第13話 対の部屋で
対する大炊君は、かたわらに置かれた脇息に軽く腕をのせると、
先ほどまでいたアヤメの姿は、もう消えている。
人払いするよう命じられたのか、部屋のなかは夜と同じ静寂に包まれていた。
「さて、何から話し始めましょうか」
それは、年齢を重ねた人特有の余裕が含まれた口調だった。
「私の母さまは、どうしてここに来るよう約束をしたのですか。私はもともと御所にいたのでしょう」
大炊君は、軽く頷いた。
「そなたは、五つの年まで白珠の君と御所で暮らしていました。そもそも白珠の君は、月影神社という社に仕える巫女の血筋です。それは知っていますか」
朔はかぶりを振った。
——本当に、私は何ひとつ知らない、と半ば諦めにも近い気持ちで。
「過去にその社を訪れた宮人が、巫女である
「そして、母さまは亡くなってしまったのね」
「ご病気が重くなっていった頃、私は白珠の君に、そなたを
御所を離れたのは、その方がのびのびと暮らせるという計らいからでした。
私も公務で御所を離れられないため、数人の侍女と乳母と共に行かせました。そこでしかるべき教養を身につけて、成長されるのを待っていたのです」
「小萩が言っていました。これくらいの年の姫君は、祝言を挙げるものだと」
大炊君は微笑んだようだった。
「そうするのが、世間的には望ましいふるまいです。十五の年に迎えを寄越したのは、それがそなたにとって、良い区切りになるからでもあります。
御所には、そなたを望む相手はいくらでもいるでしょう」
寝耳に水とは、まさにこのことだった。
朔は、自分がもうそういう年であることを、今まで全く自覚していなかった。
でも「月読」の迎えをひとつの区切りとするなら、今から考えなければいけないことなのだろう。
それは、身の振り方を決めることでもあった。
朔は正直に言った。
「私はそんなこと、思ってもみませんでした。ずっとあの場所で、暮らし続けるものだと思っていたから」
今思えば、そんな風に考えていた自分が子供だったのだ。
美袮たちも、いつかはいなくなってしまう。
そうなった時のことなど、考えたこともなかった。
「あなたは、母さまに仕えていたのですか」
「私の主人は、また別の方です。その方の計らいで、白珠の君ともお近づきになることができたのですよ」
朔は思い切って、別のことを聞いた。
「私は、小さい頃のことを思いだせないの。それには何か理由がある気がして」
「小さな頃の記憶というのは、誰もが曖昧なものです。そなたはちょうどその時、母君を亡くされた。その
大炊君の言葉は筋が通っているように聞こえたが、朔が感じていたこととは少し違っていた。
朔は、決定的に何かを忘れているような気がしたのだ。
それを取りだしてみない限り、身の振り方のことは、とても考えられないという気がした。
その手段を得ることが先決だと。
「母さまは、なぜ白珠と呼ばれたの」
「あの方がお美しかったからもありますが——、社に伝わる玉かずらを献上されたのです。その
——玉かずら。
朔は、その髪飾りを知っている、と思った。
前に確かに見た記憶がある、と。
「その玉かずらは、今——」
どこにあるの、と続けようとして、先んじるように大炊君は応えた。
「残念ながら、今はどこかへ消えてしまったのです。あの日、白珠の君が息をひきとるのと同時に」
「どうして」
そう問いかけながら、
朔は、大炊君が何かを覆い隠すように、真実を告げるのを避けているように思えた。
——いったい、なぜ。
夜明けを告げる鳥たちの鳴き声が、閉じられた
そろそろ明るくなる時刻なのだ。
朔は、重ねて言った。
「私を、そのゆかりの神社へ連れていって下さい。そうすれば、思いだせることがあるかもしれないのです」
しかしその問いかけも、
朔の愁眉を開くには至らなかった。
「今はなりません。先日参詣したら、
「やまだち?」
聞きなれぬ言葉に困惑した朔に対して、大炊君は涼しい顔をしている。
「ええ。成敗したので、相手方も少しは懲りたでしょう」
朔の不満を感じ取ったのか大炊君は苦笑して、その口元を僅かに開いた檜扇で隠していた。
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