲れだと思いますが、会ってもらえませんか」



朔は、俯いたまま不安げにしている小萩をそっと見る。

小萩も、いつもと違う状況に戸惑っているのだろう。



始めたのは、朔だ。

朔は、思い切って口にした。



「姫君は、慣れない旅でとてもお疲れです。私でよければ、その方とお会いします。それではいけませんか」



女童は軽く頷いた。



「それではそう伝えてみますので、ここでお待ち下さい」




女童が行ってしまうと、

先に大きくため息をついたのは小萩の方だった。




「私、もう朔のふり限界かも。この袿が重くて仕方なくて。お姫さまも、けっこう大変ね。私は動きまわって働いている方が、性に合ってるみたい」




何も話せないのも精神的にこたえるのだろう。

小萩は、一気にそう言って天井をあおぐ。


そうしていると、無理をしているのがはたから見ても分かる態度だった。

朔は言った。



「ここの主人の人の話を聞いてみる。たぶん、アヤメはすぐには戻ってこないような気がするの。ここが安全だから、アヤメもこの場をはなれたんだと思う。話が終わったら、着物を取り替えるね」



もう少し『小萩』のままでいたかったが、どのみちアヤメが帰ってこれば、この変装も何の意味もない。



少しのあいだあざむければ、何とかなると思っていた考えが甘かったのだ。


でもここに、小萩がいてくれてよかった。


そういう思いで見返すと、小萩は少し申し訳なさそうだった。



「もっとこのままでいられたらと思うけど、慣れないことはやっぱりするものじゃないって分かった。いずれお互いボロがでてきちゃうし。

ここの主人っていう人、もしよければ私が会ってみるけど、ひとりで大丈夫?」



小萩も心配しているのだろう。

朔は首を振った。



「宮仕えをしていた人なら、もしかしたら小さい頃の私を知っている人かもしれない。そんな予感がするの。だから侍女のふりをしていた方が、色んな話を聞けるような気がして」



そんな話のやりとりをしていると、

足音がして、先ほどの女童が簀子縁を通してやって来た。




「お方さまが会われると言っています。ついてきてくれますか」



女童は、朔に対して言った。

朔は小萩に目配せすると、頷いて女童の後に続いていった。


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